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ミスター・タンブリンマン

ローゼンバーグ事件に関するBLOGOS記事をみて、Mr. Tambourine Man (Live at the Newport Folk Festival. 1964)を思い出し、改めて鑑賞しております。

これ、ボブ・ディランの魅力を余すところなく伝えておりますビデオクリップなのですが、「『海賊版は本当にひどい』とディランは1985年にキャメロン・クロウに愚痴っている」などと書かれてしまいますと、この手のビデオクリップをみるのが少々ためらわれますね。

で、このタンブリンマンですが、街を訪れたタンブリンマン(タンバリンをかき鳴らす人)に、若者が、私をどこかに連れて行ってくれ、と頼むたわいのない歌詞なのですが、味気のない日常生活から抜け出したいと考える若者の気持ちは、普遍的なものであるのでしょう。

まあ、そこに資本主義の問題を見出す人もいるのですが、さすがにそこまでの意味は、この歌詞自体には直接的には含まれていないでしょう。若者の閉塞感は、資本主義固有の問題であるということでもないのですね。

で、この歌詞をみて、【イケハヤ師=タンブリンマン】ではなかろうか、とふと思いました。

イケハヤ師のやっておられますことは、そうそう理想的な道を示しているようにも思われないのですが、若者が日常を捨て去ることができる、実行可能解を示していることは事実です。その結果、後悔することになるかもしれませんが、少なくとも、今抱えている問題は解決される。タンブリンマンに付いて行っても、それで未来が開ける保証はないのと同じなのですね。

だから何だ、ということもありません。そうした思いを胸にミスター・タンブリンマンを鑑賞する。ちょっと素敵な時間の過ごし方だと思いませんか?

ちなみに、タンブリンマンの一つの例は以前のブログでもご紹介いたしましたこれをご参照ください。