コンテンツへスキップ

チンパンジーかピーターパンか

長谷川良氏の10/3付けアゴラ記事「"ドリアン・グレイ"になってはダメ:教皇が成長を拒む男性に危機感?」へのコメントです。


だから宗教は駄目なのかも、とこのエントリーを読んで思いました。

リンダ グラットン, アンドリュー スコットらの書物「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」は人生100年時代の生き方を扱っているのですが、その中でネオテニー(幼形成熟)の重要性を語っているのですね。

幼形成熟とは、体は大人になっても、どこかに幼い部分を残している成長の仕方で、だから、いつになっても変化することができる。人間はチンパンジーのネオテニーである、などという極論もあります。これは、人間の身体的特徴がチンパンジーの幼児に似ているところから唱えられた説なのですが、人間を完全に成熟させるとチンパンジーになってしまう、そうなるとそれ以上成長できない、という意味であるとも解釈できます。

宗教は神という完成された姿を前提とする。そうなりますと、それ以上は成長できないということにもなりかねません。人は未来の自画像を固定しちゃいけない。常に未来には白紙の部分を残しておかなくちゃいけないのですね。

まあ、このお話、「神=チンパンジー」などというようなことにもなりかねず、あまり大きな声では言わない方が良い説なのですが。

1 thoughts on “チンパンジーかピーターパンか

コメントは停止中です。