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情報伝達がつくる「知性」

岡本裕明氏の11/5付けアゴラ記事「シンプルライフのススメ:スマホからひと時も手を離すことはない現代人」へのコメントです。


昭和の時代だって、おかしいといえばおかしかったですよ。何しろ、満員電車の中で、かなりの人が日本経済新聞を読んでいる。縦長に折りたたんで、器用なものです。帰りの電車では、新聞を読む人は少ないのですが、月曜には少年ジャンプ、水曜には少年マガジンを読む人が、どこを見渡しても7人掛けの座席で2人以上いたりする。

スマホを見ている人は見ているコンテンツはバラバラで、いわば、文庫本を読んでいるようなもの。それに対して、特定の新聞やコミック誌を読んでいるというのは、内容も同じなのですね。まあ、それなりに内容も豊かであった、ということかもしれませんが。現に、我が国のコミックは、やがて世界を席巻することになるわけですから。

しかし、内容バラバラのスマホを見る人々が多い世界と、同じコンテンツをみんなが見ている世界の、どちらがまともか、といったら、内容バラバラのコンテンツを見ている方がまともであるような気がいたします。それがさして高度な内容でなくとも、ですね。

人びとがコミュニケーションチャンネルで結ばれている、ということは、社会にとってけっこう大きな意味を持つかもしれません。ニューロンが、一つ一つはたいしたことをしていなくとも、互いに接続されておれば、全体として極めて複雑な働きをすることと同じなのですね。つまり、知性を持ったりしてしまう。

スマホで結ばれた人々も、全体として一つの知性を持つのかもしれない。昆虫の世界では、swarm intelligenceなどといわれているのですが、人類も、新たな進化の段階に差し掛かっているのかもしれませんよ。まあ、そうして生まれた知性が、果たして、病んでいるのかいないのか、は別の問題ではあるのですが。

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