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現実は複雑:推定無罪が大原則

池田信夫氏の4/13付けアゴラ記事「小池百合子氏とカイロ大学の深い闇(アーカイブ記事)」へのコメントです。


本件も、推定無罪の原則に従えば、学歴詐称がなされたと断言することは難しいのではないかと思います。

一つは、「一年落第した」と書かれているので、カイロ大学の2年に編入後3年間で卒業できる訳はない、と考えられている点ですが、編入した理由がカイロ・アメリカン大学で進級できなかった(でも、カイロ大学では2年への編入を認めてくれた)ということであれば、これを「落第」と表現することもあり得なくはないと思います。このあたりは、当人の著書の表現をよく見なくてはいけませんが、著書にどこまで正確に書くかという保証もなく、この部分は闇の中ということになりそうです。

第二に書類がルーズなところがあるように見えますが、エジプトの大学がどの程度、文書管理を厳格に行っているか不明であれば、ルーズであることが普通であるのかもしれません。また、本人が卒業証書を提示できないといっても、普通の大卒の日本人でも、卒業証書などどこかにやってしまった人は多いのではないかと思います。

その他、アラビア語の読み書きがあまりできなくて卒業できたのはおかしいとのことですが、これも、何らかの補助がなされれば不可能ではないはず。日本の大学への留学生も、日本語など片言の人は結構いるのではないでしょうか。私がいた研究室にもインドからの留学生がおり、インドなまりの英語で質問されて苦労したものです。

まあ、ありそうなところでは、卒業にあたって、多少の例外措置をしてもらった、などということがあるかもしれません。でもそれがエジプトの普通のやり方なのであれば、それも卒業には違いない。日本の大学だって、単位を落とした学生が教授室を訪ねて泣き言を言って、お情けで単位をもらう例がないともいえない。まあ、このあたりのストーリーは闇の中ですが、それが正式の卒業であれば、筋道は不問ということになるのではないでしょうか。現実とは、結構複雑なものですから、あまり単純に考えない方が良いと思います。

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