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国立感染症研究所問題

アゴラに永江 一石氏が「コロナが空気感染するならいままでやっていた対策は全く無意味」と題する記事を書かれています。世の常識に反して、国立感染症研究所は、コロナは空気感染しないと言い張っていたのですね。それが最近、やっと空気感染すると認めた。この研究所、厚労省所管の公的な研究所であるだけに、その判断が政策に直結する。そんな研究所が誤った判断を下すことは、大きな問題といえるでしょう。


3つの感染機構

コロナの感染には、三つの感染機構があるとされています。

第一が接触感染で、感染者が手を触れることで、ドアノブや手すり、スーパーのかごやカートにウイルスが付着し、これを他の人が触ることによって手指にウイルスが付着する。この手で顔や、特に粘膜を触るとウイルスが体内に取り込まれて発症する、というものです。

接触感染を防ぐため、多くの場所でアルコール消毒するようにした。また、レストランのテーブルなど、多数の人が触るところの消毒を念入りに行うなどがおこなわれたのですね。個人のレベルでは、帰宅時の手洗いが奨励されたりもしております。

第二に飛沫感染で、感染者が咳をした際に、ウイルスを含む唾液粒子が飛んでくる。これが粘膜などに付着することで感染するというメカニズムがあります。これを防ぐためには、他人との間に間隔を取る、ソーシャルディスタンスという対応がなされ、1.8~2m離れることによって飛沫感染は防げると考えられておりました。対面会話をする際に、間にアクリル板を設置するのも飛沫感染を防止する手段なのですね。

第三が空気感染で、感染者の咳や発話などに伴って空気中にウイルスないしこれを含む微粒子、エアロゾルが放出され、これが気流によってはこばれ、呼吸により人の喉や肺に到達して感染するというメカニズムです。

新型コロナが問題となりました当初は、空気感染はしない、とするのが世界の常識でした。このため、接触感染を防ぐため、手指の消毒、手洗いの励行、不用意に手で顔を触らないことなどが呼び掛けられました。また、飛沫感染を防ぐため、ソーシャルディスタンスやアクリル板の設置が推進されたのですね。

ところが、2020年の3月末から4月の初めにかけて、MITの研究者らが、感染者が吐き出すウイルスを含むエアロゾルが10m以上飛散するという研究結果を明らかにしました。そしてこれが、呼吸により人体に取り込まれるのですね。このため、エアロゾルによる感染(「空気感染」の一種)を防ぐことが、コロナの感染拡大のカギと考えられるようになりました。

このエアロゾルの大きさは、20μ以上の大きさがあり、マスクでも十分にキャッチできるというのですね。また、このエアロゾルをまき散らすのは、症状のある感染者だけでなく、無症状の感染者もウイルスを出していることも明らかになった。こうなりますと、街を出歩く際には、さしあたりマスクをして、エアロゾル感染をしないようにしなくちゃいけない。

今回の話題からは外れますけど、こういう事実が明らかになったのが、アベノマスク配布と時を同じくしていた、というのが一つの面白いところ。いろいろ批判のありましたアベノマスクですが、エアロゾル感染の発見に助けられ、先見の明のある政策になったわけです。

感染研の問題

エアロゾル感染(空気感染)が問題ならば、アクリル板の設置や床に足跡を表示してのソーシャルディスタンスの呼びかけは、あまり意味がない。永江氏の主張するほどに、まったく意味がないというわけではないのですが、このために投じられた膨大な費用を考えると、ここまでやる必要はなかったように思われます。

そんなことよりも、入場人数を制限する、換気を多くする、マスクを付けるなどの対応に注力すべきであったのですね。

で、感染研の問題は、空気感染を認めたのがつい最近であるという点で、このために、コロナ対応の政策を間違えている。世界は2年近く前に気付いているというのに、我が国は何をやっていたかと思いますよね。

でも、感染研が厚労省の下にある組織であるといわれますと、なんとなくうなづいてしまう。この役所、少々問題のある組織でして、最近のワクチン担当相交代をめぐる河野氏の発言からも、なんとなくそういう雰囲気は伝わってまいります。曰く

河野氏は、菅内閣で行政・規制改革相として新型コロナのワクチン接種を担当した。「放っておくと好きにやる厚生労働省を張り倒すのが仕事の半分以上だった」と振り返り、「労働と年金をやる役所と、医療関係をやる役所に分けなければならない」と、厚労省分割も唱えた。

ですからね。

厚労省が問題を抱えた役所であることは、消えた年金の当時から明々白々としておりました。今からでも遅くはないですから、厚労省の改組を進めなくてはいけません。

結局のところ、医療関連業務をこの人たちに任せておいては、国民の犠牲が増えるばかり。医療関係は、大学病院なども所管する文部科学省に移管するのが妥当だと思います。また、消えた年金をめぐっては、この人たちにお金を扱うことを任せてはおけないという問題も明らかになっておりますから、年金、保険関連のお金を扱う業務は財務省に移し、国税庁と一体化する形で運用するのが良いと思います。残る労働関係は、総務省あたりかな? まあ、ここまでやれば、この省庁は不要ということになります。

能力主義との関係

最近、働かないおじさんの問題がクローズアップされ、民間企業では、ある種の能力主義に向かう方向も見えております。でも、競争の厳しい民間企業と異なり、官庁においては、なかなか能力主義を徹底することは難しい。

とはいえ、実質的に能力主義を取り入れざるを得ないように、官庁の管理を持っていくことならできる。これは、ある種の実績主義で、問題のある官庁は廃して、構成員は他の官庁の下につける。成果を上げている官庁は拡張し、ポストも増やす。こういうことを積極的に行えば、官庁といえども実績を上げざるを得ず、有能な人物に力を発揮してもらうようになるはずです。

厚労省の問題は、このような方向に全官庁の管理を向かわせる、格好の機会だと思いますよ。

官庁の監督をしっかりしないで、民間にばかりプレッシャーをかけると、いずれは不満の声が高まる。ここは、日本の様々な組織で、みな等しく、苦労するようにしなくちゃいけません。

国際環境もだんだん厳しくなっているのだから、昔のように、のんきにしておれば成果が上がるという時代とは異なる。すべての国民は、この点を重々認識しなくてはいけません。

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