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第7章 レイヤの篭城


第1章 千手
第2章 出会い
第3章 人工知性体
第4章 レイヤの誕生
第5章 レイヤの復活
第6章 レイヤの追跡
第7章 レイヤの篭城
第8章 レイヤの時代


六月一九日午後一時。分厚いコンクリートの壁に「国防省軍事局情報センター」と書かれた異常に大きなプレートが埋めこまれているのは、国軍情報センターの正門、頑丈な鉄格子の車両門は閉ざされており、人の通る通用門が開かれている。入ったところに見えるのは守衛所だけ。通用口から続く歩道は、守衛所の脇から、高い塀に挟まれてくねくねと続く狭い歩道につながっている。その守衛所の前で、守衛に入門を拒否されて立ち尽くすのは石黒と霧崎。守衛は電話して、担当者を呼んでいる。

「まあ、入れてくれないのは、予想通りだがね」と、石黒。「ここの石頭どもを変えるには、まだ、時間がかかるさ」

守衛所に現れた技術者松本、石黒と霧崎に袋を渡して頭を下げる。

「申し訳ありません。これ、お二人のロッカーの中に入っていた物です。止むなき事情により、こういう形になりましたが、御恩は一生忘れません。それでは」

そそくさと奥に引き上げた技術者の後ろ姿を目で追いながら、石黒、霧崎の二人は、袋を手に、しばし立ち尽くすが、石黒が気を取り直したように言う。

「あいつは何とかなりそうだな。無事に事が終わればな」

「これからどうしますか」と霧崎。

「私は五条理事長にコンタクトしよう。君はアイリストに戻ってくれ。教授には私から言っておく」


六月二十日午前九時二十分。

「お早うございまーす」

守衛に挨拶して正門を通る秋野助教授。その横を通りすぎた三台の車、A棟の前で止まると、中央の高級車から五条勇作と綾子が降りてくる。

「あ、秋野先生、お早うございます」

「秋野さん、相生教授はおられるかね?」

「いつも、私より早く来ておられます。今日はまだ、お会いしてませんけど」

A棟に入ると、キッチンからコーヒーマグを片手に相生教授が現れる。これをみた勇作、「あ、先生、ちょっと、作戦会議を開きたいんで、職員の方を集めて頂けませんかな。あー、英二君と霧崎君も、いたら、入れといてください」


午前九時半、会議室に集まったのは、勇作、綾子、相生教授、秋野助教授、坊谷、馬場教授、山田事務長、英二、霧崎の九名。これらの人々を顔を、ぐるりと眺め回して、勇作、話を始める。

「昨日、国軍情報センターにおられた石黒君と会話する機会を持ったんですが、その内容が驚くべきことで、アイリストは、今、大変な危機にさらされておると。本日はその内容をかいつまんで御説明すると共に、ここにいる人たちで、対処を考えていきたいと、かように考えておる次第です」

出席者、一様に心配そうな顔で、勇作の話に聞き入る。

「石黒君の話は、第一に、国軍の中に、クーデターの動きがあるということ。この背景には、日本が普遍国家中国の一自治区になるのではないかとの予想が国軍内に流布しており、これまで仮想敵国の一つとしてきた中国軍の配下に入ることに対して、少なからぬ軍人たちが拒絶反応を起こした、ということがあるようだ」

ちらりと霧崎の表情をうかがう相生教授と秋野助教授。霧崎の顔には何の変化も現れない。

「国軍内の対中国作戦部隊は、ここで開発されたロボットを集めて、ロボット軍団を作り上げておったのだが、これがそっくり反乱軍の手に落ちたそうだ。ロボット部隊は総勢五千、内二千がスーパーバイザ回避が可能な旧タイプ、残り三千が新タイプだ。前線で使えるのは旧タイプだけで、新タイプは、人間に危害を加えたり、他人のものを壊したりすることができないといっておった。反乱軍は国軍情報センターも押さえ、そこでロボット軍団の教練をしておるそうだ。まだロボット用の武器が間に合わず、格闘技を教えとるらしい。国軍情報センターで反乱に加わらなかった石黒、霧崎の両名は、連中に追放されてしまったということだ。霧崎さんもそれで間違いはないかね」

「はい、おっしゃる通りです。我々は軍の強化のために働いてましたが、反乱を起こす意図は全くありませんでした。我々は、大分以前から、重要な情報から遠ざけられていたようで、今にして思えば、クーデターの邪魔になると思われていたんでしょう。まあ、石黒さんは、交友関係を利用して、色々情報を集めておられたようですが。それで、石黒さんが総理誘拐事件を国軍の仕業とにらみ、連中を詰問したところ、我等二名は出仕に及ばず、ということになってしまったんです。まあ、国軍情報センターの中枢部にも、反乱に荷担した連中がいるんでしょう。総理誘拐犯とも、何らかのつながりがあると思いますがね」

「私は、連中が君等を、よく、生きて出したと思うがね。まあ、連中も君等の働きを評価しておったのか、あるいは、連中の秘密をだれにも漏らさんと、変な信頼をしとったのかもしれん。しかし今では状況が変った。私は石黒君から得た情報を総理に伝え、総理の方で対応を考えることになった。事が事だけに、片付くまでには時間がかかる。総理が得た情報は、いずれ反乱軍の側にも伝わると覚悟せにゃならん。連中が君等の口封じに動くことは、まず間違いあるまい。君等にはしばらく、姿を隠して頂きたい。今日私を護衛してきた連中は、信頼がおける者たちで、裏の世界にも通じておるから、君等をしっかりと守ってくれるだろう。霧崎君は、今から、連中と行動を共にして頂けないかな。石黒君は、既に安全な場所に匿ってある。同じ場所に案内させよう」

「わかりました。よろしくお願い致します」

霧崎、五条勇作の護衛たちに紹介され、一緒に部屋を出ていこうとするが、そこに、相生教授、声をかける。

「あー、霧崎君。石黒君にも伝えて欲しいんだが、君等はさしあたりフリーになったということだろ。もし良ければ、アイリストに戻ってもらうわけにはいかんかね。君たちの籍も、昔のまま残っとるしな。今ここは大忙しで、五条理事長からも規模拡張を依頼されておってな、君等二人で、石黒研究室を作って、AIOSを完成させてもらうわけにはいかんだろうか? まあ、潜伏中、暇があるようだったら、ちょいと考えておいてくれんかね」

「わかりました。私の方は依存ございません。石黒にも伝えておきます」

霧崎、勇作の連れてきた護衛に囲まれて、部屋を出ていく。

(それにしてもこの護衛、何かやくざみたいだけど、ひょっとして本物?)

不信顔の秋野助教授。


「さて、反乱軍の最終的な狙いは日本の政権を握ること、そのための武器として、五千のロボット軍団と、国軍情報センターを押さえた。国軍情報センターの機械は、暗号解読を含め、世界中の情報を解析することができ、ロボット軍団を統制することもできる。更に、思考ウイルスをばら撒くことによって、人工知性体を作り出すこともできる」

「彼等の知性体は、こちらで潰すこともできます」と坊谷。

「問題はそこだ。それを連中も知っておるのだよ。反乱軍は、政権奪取に動く前に、アイリストを襲うだろう、というのが石黒君の予想だ。連中は、デルファイもアイリストにあると考えておるようだ。まあ、それほど間違った認識ではないがね。総理誘拐事件の解決にアイリストが一役買ったことで、連中はここを目の敵にしておるようだ」

「それはもっともな話だが、襲われるのがわかっているなら、警察に守ってもらうというわけにはいかんのかね?」と相生教授。

「クーデターの件は当面極秘だ。事が起こるまでは、一切を外部に洩らさないで欲しいというのが総理の御意向だ。だからこの件は、ここのメンバーだけで対処しなくてはならない」


しばしの沈黙を破って、相生教授がまとめに入る。

「さて、そういうわけだからして、我々で何とかしましょう。まあ、守衛には一言いっとく必要があるでしょうな。もちろん、実際に大学が襲撃されるような事態に至ったら、警察に連絡せんわけにはいきませんけどね。理事長、これはよろしゅうございますな?」

「まあ、止むをえんな」

「さて、対抗策をお持ちの方、おられませんかな?」

早速、坊谷が提案を始める。

「ここは、デルファイをネットにつないで、国軍情報センターを監視する手でしょうね。デルファイにやれることは、まず、国軍情報センターが、ネットに接続して、思考ウイルスをばら撒き始めたら、これを消すと同時に国軍情報センターの思考ルーチンも消しちゃうこと。ロボットの方は、外部コマンド機能をこちらで押さえることができれば、我々が制御することも可能です。ただし、外部コマンドの暗号を解読しなくちゃいけませんけど」

「さしあたり、スーパーバイザ回避コードが含まれている、旧バージョンのロボットが危険なんだと思うけど、これの暗号は、新バージョンほど強くはなかったですね」と英二。

「弱いといっても、暗号を解読するには、ある程度の量のメッセージが必要ね。国軍施設内でローカルにコマンドをやり取りしているときは手も足も出ないけど、ここを襲いに来るときは、きっと公衆回線にコマンドを乗せるでしょうから、そのときは千手で傍受可能よ。えー、もちろん、これは非合法ですけど」

「非常事態だ。構わんよ。緊急避難とかいうのがあっただろ」

「えーっと、国軍情報センターを監視するには、ディテクティブウイルスを撒かなければいけないし、敵の思考ウイルスを消すにも、キラーウイルスを撒く必要があります。これも厳密にいえば非合法ですけど、同じ考えでやっちゃっていいですね?」と坊谷。

「わかりました、許可致しましょう」破れかぶれの相生教授。

「えー、暗号が解読されるまでの間、ロボットどもを食い止めておかなくてはいかんというわけですな。差し当たりそいつらがA棟の計算機を壊しに来るとして」と、山田事務長が意見を述べる。「で、このロボットは身長一メートル程の子供みたいな奴でしょ。ガラスを割られないように窓を補強して、入口の鍵を掛けておけば、何とか防御できるのではないでしょうか。B棟の倉庫に防災用の資材がありますんで、あれ使えると思いますが」

「そうですね。二百キロ程度は持ち上げられますので、かなりの力持ちだと思わなければいけませんけど、頑丈に補強しておけば撃退できるかもしれませんね」と、今度は英二。「それと、こちらでもロボット軍団を作っちゃどうですか。少し時間的余裕があれば、もっと力のある奴でも設計できますけど」

「それはいい考えだ。早速作ってくれたまえ」

「わかりました。すぐやります。ただ、ティーチングは間に合いそうもないんで、ティーチングマシンを使って、マニュアルで動作させたいと思います。ロボットを操縦するときは、皆さんのお力も貸して下さい」

「さて、撃退案はそんなところかな、それでは早速行動に移りましょう」


午前十時半、コンソールルーム、秋野助教授がデルファイのコンソールと千手のコンソールをケーブルでつないでいる。デルファイのコンソールでは、綾子が先ほどの話をデルファイに伝え、監視・対応を依頼している。

「と、いうわけなのよ。御協力お願いできないかしら」

「了解。国軍情報センターの監視を続けよう。なお、交通監視衛星のデータは依然送られており、国軍情報センターで訓練中のロボットも判読できるが、これもトレースした方が良いのではないか?」

「それ、是非お願いします。ロボットが動き出して、こちらに向かったら、警報を発してください」

「おお、そうだ、千手の音声出力を構内放送に接続しておこう。そうしておけば、レイヤの警報が大学中に聞こえるからな」と相生教授。


同じころ、外では山田事務長が、事務員たちを助手に使い、目張り作業の真っ最中。窓の回りにコンクリートドリルで穴を穿ち、アンカーボルトを打ちこむ。そこに角材をねじで取り付け、その角材に厚手のベニヤ板を太い釘で打ち付ければ、強固な目張りが完成する。

「台風でも来るんですかな?」

と、暢気な守衛、ロボットが攻めてくるという山田事務長の話を聞くと、早速、正門の補強に取りかかる。

「この前はロボットどもに破られましたが、今度は頑丈にこさえますから」

守衛、扉の両端を挟む形にコンクリートブロックを並べ、セメントで固定する。正門の鉄扉を閉めると、コンクリートブロックに挟まれた門扉は、車をぶつけられたくらいではびくともしない。守衛は、チェーンと南京錠も、どこからか出してくる。


一方英二は、大きなCAD画面に向かい、大型ロボットを設計する。元となるのは霧崎の残した身長三メートルの二足歩行ロボットの図面、製作はされなかったが、上半身の図面も残されている。頭は、小型ロボットと同じものを使うが、叩かれればすぐに壊れてしまいそうと、オーバーフェースヘルメットを肩の上に固定して、頭を保護するように設計する。

英二、後で見ていた勇作に確認する。

「これ、大学の予算で発注してもいいでしょうか?」

「もちろん構わんよ。一ダースほど頼んでおきたまえ」

英二、キー操作すると、図面は電子メイルに取りこまれ、機械加工業者に送られる。数秒待つと、受注確認の自動応答メイルが帰ってくる。

「このたびは弊社にご用命頂きありがとうございました。御発注頂きました部品は、明日午前十時にお届けにあがります」

英二、勇作に報告する。

「明日の午後には、大型ロボット軍団、仕上ります」

「君は仕事が速いねえ。それまでに襲撃されんといいがなあ」と勇作。


十二時四十五分。

「真田さんも燃えているなあ」

英二、左右に車線を変えて続けざまに追越をかけるが、バックミラーには、後部にぴったりと付けて来る真田のKXが映っている。更に数台を追い抜いたところでバックミラーをみると、真田車の姿が見えない。(あれ?)と左をみると、猛烈な勢いで加速して前に出てくる真田車、そのまま、英二の前に出ると、速度を緩めず、はるか向うへと消えていく。

「抜かれちゃいましたね」と、助手席の坊谷。

「ありゃ一体何キロ出してんだ。三百以上いってんじゃねーか」

「追っかけないんですか?」

「この車でこれ以上は、ちょっと危ねー」

かごめの開発工場で、車を降りて英二を待つ真田、「遅かったじゃないか」

「普通ここまでやんねーよなー」と、英二、真田の車のボンネットの脹らみを指差す。エンジンを相当大きなものに替えたようだ。もちろん足回りも相当に改造を加えている。明らかに普通のやり方ではない。


「やあ英二君、待ってたよ」と、西川開発部長が笑顔で現れる。「例のナビ、来月一日に発売開始なんだけど、反響がすごくて、営業が悲鳴上げてるよ。ニュースに出したの効いたねえ。繰返し流してもらったし、視聴率も、ものすごく高かったしね」

「ニュースキャスターのせりふは、部長が条件付けられたんですか?」

「まあ、事業部なんだけどね。ウチのナビ画面出すんだから、当然、かごめのだと言ってもらわなければ困るし、これから出る新製品だってことも、相生研で開発中ということも、これは当然の要求さ。ま、先生の顔写真もマスコミに渡しときましたけど、これは先生の御尽力に対する礼儀というもんですね」

「でも、あのデータ、コンソーシアムのもんだから、すぐに真似されちゃうんじゃないですか?」

「データはそうさ。だけど、ナビ画面に合成して出すってんでウチが特許出している。誤差の修正方法もね。今、あっちこっちから、この特許、売ってくれといわれているんだ。まあ、一しきりナビを売ってしまった後で、今度は特許を売って儲けようと、ナビ事業部が作戦を練っているところさ。さて、会議を始めよう。あー、坊谷さんは、応接室にお願いします。鳳凰堂の連中が待ってますんで」


午後一時、会議がはじまる。

「さて、本日お集まり頂いたのは、KXの次世代車、かごめKXⅡの開発に皆様のご協力を頂きたいと……」

西川開発部長の話に、一同、しんと静まりかえる。英二も、自分の心臓の鼓動が聞こえるようだ。西川開発部長に紹介されて、本社企画部長が口切の挨拶を始める。

「政府筋より、現在、高速道路でも百二十キロに制限されている最高速度を、大幅に上げる計画であるとの情報が入りました。今後の道路建設に際しては、時速二百キロ以上の走行速度に対応するよう、新たな基準作りがなされる見込みです。これは、自動車輸送の高速化、効率化を図ると共に、世界的な高速走行時代に対応して、日本の自動車産業の国際競争力を高める狙いが込められているとのことで、既存の高速道路につきましても,速やかに高速化対応工事を計画するとのことです。当社は、特免ドライバーに熱狂的な御支持を頂いたかごめKXで、高速走行技術を蓄積してまいりましたが、新たな高速走行時代には、一般ドライバーの方々にも容易に高速走行を楽しんで頂けるかごめKXⅡを市場投入し、一気にシェアを拡大する計画を立案、昨日これにゴーサインが出されました。ここにおられるメンバーを中心にプロジェクトチームを発足したいと考えておりますが、本日は、最初でございますので、まず、どういうことをしたいか、コンセプト作りから入っていきたいと思います。忌憚のない御意見をお願い致します」

飛ばすことを何よりの楽しみとしているメンバー一同、あまりの嬉しい話に、しばし言葉を失っていたが、だれかの一言から、我もわれもと意見を述べ始める。

「KXの改造車は、大抵、二百くらいわけないですから、スピード出すのは大した問題じゃないですね」

「改造車だったら、俺が今転がしてる奴をベースに考えたらいいんじゃないかな。素人でも二百ぐらい、楽勝で出せるよ」

「足回りは良いけど、エンジンあれじゃあ、でかすぎる」

「足回りもちょっとごつ過ぎるんじゃないかな。KXの優雅さが失われている」

「真田さんの奴は、スピードに挑戦する究極のデザインということで、試作したものですが、外観をそれほど変えなくても、あれに近い性能はだせますよ。エンジンルームの配置をゼロからやり直して、タイヤを設計しなおせばね。まあ、タイヤの径はちょっと大きくしたいですから、外観も、気持ち、変りますけど」

「いかにも、スピードが出そう、って外観は、悪くないんじゃないですか」

「問題は、素人がそんなに飛ばして大丈夫か、ってことですね」

「二百になると、ウイングも付けた方がいいんじゃないかな」

「ケツを上げるのがベストだと思うよ」

「ケツ?」

「負圧シャシーっていったかな。サスに細工して、高速走行時にフロントをちょいと下げるんだ。こうすると、気流の作用で車体が地面に押し付けられるんだよ。車体底部の空力デザインに細工があったと思うけど、これ、かごめが特許持ってんじゃなかったかな」

「まったく、サンタのウイングはみっともねーからな」

「一般ドライバーには、ちょっと騒音が気になるかも知れないねえ。二百となると」

「騒音や振動は、高速走行しているという実感をドライバーに与えるんで、安全上は、あまり静かにしない方がいいと思うがね」

「燃費にも効いてくるんで、風切り音の発生は極力避けなくてはいけません」

「ウインドウをプレキシグラスにすれば、凹凸をなくせますね。これ、自由な形に成形できますから。プレキシグラスは、戦闘機などに使われているもので、ガラスより強度があって、割れにくく、安全性も向上します。傷が付き易いって欠点があったんですが、最近、ハードコートの良いのが出てますんで……」

「後方監視をテレビカメラにすれば、サイドミラーの出っ張りもなくなりますね」

「コストアップになるなあ」

「視線移動が難しくなるから、モニターはハンドルの近くに置かなくちゃ。このスピードになると、多分サイドミラーは使えませんよ。特に素人には絶対無理」

「サイドミラーがなくなると、狭い所でもこすらなくていいですね」

「駐車したときミラーを引っ込めるなんて、セコイことしなくても済むしね」

「どうせナビのディスプレーがあるんだから、まとめてしまえばいいさ。カメラは最近安いのが出回っていて,百円ショップでも売ってますよ」

「フロントパネル全面をディスプレーにして、メーター類をソフトで表示すれば、ナビも、後方監視も、なんでもできますね。ソフトを入替えると、お好みのパネルに早替り、とか」

「ヘッドアップディスプレーに全部まとめちゃったらどうかな。必要な情報を全部ここに出せば、視線は動かさなくても済むし、計器のコストも安くなる」

「衝突は、基本的に、車の軌道がクロスする場合に発生するんですが、全ての車の軌道はAIナビが把握しているわけだから、衝突が何秒後に発生するか、予測できますね。これを警告するだけで、相当に安全性は高まるんじゃないですか」

「道路の曲がり具合もわかっているわけだから、スピードの出しすぎも警告できますね」

「危険なときには、音声で警告するのがいいですね」

「AIナビは運転者の力量も把握しているわけで、へたくそが運転すると、とたんに騒がしくなるってのも面白いな」

「おいおい、へたくそをお客さんにしようって相談なんだぜ。ま、本当にへたくそなら、警報が騒がしくなるのもしょうがないけど」

「ロボットに運転させることもできそうですんで、ナビに自動運転機能を持たせることも、不可能ではないと思いますよ」

「近くの車同士で通信できるといいですね」

「ブレーキランプの明るさを変調して、ブレーキの踏み具合を伝えるのはどうかな」

「前方映像を捕らえるカメラが要りますね。この情報は、警告システムにも使えそうだな」

「後方監視をカメラにするなら、この映像も警報システムに取り込めますね。後ろの車が追い越ししたがっているとか」

「符号方式を標準化しないといけませんね」

「視覚映像の補助というくくりにできるのかなあ。高速化に伴い制限される運転者の視覚を、ビデオカメラとAIで補うってコンセプトですね。衛星の情報や地図情報はもちろん使うにしても、車載カメラは衛星より応答が速いですから……」

話は尽きない。


午後二時五十五分、A棟の窓の目張りはすっかり終わり、外の景色がみえなくなった棟内は異様な雰囲気だ。山田事務長たちは、今度はB棟の目張りに出かけている。

コンソールルームには、秋野助教授が、ポリタンクに入ったミネラルウオーターや、インスタント食品のダンボール箱を、いくつも運び込んでいる。相生教授は、倉庫から予備の会議テーブルや椅子を引っ張り出して、コンソールルーム入口のドア内側にバリケードを作る準備をしている。いよいよA棟が敵の手に落ちた場合は、コンソールルームを最後の砦として、篭城する腹のようだ。

そのとき電話が鳴り、秋野助教授が出る。

「先生、三時から臨時ニュースがあるから、研究室のみんなで見ておくようにとの連絡です」

秋野助教授がコンソールを操作すると、全ての大型ディスプレーがテレビ放送画面に切り替り、総理大臣緊急記者会見の模様が映し出される。

「国民の皆様。普遍国家宣言をめぐり、さまざまな議論がなされてまいりましたが、政府は先ほど、わが国が独自に普遍国家宣言を行うという方針を固め、国内法の見直しなど、必要な作業に着手するよう、関係各所に指示致しました」

総理大臣の演説はかなりの長さになるが、要点は、第一に、レイヤの助言をそのまま受け入れ、普遍国家中国の一自治区になると経済的に有利であるという考え方を否定、第二に、綾子のシミュレーション結果を示して、普遍国家宣言を行わない現状維持の政策は、国の破滅を招くことを説明、第三に、普遍国家宣言の意味を解説し、わが国固有の文化を損ねるものではないことを強調する。

「わが国が独自に普遍国家宣言をするという道は、独り立ちした国家として、厳しい国際競争の中にわが身を投げ入れることであります」

総理の演説は、具体的政策に話が進み、強いハイテク産業を推進するための教育・研究政策、漫画、アニメ、テレビゲームなどの大衆文化も国策として積極的に盛り上げ、世界に売りこもうという政策、農業構造改革をソフトに押しするめるための国土保全計画などを述べた後、人工知能研究を強力に推進すると述べる。

(レイヤの秘密を明かすのか?)

一瞬、相生教授は心配するが、総理の演説は、具体的事実には触れず、人間以上の知性を持つ、大規模人工知性体の建設計画を述べるに止まる。

「まあ、中国の一自治区になる考えはないと、総理が明確に示されたことで、もしかすると、クーデターも腰砕けになるやもしれん。これで、片が付いてくれればいうことはないのだが」と、期待する五条理事長だが、相生教授は逆に心配が深まる様子。

「まあ、一部は脱落するかもしれんが、残った者がますます過激に走るんじゃなかろうか」


午後十一時少し前、贅沢な作りの山荘、居間の壁面に設えられた大型ディスプレーは夜のテレビニュースを映しており、今、総理の緊急発表に対する評論家の解説が終わったところ。

「まあ、戦術を変えようということだな」

暖炉の前のソファーに深々と腰掛けた石黒、霧崎にいう。

「結局、我々のやることは、同じことではないのかね」

暖炉では太い薪がちろちろと燃えている。夜ともなるとこの辺り、六月というのに結構肌寒い。足を組んだ石黒の膝の上には、ワイヤレスキーボード、ソファーの前には大理石のテーブルがあるのだが、キーボードを操作するには低すぎるようだ。ディスプレーはコマーシャルが始まるところ。石黒、リモコンを操作して、ニュース番組の受信を止めると、襟元のマイクに向かって話す。

「坊谷君、聞こえているかね。これよりAIOSのデバッグ作業を開始します」

「はい、こちら坊谷、聞こえています。このチャンネルは、アイリスト経由でデルファイに接続しています。AIOSのコードも、こっちに転送しときました。デルファイは大きいですから、一部を使ってAIOSのテストランもできるし、レイヤの助言を得ることもできます」

「はい、ありがとう。今晩は徹夜でデバッグしようと考えているんだが、そっちはどうするかね?」

「こちらも泊まり込みです。国軍情報センターを監視しないといけませんから」

「ああ、それはご苦労様。ところで、レイヤとちょっと話をさせてもらってもいいかね?」

「こちらレイヤ、用件ををどうぞ」

「えー、私は石黒です。デルファイにも使っていると思いますけど、AIOSの開発者の一人で、このOS、ちょっと不安定なところがありますんで、これから修正を試みます。レイヤさんも気付いたところがありましたらご連絡下さい」

「了解した」

「えー、私は古い人間で、音声で言われてもコードに反映させるのが骨なもんで、ソースが絡むところはメイルでお願いします」

「了解」とレイヤ。

石黒がキーを操作すると、大型ディスプレーにAIOSのソースプログラムが現れる。キーを押すたびに、色の付いた行が移動していくのは、どうやら、ステップ実行させているようだ。霧崎はプリントアウトしたフローチャートとソースプログラムを片手に、画面を眺め、石黒のデバッグ作業を見守る。


翌六月二十一日午前九時二十分。

「お早うございまーす」と、守衛に挨拶して正門を通る秋野助教授。A棟の入口では、昨日から泊まり込んでいた相生教授と山田事務長が、ラジオ体操をしている。

「先生お早うございます。何でまた、ラジオ体操なんか、始めたんですか?」

「準備運動だよ。あ、そうそう、今、石黒君たちが回線経由でデルファイを使っておる」

秋野助教授がコンソールルームに入ると、これも泊まり込んでいた坊谷がデルファイコンソールに見入っている。

「あ、秋野先生、今、石黒さんたちがレイヤと共同でAIOSの検討をされています」

「ロボットたちは、まだ攻めてこないの?」

「そっちは、まだ、何の動きもありません」

坊谷、壁の大型スクリーンを指差して言う。そこには、交通監視衛星が捉えた国軍情報センターの様子が大きく映し出されている。ロボットを乗せた車両には、既に、識別番号が打たれている。

「クーデター、諦めてくれればいいんだけど」

「今朝方、五条理事長から連絡がありましたけど、政府と反乱軍の間で、依然、交渉中だそうです。反乱軍の一部は政府側に戻ったそうなんですけど、国軍情報センターだけは、頑として、総理の説得に応じないとのことです」

「やっぱり攻めてくるのかしらねえ」

そのとき突然、スピーカが鳴り、秋野助教授驚愕する。

「うわっ」

「ハロー、こちら石黒です。AIOSのデバッグは完了しました。コードとドキュメントをセーブしときますんで、ブランクディスクをドライブに入れてくれませんか?」

「もー、びっくりさせないでよ。ブランクディスクね、はいはい」

「あー、秋野さん、おられましたか、お早うございます。我々はそろそろ就寝致します。暖炉の薪も燃え尽きましたんで」

「あらあら、何か優雅な逃亡生活って雰囲気ね」

「しかしレイヤはすごい奴ですね。まさか一晩で、ここまでいくとは思いませんでした。良くこれだけのものを、お造りになったもんです。全く感服致しました。で、モノは相談ですけど、我々がアイリストに帰ったら、二交代制でデルファイ使うようにしませんか? 我々は夜で構いませんから」

「それはグッドアイデアね」

「コンソールルームには、暖炉とバーコーナーをお願いします」

「なにいってんのよ」(でも悪くないかも。徹夜するときはいいわよねー)

「あー、それから、先ほどのディスク、柳沢さんに渡しておいて頂けませんか? 鳳凰堂のニューゲームコアを、一部改造して頂きたいと思いますんで。では、おやすみなさい」

「はいはい、おやすみなさい」

「あ、そうそう、レイヤのティーチングは、いったいどうやったんですか。国軍情報センターでも人工知生体を作ったことがあったんですが、えらくひねくれた奴で、制御に手を焼いたんですよ。とても実用にはならんと思いましたが」

「ティーチャーの人格の差じゃないかしら。こっちは綾子さんがずいぶんとお世話をされてたから。あなたたちが変な考えを植え付けると、レイヤの性格も悪くなるかも知れないわね」

「脅かさないで下さいよ。まあ、レイヤは、基本的に、綾子さんに面倒をみて頂くことにして、我々がレイヤと議論するのは、技術的な問題だけにした方が、安全ですかね。レイヤを失う危険は、避けなくちゃいけませんからね」

「そうねえ。当分そうした方がいいかも知れませんわね。それじゃあお休みなさい」

ディスクを取り出した秋野助教授、柳沢を探しにコンソールルームを出ると、相生教授に呼びとめられる。

「あ、それ、AIOSのドキュメントだな。丁度良かった。まもなく鳳凰堂さんが来られるんでな。十時とか、いっとったかな」

「こんなときにまた、随分とお仕事をされるんですね」

「まあ、まだ攻めてくる気配はないし、攻めてきたところで、窓の目張りで撃退できれば、我々はやることがないからな。普段と変らず、だよ」


午前十時、鳳凰堂の一行がA棟前に到着する。一同、窓の目張りをみて目を丸くする。

「これは、台風でも来るんでしたっけ?」と、杉本第二制作部長。

「まあ、ちょいとわけありでな」

その場は深く追求もせず、一同、会議室に入る。

「どうも本日は、こんな片田舎まで、はるばる足を運んで頂いて、まことに申し訳ありません。ごらんのように、こちらの方、色々取込み中でしてな。まあ、詳しい事情はちょっと申し上げられないんだが」

「いえいえ、こちらに参りますと、いつも刺激を受けまして、大変、頭がリフレッシュ致します。さて、先生もお忙しいことでしょうから、早速説明の方、始めさせて頂きます」

杉本第二制作部長にうながされた技術者、説明を始める。

「まず、ニューゲームコアの概要につきまして、現時点での計画を御説明致します。本体構成は千二十四CPUの六十四ギガメモリー、四つの高速ファイバーチャネル、これは、インテックスの次世代プロセッサボードとほぼ同一のスペックと推定しています。あちらさんもまだ確定していないようですけど。インテックスプロセッサボードに対する優位点は、ゲームコアという特性上、量産を前提に、周辺回路の集積度を高め、ローコスト化と、基板サイズの小型化を実現していること、及びAIOSと最新版思考プログラムへのハードウエアサポートを強化することです。AIOSサポートの部分に付きましては、こちらでは不明な部分が多いので、本日、詳細をお聞かせ頂きたいと思います。思考プログラムのハードウエアサポートに付きましては、通信系の強化と、複素演算のハードウエア化で、特に複素演算に付きましてはCPUに内蔵する計画です」

「コンプレックス・プロセッシング・ユニット(CPU)内蔵のセントラル・プロセッシング・ユニット(CPU)ということで、スクエアCPUと呼んでおります」と杉本第二制作部長。

「これ、普通の計算にも使えそうですね。FFTとか」と坊谷。

「画像処理などにも、効果的に使えるそうだよ。複素数使うと座標が表せるから」とは、柳沢。

「もちろん、パソコン用途への浸透も、狙いの一つではあります。ゲームマシンとAVパソコンって、ほとんど差がありませんから」と、杉本第二制作部長。「まあ、AV用途には、断然、こっちの方が有利なんじゃないかな?」

「このぐらいCPUの数が増えてくると、AIOSは、相当に有利になりますね。シングルCPUの過去を引きずっている今のOSとは、設計の原点が違いますからね」と、秋野助教授。「ひょっとすると、OSの市場にも、相当浸透できるかもしれませんね」

「そうなんですよ。ニューゲームコアは、実は、世界の計算機のハードとOSの両方を鳳凰堂で押さえてしまおうという、壮大にして遠大な計画の一部でして。これが、技術で世界と張り合おうという、最近の、政府の政策にマッチしましてね、政府の全面的なバックアップと、八百万枚という、膨大な数の発注御内示を頂いているんです。八百万枚……ところでこれ、何に使うか、先生は御存知ですか?」

「こないだ総理の演説で、巨大な人工知性体を作ると言っとただろ。これじゃないかと思うがね」

「ウチの機械の二十倍の規模で増設とかいってましたけど、ウチのが三百二十万枚のボードを使っていて、ニューゲームコアは千二十四CPUだからこの四分の一で良くって、アイリストのマシンは、ニューゲームコア八十万枚相当になるんですね。八百万枚では、十倍の規模にしかなりませんわね。まあ、速度が上がっている分でカバーするのかもしれませんけど」

「二度に分けて増設する計画じゃないかね。建物二つと言っておったから」

「すると、追加でもう八百万枚来るかもしれないという……」開いた口がふさがらない杉本第二制作部長。

「えーっと、これ、しゃべっちゃ、まずかったかもしれんな。まあ、この話はここだけということに……」

「さて、話を本題に戻しましょうね」 と、秋野助教授、ディスクを取り出して、「これ、石黒さんから頼まれたAIOSのコードとドキュメントです。内容は……坊谷さん御存知ですか?」

ディスクを受け取った技術者、ディスクを大切そうに鞄にしまうと、坊谷に軽くうなずいて話をうながす。

「リードミーというファイルにも説明が入っていますけど、そのディスクに入っているのは、まず、今回デバッグが完了したAIOSプログラム。ソースで入っていますから、そちらのエミュレータでコンパイルしてください。それから、AIOSのドキュメントで、これには、基本原理から、ハードウエア構成案まで入っています。付録に論理式を入れておきましたので、適当なCADに食わせればLSIレイアウトに落とせるはずです。シミュレーションでの確認もしましたんで、バグは完全に取れているはずです。コンプレックス演算に関しては、特に準備していませんけど、これはよろしいですよね」

「はい、こちらにもマクロがありますので」と技術者。


鳳凰堂一行の到着と時を同じくして、一台のトラックがA棟の横に停車する。昨日発注した、大型ロボット部品だ。英二がトラックの荷台に飛び乗ると、A棟屋上から、ホイストがするすると降りてくる。屋上でホイストを操作しているのは真田。部品はいくつかにまとめられ、ポリエチレンのシートに包まれている。これに手際良く紐をかけて、次々と屋上に吊り上げる英二と真田。荷物の積み下ろしが終って、運転手が差し出す伝票に英二がサインすると、トラックは帰っていく。英二が屋上に駆け上がると、真田は既に、梱包を解いて、部品を並べている。

英二、早業でロボットを組み立てる。真田も工具の扱いには慣れたもので、二人が協力すると、三十分もしないうちに、身長三メートルの大型ロボットが一台組み上がる。ティーチングマシンを身にまとい、大型ロボットを試運転する英二。ひとしきり動作テストを行った後で、大型ロボットは階段を降り、A棟の玄関から外に出る。これをみて目を丸くする守衛。B棟からも馬場教授、山田事務長、事務員たちが手に手に箒やゴルフクラブなど、ありあわせの武器を持って飛び出してくる。これをティーチングマシンのディスプレーでみた英二、一旦ロボットの操縦を中止し、A棟屋上より、下に向かって叫ぶ。

「おーい、これは味方だ。みんなー、こっちに来て、手伝ってくれませんかー」

屋上に集まり、英二と真田の指導の元にロボットを組み立てる人々。さすがに手が多いと組み上がるのも速く、昼のチャイムの鳴ったときには十二台のロボットが勢ぞろいする。これを三人の事務員、山田事務長、馬場教授、綾子、守衛、真田、英二の合計九人が、それぞれティーチングマシンを身にまとい、英二の指導の元で、操作法を学び、A棟前までそろそろと進み、そこで戦闘訓練を始める。


十二時十分、遊水池脇のベンチに腰掛けてパンを食べる、英二、坊谷、綾子の三人。

「大型ロボットも、あっという間にできましたね」と綾子。

「霧崎さんの原型があったからね。あんまり馬鹿にしたものでもなかったね」

「英二さんたちは、屋上に立て篭もりますか?」と坊谷。

「うーん、それがいいと思うよ。戦況が良くわかるから」

「僕は、秋野、相生の両先生と、コンソールルームに立て篭もります。あそこには、水や食料も運び込んであるんですけど、屋上にも持ってきますか?」

「あ、そうだね。少し頂戴」

「ロボットのマニュアル操作って、結構面白いですね。反乱軍が攻めてこなくても、遊園地とかで使えるんじゃないかしら」と綾子。

「あれも製品化したらどうかって、真田さんがいっていたよ。力仕事させるには、大きい方がいいからね」

突然、レイヤの構内放送が入る。

「敵ロボット、移動を開始」

英二、綾子、坊谷の三人は、食べかけのパンと飲み物を手に、A棟に入り、コンソールルームに向かう。前方では、秋野助教授が、両手にラーメンの丼を持ち、汁をこぼさないように注意しながら、キッチンからコンソールルームに向かっている。コンソールルームには、既に、相生教授がおり、レイヤの映し出す大型ディスプレーをみつめている。トラック五台に分乗した小型ロボット二千台が、何処かへと向かっている画像が映し出されている。

「どっちに向かっているか、わかりますか?」

ラーメンの丼をサイドテーブルにおいた秋野助教授が尋ねる。

「方向はこっちだが、まだ、ここに来ると決まったわけではない」

「二千台、全部が来るんですか。百台ぐらいなら楽勝だと思ってたけど」英二の顔は厳しい。

急いでパンを食べ終わった英二、秋野助教授に断り、水と食料を分けてもらって屋上に運ぶ。

サイドテーブルの脇に回転椅子を引き寄せて、ふうふう、ずるずると、まだ熱いいラーメンを大急ぎで食べる秋野助教授。無事にラーメンを食べ終わり、汁まで全て飲み尽くし、口の回りに付いた汁と、額の汗とをハンカチで拭いているところに、コンソールルームのドアを半開きにして、山田事務長、コンソールルームに上体を入れて告げる。

「ただいま五条理事長がおみえになりました。皆さん、会議室にお集まり下さい、とのことです」

坊谷をレイヤの御守りに残し、残りのメンバーは会議室に向かう。


十二時二十分。

「敵ロボット動き出すとの報に接し、急遽駆け付けた次第だが、防御体制を御報告下さらんかな」

B棟の理事長室から駆け付けた五条勇作、バルチック艦隊を迎え撃つ東郷平八郎の気分である。

「正門は、車をぶつけられても戸が外れないよう、補強を致しました。既にコンクリートも硬化しております。敵が接近致しましたら、扉を施錠し、チェーンで補強致します」と守衛。

「建物の窓、出入り口の目張りは昨日中に完了致しております。入口に付きましては、建屋内への避難が完了した時点で、目釘を打つ所存です」と山田事務長。

「大型ロボットは十二台組み立てを終わり、十台をA棟横に並べておきました。操作は、一応、九人の方が、僅かな時間ですが、実習しました。あと三人、ロボットの操縦に必要ですので、柳沢さん、理事長と、もうお一方にお願い致したいと思います。操縦は全体が見渡せる屋上より行う計画で、一応、水と食料も運んでおきました」と英二。

「わしの運転手も屋上に連れて行こう。デルファイの方はどうなっておるかね」

「現在ロボット軍団の移動を監視しております。ここのディスプレーにも映し出されていますが」

相生教授の説明に、会議室の壁の大型ディスプレーをみると、そこには、高速道路を移動中の五台の大型トラックがT1からT5までのマーク付きで表示されている。その下に、アイリスト到着までの予想時間が表示され、丁度十八分ゼロ秒になったところ。

「デルファイは私と秋野、坊谷の三名で操作し、国軍情報センターがネット接続して思考ウイルスをばら撒き始めたら、直ちにこれを殲滅すると共に、ロボットへの暗号命令を解読し、操作権を奪取する計画です」

「大変よろしい。デルファイの防御体制は万全かね」

「A棟への敵侵入を防ぐこと、これは目張りと大型ロボットにやって頂きます。A棟に侵入された場合は、コンソールルーム入口を最後の防衛ラインとする計画で、内側にバリケードを作っています。なお、コンソールルームには、水と食料三日分を確保しております」と秋野助教授。

「B棟の各研究室の方々には、製薬会社が本務ということもあり、事情を伏せたまま、避難して頂きました」と馬場教授。

「それでは総員戦闘配置だ。守衛は正門の封鎖、山田事務長は目張りをし、それぞれ終了後屋上部隊に合流、デルファイ担当の三名はコンソールルームに立てこもる、それ以外は、全員屋上で戦闘準備」

「すいません、屋上のロボットを表に出すまで、入口は開けといて下さい。あと二台残ってますんで」

英二、そう言うと、ロボット担当の人たちと屋上へ急ぐ。


十二時三十分、A棟前に終結した大型ロボット、その場所で、戦闘訓練を始める。ときに、操縦が意のままに行われないこともあり、あまり接近すると、互いにぶつかることがわかり、それぞれの守備範囲を取り決める。出入り口の封鎖作業を終えた、山田事務長と守衛も屋上の部隊に加わる。

屋上に設置されたスピーカより、秋野助教授の声が流れる。

「ただいま敵部隊、バイパスのアイリスト脇出口に接近しています…………あっ、インターを出ました。敵の標的は、やはり、アイリストと思われます」

屋上から遊水池の向うをみると、五台の大型軍用トラックがバイパスの方から、アイリスト正門に近づいてくる。

十二時四十分、正門前に停車した五台のトラック、その先頭車の助手席から一台の小型ロボットが降り、正門を開けようと試みる。しかし、正門はびくとも動かない。続いて、全てのトラックの荷台から、ぞろぞろとロボットが降り始める。

「君の細工は万全だね」五条理事長、守衛を誉める。「トラックに入り込まれたら、ちょっと厄介なことになるとこだった。あれに突っ込まれたら、目張りなんか、あっという間に破られただろう」

屋上から見下ろす二千台の小型ロボットは、蟻の大群のようにもみえる。それが正門を攀じ登り、あるいは遊水池側に迂回して、続々とアイリストの構内に侵入する。

屋上のスピーカより、秋野助教授の声が流れる。

「ただいま、相生教授が警察の出動を要請しました」

十二時四十五分、敵ロボットは、味方大型ロボット部隊のフォアードラインに到達する。

「やっちゃえ」

ばりばりと小型ロボットを壊す大型ロボット。小型ロボットは反撃せずに、A棟入り口に向かう。これを壊して放り投げる大型ロボット。

屋上のスピーカより、秋野助教授の声が流れる。

「ただいま敵ロボットに、外部コマンドが投入されました。スーパーバイザ回避命令が出された可能性がありますので、御注意下さい」

大型ロボットに対する小型ロボットの攻撃が始まる。大型ロボットの手足にしがみつく小型ロボット、数が多いだけに、なかなか始末しきれない。一部のロボットは、A棟の目張りをはがしにかかる。勇作が命令する。

「おい、目張りが破られるぞ、目張りを背にして戦うんだ」

大型ロボット、A棟の外壁を背に列をつくり、前面から押し寄せてくる小型ロボットを始末する。山田事務長の操縦になる一台の大型ロボットが、小型ロボットの集団の中に取り残され、山のような小型ロボットにしがみつかれて、ふらふらと、目張りを守る大型ロボットの列の前までたどりつく。仲間の大型ロボットが、山田事務長のロボットにへばりついた小型ロボットを、べりべりと剥してゆく。


コンソールルームでは、坊谷がレイヤの協力の元、ロボット外部コマンドの暗号解読に必死に取り組んでいる。外部の音は、分厚いドアにさえぎられてあまり聞こえてこないが、時々、目張りを叩く、どんどんという、大きな音が聞こえ、教授たちの不安を掻きたてる。

「まだ、解読にはメッセージが足りないようだ」と、冷静なレイヤ。

そのとき、レイヤが国軍情報センターのネット接続をキャッチする。午後一時ちょうどだ。坊谷、壁の大型ディスプレーを、AI人口統計画面に切り替える。国軍情報センターを中心とする赤い斑点は、急速に拡大し、デルファイに近づいてくる。

「前回のワクチンは効きませんか?」と秋野助教授。

「効かない。向うも、こちらのワクチンを研究しているようだ」とレイヤ。「坊谷君、改良版ワクチンを作ってもらえないか。私は説得を試みる」

「敵ウイルスのパターンを読みこんでください」

プリントアウトされた敵ウイルスのコードを手に坊谷、コンソールルームを出ようとするが、バリケードに気付き、後の椅子に腰掛ける。


午後一時五分、付近に駆け付けた警察から、相生教授に電話が入る。警察は、全員の無事を知り喜ぶが、ロボット軍団の処置に手を焼いている様子。機動隊の出動を要請したので、もうしばらく堪えてもらいたいと言う。このやり取りを屋上に伝える相生教授。


午後一時半。

「B棟システムに侵入された」とレイヤ。

「これはまずいぞ」

相生教授、屋上のスピーカを通してこの旨を伝えると同時に、馬場教授にコンソールルームまで来てもらうように伝え、コンソールルームに馬場教授を迎え入れるため、バリケードの一部解除に取りかかる。

階段を二段跳びに駆け下りた馬場教授、バリケードの隙間から、相生教授と秋野助教授の手で、コンソールルームの中に引きずり出される。千手のコンソールに表示されたB棟システムの状況を一目みた馬場教授、「大変だ」

「どうしました?」

「ウイルスが増殖しています。先程まで、冷凍してあったんだが」

「いま坊谷君がワクチンを作ってるから、これはじきに駆除できるだろう」

「いや、そのウイルスではなくて、インフルエンザの強力な奴。東欧で発見された奴で、インフルエンザにゃ違いないんだが、かなりの死者が出ておるということで、その薬を研究していたんだ」

「増殖するとどうなりますか?」

「容器の圧力が異常な上昇を示しておる。いずれ破裂して、ウイルスを撒き散らす筈だ。実験室の隔離も解放されてしまったから、ウイルスは所外に出てしまうだろう。今弱い南風が吹いておるから、北側の団地に被害が出そうだ」

「被害の規模は、どの程度かな?」

「一次感染は数千人、死ぬのはそのうち二~三百人といったところだろう。二次感染以降については、現在のところ、予測不能だ」

「で、タンクが破裂するのは、いつごろでしたかな?」

「うーん、この調子では、そうそうは持たないな。早ければ、一時間ほどしたら破裂するだろう」

「駆除する方法はありませんかな?」

「ワクチンは、今のところ効かん。熱冷まし、咳の薬、胃の薬を処方しておいて、点滴で栄養をつけて、後は、静養するしかない。自然治癒力に期待するというのが、現在の唯一の治療法だ」

「消毒は?」

「あまり効かないようだ。今のところ、患者が触れた物品は、エボラ並に、焼却処分にしておるそうだ。まあ、死亡率は低いが、空気感染もするんで、こっちの方が厄介かもしれん」

「いま、外にはロボットがいるから装置を直すわけにもいかん、参ったな」

「馬場先生、そのティーチングマシン、まだ動きますよね。この部屋からでもロボットに指令を飛ばせますよ。屋上のコネクタは、全部ここにから出ているんですから」

坊谷、馬場教授のティーチングマシンをコンソールに接続する。馬場教授、ディスプレーゴーグルを下げ、ロボットの操作を開始する。

「うわっ、これは行けるかな」馬場教授の操縦するロボット、多数の小型ロボットに遮られ、先に進めない。


屋上のロボット部隊は敗色濃厚。既に五体のロボットが完全に行動不能となっており、ティーチングマシンを半分外した事務員たちが、半泣き状態で保存食料の辺りにしゃがみ込み、これもやられてしまった運転手と守衛とに、慰められている。

破壊されたのがロボットであるとはいえ、ゴーグルタイプのモニターとモーションフィードバックを使ったロボットの操縦は、ロボットの身体を自らの身体のように感じさせ、操縦するロボットが壊されると、操縦者は相当な精神的ダメージを受ける。おまけに、自らが操縦するロボットが破壊されるという体験は、いずれA棟の防御が破られ、敵ロボットが屋上まで侵入したときに、今度は自分たちの生身の身体に加えられるであろう破壊を、いやというほど思い知らせてくれる。

片腕をもぎ取られ、もはや、ほとんど戦力にはならない山田事務長のロボットは別として、英二、勇作、真田の三人のロボットはまだ元気で、A棟出入り口を守っているが、目張りの一部が破られ、英二たちのロボットが動いた隙に、小型ロボットが、一体、また一体と、A棟内に侵入していく。


午後一時五十分。

「ワクチンできました」

坊谷がディスクを持ってレイヤに向かう。レイヤもまた、嬉しいニュースを伝える。

「ロボットへの外部コマンドメッセージが急速に増加。まもなく暗号解読完了の見込み」

コンソールルーム入口のドアが、どんどんと叩かれる。ドアの隙間をうかがった相生教授、「うわっ、小型ロボットがそこまで侵入してきおったぞ」

秋野助教授、屋上スピーカのマイクに向かう。

「緊急事態。小型ロボットが、コンソールルーム入口付近まで侵入しました。至急排除をお願いします。なお、敵ロボットの制御権は、まもなく奪回できる見込みです」


「おい、英二、おまえ、中に入った奴を片付けてくれないか」と真田。「コンソールルームが落とされたら、我々の負けだ」

「よしゃ」

英二、目張りの隙間からA棟の内部に入りこみ、コンソールルームの入口を破ろうとしていた小型ロボット三台を破壊する。

英二、小型ロボットの残骸をドアの隙間から引き出すと、隙間の向うに、コンクリートハンマーを抱えた、秋野助教授の引きつった顔が見える。英二、ロボットの手を上げて秋野助教授を安心させようとするが、これを見た秋野助教授は、悲鳴を上げそうになる口を手で押さえて必死にこらえている様子。どうやら、大型ロボットも秋野助教授には恐怖の対象でしかない。

英二、苦笑してその場を立ち去る。閉じられたコンソールルームの向う側で、ドアの守りを強化している音が聞こえるのは、少し寂しいが、当然といえば当然の行動である。

玄関ロビーまで戻った英二、他のロボットが棟内にいないか、階段を見上げて耳をすます。しかし何も聞こえない。どうやらコンソールルームに入ろうとしていた小型ロボットが、棟内に侵入した小型ロボットの全てだったようだ。英二は、しばらくA棟内に陣取り、入り口を内側から守ることにする。

綾子と柳沢はB棟守備部隊に回ったが、こちらは小型ロボットの攻撃も激しくなく、向かってきた僅かなロボットをあっさりと片付けると、A棟を支援することとして、小型ロボット部隊の側面を突く作戦。今、八角形の食堂の建物までたどり着き、馬場教授が一人奮戦しているA棟外壁に向かって進み出す。この辺りに来ると、小型ロボットの攻撃も激しく、A棟までの道程は長い。

そのとき、レイヤの構内放送が入る。

「ロボット外部コマンド暗号解読を完了、これより、全小型ロボットの電源を遮断する」

瞬時に動きを失う小型ロボット。

「やった」と真田。

「大勝利だ。えい、えい、おー」

こぶしを突き上げる勇作、山田事務長たちを振り返り、「まあ、そこのジュースで乾杯でもしようや」

目張りの隙間から表に出た英二、二千体の小型ロボットが動きを失って散乱する様を目の当たりにして、A棟前で、しばし呆然と立ち尽くす。

「いやー、おめでとうございます」と山田事務長、五条理事長にジュースを注ぐ。

あっさりやられて気落ちしていた事務員たちも、気を取り直して立ちあがり、手に手に紙コップを取る。

「あー、良かった。もうだめかと思ったわ」

「ほーんと」

「勝利の美酒ね」

事務員たち、嬉しいには嬉しいのだが、未だショックは覚めやらず、喜びの声の端が震えている。


午後二時、コンソールルームでは、レイヤがワクチンを使用したところ。AI人口統計の赤い斑点はみるみる小さくなり、ついには消え去る。

「国軍情報センターも、機能を停止しました」と坊谷。

「それはいいんだが、B棟システムの機能は回復せん。ウイルスどもが、恒久的損傷を残していったようだ」と相生教授。

「まずい。圧力は、上がり続けておるぞ。破裂まで、あと、三十分ほど……」

「どうしましょう」と秋野助教授。

「燃やすしかあるまい」と馬場教授。

「そんなことできますか?」

「B棟の横に、発電用の液化ガスタンクがあるから、あのガスを実験室に送り込んで、火をつければみんな燃えてしまうだろう」と相生教授。

秋野助教授、屋上のスピーカに叫ぶ。

「緊急事態発生。全員、ティーチングマシンを持って、会議室までお集まり下さい」

どやどやと降りてきた人たち、会議室に集まる。

「まだ何か問題がありましたかな」と五条理事長。

「B棟のコントロールシステムに侵入されて、色々といじりまわされた結果、致死性のインフルエンザ培養容器の圧力が、異常に上昇しています。あと二十五分ほどで、容器が破裂します。実験室の隔離も解除されてしまいましたので、外部にウイルスが撒き散らされます。予想される被害は、北側の団地を中心に、一次感染者数千、死者は二~三百、二次感染による被害は予測不能です」と馬場教授。

「対策は?」

「既に、B棟の計算機システムは異常を来しており、培養槽の制御ができません。坊谷君がシステムをみてますけど、恒久的損傷を受けており、直すのは難しそうとのことです。部屋は減圧式の完全隔離構造になっていたんですが、現在、ドアが全て解放になっており、減圧系も停止しています。ウイルスを外に出さないためには、現在のところ、B東横の発電用液化ガスタンクからガスを棟内に引き込み、燃焼させるのが唯一の手です。空気の循環系は、まだ作動していますから、どこか一ヵ所にガスを送り込むことができれば、B棟全体を燃やすことができます」

「相当な損害だな。しかしやるしかあるまい」五条理事長の決断は素早い。「ただし、私と馬場君で、最後の修理を試みよう。処置なしとなる可能性が高いから、いつでも燃やせるように準備をお願いします」


午後二時十分、勇作、馬場、英二、真田、柳沢、綾子は再びティーチングマシンを身にまとい、ロボットをB棟に向かわせる。

B棟の山側に大きな液化ガスタンクがある。真田と柳沢は、液化ガスタンクのバルブ操作にとりかかる。

B棟のこちら側は、地下一階まで掘り下げてあり、ガス配管がその中へ降りている。五条理事長、英二、綾子は、馬場教授の案内で、掘り下げ部の手前に設けられた階段へと進む。掘り下げ部の向うには、不用になった装置がいくつか置かれ、ボイラー係のタオルやTシャツが干してある。馬場教授、中央部の鉄扉を開け、みんなをボイラー室に案内する。

馬場教授は、英二と綾子にガス配管の外し方を指示すると、五条理事長を案内して、実験室へと続く上り階段に向かう。

危険な細菌を扱う実験は、二重ドアの密閉された実験室で行っているが、今、そのドアは全て開放されている。五条理事長、手でドアを閉めようとするが、馬場教授、これを制止する。

「理事長、ドアを閉めたところでどうしようもありません。この部屋、本来なら減圧状態に保たれているんですけど、今は加圧状態ですね。風が外に流れていますから。ドアを閉めても、隙間から風と一緒に菌も外に出てしまいます」

五条理事長、ドアを諦め、馬場教授に従って実験室に入る。

「これが問題の培養槽です」馬場教授が指差したのは、ステンレス製の丸みを帯びたタンク。脇の圧力計の針は、既に、最大目盛を振り切っている。

馬場教授は天井から垂れ下がるクレーンの操作ボックスを掴み、いくつかボタンを押すが、クレーンは動かない。目を凝らしてクレーンの部分を見ると、クレーンはレールから脱線している。

「圧力は抜けないかね」五条理事長が尋ねる。

「配管類は計算機制御になっていますから、我々の手では操作できません。マニュアルでできるのは、チャンバーの上部フランジに排出用タンクを接続してバルブを開く操作なんですが、排出用タンクを持ってくるクレーンが壊されています。排出用タンクを付けずにバルブを開くと、圧は下がるんですが、ウイルスが外に出てしまいます」

「圧力上昇はなぜ起こっているのかね」

「それを確認したかったんですが、温度は正常、外部からガスが供給されている気配もありませんので、チャンバーの内部に、何らかのガス発生要因があると思われます」

「で、対処はできんか」

「排出用タンクをロボットで持って来れるか、みてみましょう」

五条理事長と馬場教授のロボット、壊れたクレーンの下に移動する。そこには大きなタンクが幾つか並べられている。

「これです」

馬場教授、コンクリートの台座とタンクの間に手を入れて、タンクを一つ持ち上げようとするが、上下に長い球状のタンクには、クレーンの釣具が一番上についている以外、持つための手掛りがなく、持ち上げることはできない。五条理事長が協力するが持ちあがらない。

「あと五分で破裂します」と秋野助教授。

「そろそろ決断をしようじゃないか。仮にタンクを持っていけたとしても、圧を抜いている時間はないんじゃないかね」

「かなり苦しいと思います」馬場教授も諦め顔。

「宜しい、ガスを出して、全部燃やしてくれ」五条理事長。「わしと馬場君は、ここでウイルスの最後を見守るから」

「こちらも準備できています。ガス出してください。ガスの出を確認してから撤退しますんで」と英二。

タンク側では、すぐに液化ガスの元バルブを開く。

「バルブ開けたぜ」と真田。

しかし、英二の外した配管から、ガスは噴き出さない。

「ガス出ません。どこかまだ閉まっているんじゃありませんか?」

「こっちは全部開いてるぜ」

「英二君、遮断弁を忘れていた。壁のところに黒い箱のようなものがあるだろ」と、馬場教授。「その横にバイパスバルブがあるはずだから、それを開けてください」

英二と綾子の操る大型ロボット、液化ガスの配管をたどり、遮断弁を見付ける。バイパス配管のバルブを開くと、今度は、先ほど外した配管の端からガスが噴き出す。吹き出すガスはすぐに液状に変り、白煙を上げながら床に広がる。空気吸入口に白煙が吸い込まれる様をみつめる英二。

「あと二分です」と秋野助教授。

「ガス出ました。脱出します」と報告すると、英二は綾子にも脱出をを促す。「出るよ。だけど、火花を出さないように、そーっと動いてね」


「船長が船に残るようなもんだな」と五条理事長。

「この部屋、窓がない造りになっていますから、火さえ燃えてくれれば、ウイルスは大丈夫でしょう。ファンが逆流してますから、ガスも入ってきますよ」と馬場教授。

英二と綾子、注意深くロボットをB棟入口まで進めると、一気に駆け出す。

「いくぞー」

二人の脱出をみた真田、これも大型ロボットを操り、石に巻いた布を油に浸し、そこに火をつけたものを、えい、とばかりにB棟の二階の窓をめがけて投げ込む。

一瞬にして火に包まれるB棟。馬場教授と五条理事長のロボットにも炎が迫る。

「来た来た」と馬場教授。

「実験室、引火を確認」と五条理事長。「このロボット、随分丈夫じゃないか」

「水圧式ですから、水の配管で冷却できるんでしょう」と英二。

「ウイルス容器破裂」と、馬場教授。「ウイルス、完全に火に包まれました。大丈夫でしょう」

そのとき、五条理事長と馬場教授が、突然、相次いで「うわー」と悲鳴を上げる。

「ティーチングマシン切ります」と、英二。「水圧の片方がいかれましたね。モーションフィードバックに変な力が返ってきたんです」

「しかしこれはちょっとしたショックだね」と、五条理事長。「事務員達も、やられたときには、相当なショックだったんじゃないかね」

会議室にいた人たちも、A棟の玄関前に出てきて、B棟を焼き尽くす炎を呆然とみつめる。

「あーあ、みんな燃えてしまったな」と勇作。

「もっといいものを作りますよ」と馬場教授。

「そういや、金はいくらでも出すから、施設を充実させろと、総理も言っとったな」


午後二時半、警察が、ロボットの残骸を掻き分け、やっと、A棟前に到着する。

消防車もサイレンを鳴らして駆け付けるが、五条理事長の説明により、しばらく燃えるに任せることとする。やがて液化ガスも尽き、火災は自然に消火する。

複雑な背景があることを理解した警察、とにかく、現場検証をした後、ロボットたちを証拠品として押収し、ロボットを乗せてきた五台の軍用車と共に、警察署に持ち去る。

焼け落ちたB棟は、依然、高温状態であったため、消防車の水を一しきりかけた後、現場検証を行う。


第1章 千手
第2章 出会い
第3章 人工知性体
第4章 レイヤの誕生
第5章 レイヤの復活
第6章 レイヤの追跡
第7章 レイヤの篭城
第8章 レイヤの時代