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美学(誇り)から生まれる倫理

黒坂岳央氏の7/28付けアゴラ記事「ビッグモーターだけではない!企業不祥事が起きる理由」へのコメントです。


コンピュータ関係の国際学会であるACM(Association for Computing Machinery)は「ACM倫理綱領と専門的行動」と題する、コンピュータの専門家の個人的責任を規定する文書を定めております。

倫理と言いますのは、人が良く生きるために守るべき道であり、そのためには「アレテー(卓越性)に即して生きよ」とアリストテレスは言います。この卓越性とは、最終的には、ヒトの動物に対する卓越性である「知性」にたどり着くのですが、それ以外にも様々な意味があるのですね。

普通に卓越性といえば、それぞれの人が得意とすることであり、魚を獲るのがうまい人は漁師として、戦いに長けた人は軍人として生きることが推奨されるのですが、ここにはある種の美学、誇りといったものが伴うのですね。

コンピュータに限らず様々な専門家にしても、己の得意とする技術知識に対して誇りを持ち、美学を持たなくてはいけない。そしてこれを守り、他人にも認めてもらうようにすることで、専門家は社会的に高い評価を受ける。このために倫理基準は守られなければいけないのですね。

このような考え方は、生活水準が一定以上に達したところで自然に芽生える。まあそれにはある程度の時の流れが必要なのですが、少なくとも先進国の一定レベル以上のひとが共通して持つ価値観に含まれる。それを持たない人は、成り上がりだとか成金だとか呼ばれて低くみられてしまうのですが、まあこの某社のトップについて論評することは差し控えておきましょう。

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