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モーニング・エンジェル

このご機嫌な歌、何人かの歌手が歌っているのですが、それぞれに雰囲気が全然違う。その面白さを味わってください。


まずは、歌を

最初がこの方。P. P. Arnoldの1968年のカバーです。P.P.アーノルドさんは、本名をパトリシア・アン・コールといい、1946年10月3日生まれの米国のソールシンガーで、1966年に英国に渡って成功を収めた方。その実力の程はこのビデオクリップからもうかがえますね。

あ、歌を聞きながらこの先も読み進めるには、歌のアンカーテキスト上でマウスを右クリックして、「新しいタブで開く」を選択すれば、こちらのテキストはそのまま読めます。ただし、裏で開いた画面に「広告をスキップ」なんてのが出ていれば、こいつをクリックしなくちゃいけませんから、ちょっとだけ寄り道が必要です。

同じころにBillie Davisの1968年のカバーもありますが、こちらは少々負けています。

こちらはThe New Seekersが1970年にリリースしたもの。音の心地よさではこれがベストのように思います。まあ、気合とか、心の入り具合が薄いとか言われますと、ちょっとアレですけど、現代向きじゃないでしょうか。

で、いちばんあたらしいのがJuice Newtonの1981年のカバー。とはいえ、このビデオクリップは相当なおばあさんですから、もっと最近の作品かもしれませんね。こちらは2012年のカバー。でもこちらの方が若々しい。

さて、Wikipediaによりますと、最初のバージョンMerrilee Rushさんの1968年のリリースということでした。こちらも悪くはありませんね。ちょっとおとなしすぎると言いますか、優等生的であるところが、今一つ萌えないのですが、、、

しかし、こう見てまいりますと、1968年の発表以来、次々と、この歌をカバーする人たちが現れる。まあ、ジュース・ニュートンさんは新しいのですが、その他の方々は、初出から2年以内に次々と発表されております。すごいですね。

歌の意味

morning angelというのは、妻ある男に不倫している女性で、全部わかっていて、朝には男にさよならをする、という意味と私は解釈しましたけど、間違っていますかね?

これ、男に都合のよい女、でもあるのですが、己の感情に素直に生きる自由な女性像でもあります。1968年という時代は、女性の解放の時代でもあったのですね。まあ、それが男にとって都合のよい考え方でもあったのかもしれませんけど、、、

自由恋愛などが理想的姿として思われていたこともありますし、原始共産制やアナーキズムまでが一つの理想と思われていた時代でもありました。まあ、がちがちの管理を嫌えば、その対極にこの手の世界がある。これは否定できないのですが、今にして思えば、そこに理想の世界があるわけでもなかった。

そういう、ある種物悲しい、でも理想を追い求める、心の叫びだと理解すれば、この歌もなかなか意味深な歌のように聞こえるのではないでしょうか。

ちなみに、歌詞はこのあたりにあります。

ふうむ、これもそんな雰囲気かな? 前半2分30秒は飛ばしてみるのが吉です。


4/26追記:本日、マスク氏のツイッター買収のニュースが流れております。マスク氏、バイデン流のポリティカルコレクトネスを嫌い、言論の自由を全面的に認めたいとしております。

これは面白くなりそうなのですが、このエントリーのテーマにも沿う話です。つまり、本稿での私の立場としては、マスク頑張れ!なのですね。この話、ちょっとややこしいのですけど、この先を読んでいただければ、なんとなくわかっていただけるかと思います。

同じ文脈で、岸田総理も否定されそうなところが、ご愛敬ですが、、、


(4/17追記)私のデスクの透明な樹脂板の下に、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」がはまっております。もちろんこれ、本物であるわけはなく、A4程度の用紙に縮小印刷された複製品なのですが、これを最初にみたときにちょっと感動して、オルセーの売店で買い求めたものなのですね。

この美術館、順路通りに歩くと印象派のまえに通る部屋には、宗教画や敬虔なキリスト教徒の男女の肖像画が多数飾られております。そこに描かれた人々は、たしかに、端正で美しい人たちなのですが、心が死んでいるとの印象を受けていたのですね。

で、次の大部屋の入り口のわきの壁に飾られていたのがこの絵画。コピーは小さいのですが、実物は非常に巨大なもので、己の心に正直に、生き生きと生きる人々の姿が描かれている。これ、ある種の人間解放なのですね。

今という時代も、ヴァチカンが権勢を誇った時代に近づいている。カトリックの教義に代わってポリティカルコレクトネスが人々の精神を束縛する。火あぶりの代わりに炎上がある。そうして人々は、心を閉ざし、敬虔なポリティカルコレクトな人物にならんとする。

一方でこれに反発する人たちも出てくるわけで、米国にトランプあれば、欧州にルペンあり。そんな時代を考え直すヒントに、この曲はなるのではないかな?


最近のアゴラ「月曜日のたわわ」の騒動を伝えています。これも上に書きましたお話とひとつながりの現象ですね。(漫画はこちらで公開中です。)

さすがに昔のスポーツ新聞のように、巨大なヌード写真を掲載した新聞を電車の中で広げるのは、「見たくないものを見ない権利」に触れると言われればそうだと思いますし、幼な妻みたいな映画も少々問題がある。

しかしこのくらいのものは、認めたって良いような気がします。まあ、このコミックの内容が相当に過激なものであるなら、それを知る人が怪しく思うこともあるかもしれないのですが、その手の知識のない人は、この程度の絵でおかしくなったりはしないでしょう。

第一、このくらいの女子高生なら、そこらを普通に歩いている。10人が10人そうだ、とは言いませんがこの程度の人は1%程度は実在する。いわゆる3σの内側なのですね。決して奇人変人超人類絶滅危惧種の類ではありません。

これを取り締まれと言い出したら、そっちの方がよほど危ない。これを問題視する人たちは、そのあたりまで想像力が働かないものなのでしょうか? 不思議です。(左下の小さな絵が問題なのかな? でもこれ、写実的というよりも、デフォルメってやつでしょう。こんなのでおかしくなる奴がいたら、そりゃ、病院に行った方が良い。)

実際のところ、この騒動のキモは、「巨乳表現は叩け」という脊髄反射といいますか、成功体験といいますか、そういうつまらないものがあり、そら出た、そら叩け、という単純な反応が起こっただけではないかという気がします。

税金を使う官庁がやることと、一介のコミック誌がやることとの許容範囲というか、クリアランスの違いというものがわかっていない人たちではあります。


今の時代、こっちの方こそ聞いておかなくちゃいけませんかね。一応、置いておきます。これもなかなか面白い。

PPMのカバーする風に吹かれて、これ、ボブ・ディランの代表曲なのですが、こちらの方が音楽的には心地よい。(ボブ・ディランといいますと、こちらがベストのコンテンツだと、私的には思っております。ミスター・タンブリンマン、ご機嫌でしょ。ちなみに、我が国のタンブリンマンは、こちら。しかし、裕也のステージで、よくやりますね。このおっさん)

で、風とほとんどおんなじテーマの歌がこちら。これもそれなりに、今の時代には重きをなす歌ではあります。わらしべ長者みたいな歌詞ですけど、その内容はずっと重い。そういうことが現実に、今、起こっている。この事実は、今を生きるものとして、しっかりと受け止めなくてはいけません。

これらの歌が歌われていた時代、馬鹿なことをやっていたのは米国で、その舞台はヴェトナムでした。今それと同じことを、ロシアがウクライナで行っている。まだまだ小規模ではあるのですが、ことは始まったばかり。我々も、できることをしなくてはいけません。

そういえば、いまロシアに助力するベラルーシがロシアの同類とみなされているのですが、ヴェトナム戦争の当時、米国を支援していた国々の一つが日本だった。ベラルーシと同じポジションであった、ということですね。当時の米国の反戦運動にしたところで、今のロシアの反戦運動に並べてみれば、その評価もまた違って見えるのではないかな?

そういう意味で、これらの古い反戦歌も、再び輝きを取り戻しているような気がいたします。


メラニーのレイダウン、新しいのがアップされていますね。以前のビデオクリップとほとんど同じなのですが、先頭に、インタビューが付け加わっています。字幕があるのですが、たぶんオランダ語。ちんぷんかんぷんです。

字幕、ちょっと訳してみましたが、何を言いたいのでしょうか、よくわかりません。質問と返答の順序が逆になっているように見えます。(黒い字は私の解説です)

Vertel‘shoe oud ben je?
Ik wil’t over’t liedje hebben.
Ga je gang.
教えてください'あなたは何歳ですか?
その歌について話したいです。
どうぞ。
私の歳など聞かないで、歌について聞いてくださいね、ということでしょう

Het gaf me echt ‘n te gek gevoel.
Dat liedje overkwam me gewoon.
それは本当に私を夢中にさせました。
その歌はちょうど私に起こった。
突然この歌が閃いて、私は夢中になった、ということかな

Maar ik kon ’t niet in m’n eentje opnemen, zo bijzonder was het.
でも一人ではできませんでした。レコーディング、それは特別でした。
この歌のレコーディングは一人ではできなかったのだけど、それは特別な経験だった、ということね。

Het leek me geweldig om het te zingen met ’n gospelgroep…
Maar ik geloofde niet dat de Edwin Hawkins Singers ’t zouden willen.
ゴスペルグループと一緒に歌うのはいいなと思いました…
しかし、私はイーウィン・ホーキンス・シンガーズがそれを望んでいるとは信じていませんでした。
イーウィン・ホーキンス・シンガーズは、大物ですから

Want die waren beroemd.
Waarom doe je ’t niet?
彼らは有名だったからです。
どうして?


ここでメラニーが語っている内容の一つは、The Edwin Hawkins Singersと共演できたことが幸せだったということ。この人たち、ゴスペルシンガーズで、代表曲はOh Happy Day、そして、二度目のランク入りした曲がレイダウンだった、ということです。

The Edwin Hawkins SingersのOh Happy Dayはこちらこっちの方が全然よいですね、こっちかな?)。これって、天使にラブソングで歌われていたやつですかね。まあ、ゴスペルですから、このシーンで歌われることに何の不思議もないのですが、、、

Oh Happy Dayには、こんなのも。良い歌は、多くの人が歌いたくなる、ということでしょう。しかし、この歌詞、ちょっと調子が良すぎやしませんか? どうでも良いけど、、、

メラニ―のレイダウンの意味ですけど、武器を捨てて横たわれ(死んだふり?)、なんて解説も見かけたことがありますけど、これ、鈴木大拙の大地、ですよねえ、、、 メラニーはウッドストック音楽祭で大いに感ずるところがあってこの歌を作ったのですが、この音楽祭が、まさに、大拙の言う禅の神髄が現れた場所だったのですね。つまり、そこで人々は大地の存在を悟った。大地に身を投げ出すレイ・ダウン、全く正しい行動です。


それにしても、いよいよ核兵器が使われるかもしれないということになりますと、一蓮托生の美しい人たちをうたい上げた、こちらもニューシーカーズのBeautiful Peopleが説得力を増しますね。まあ、もとはメラニー、なのですが、、、 うーむ、メラニーも悪くありませんね。うわっ、こんなのも。

あらら、これもメラニーでしたか。ニューシーカーズのオリジナルかと思っていたのですが、、、 ニッケルソング、別に、反戦歌というわけでもなく、ジュークボックスに5セント玉を投入すると音楽が始まる、私たちが歌い始める、というわけです。この手の気楽な歌も、深刻な歌の間に挟んでおくのは、まあ、精神衛生上非常によろしいかもしれません。

ニューシーカーズのご機嫌な歌は、こんなところにもありますね。それからピンボールの魔術師も。こちらは元歌 The Who版ですが、一般の方には、エルトンジョンが良いかも。大英帝国、偉大なり、です。

Beautiful Peopleの意味、みんな同じ核ミサイル発射ボタンのまえにいる。つまりは、銃殺刑を待つ死刑囚のような存在なのですね。これこそ究極の平等、人類みな兄弟、です。なんて美しい人たちなんだ! っていうのは、もちろん皮肉。

核兵器のまえに、全滅の危機にさらされた人々がいる、なんて現実は、全く間違っている。つまり、そんな兵器は使えない。使えない兵器のために、巨額な国家予算が投じられ、暴発のリスクをテイクする。ばかげた話です。

でもそれを持たないと、いつい相手に使われるかわからない。これもまた、ばかげた話なのですね。そんなウクライナを見て、北朝鮮が自信を深める。これもまたばかげた話。一つや二つ、核ミサイルを撃ち込んでどうなるというのでしょうか。やるならきっちり、人類を絶滅できるよう、一千発くらいの核ミサイルを準備しなくちゃいけません。やーい、黒電話、あんたにゃ出来んじゃろ!

広島も長崎も、原子爆弾が落とされましたし、甚大な被害を出しましたけど、時間がたてば元の活況を取り戻す。北朝鮮が我が国のどこかに打ち込んだところで、起こる事態はそういうことで、誰が得するわけでもない。そして、そうなれば、おそらくあの黒電話は銃殺刑に処される。これ、そうそう、おいしい取引ではないのですね。

まあ、そのあたり、あのブーちゃんにも、わかっているとは思いますけどね。

なお、ニューシーカーズにご興味のある方は、こちらからご覧ください。結構良いですよ。Live at the Royal Albert Hall, 1972だしね。


あの時代には、こんな曲も。イエローサブマリンbyビートルズです。(レコードはこっちですね。こっちは、アニメ公式PV、たぶん)この中でご機嫌だった曲が「ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man)」、アニメで青い顔をした奴のBGMとしてうたわれておりましたね。でもボッチ、それほど悪い状況でもないのだが。アニメのオリジナルはこれでしたっけ? ちょっと違うような気もするのだが、、、第一、3Dアニメなんて技術はあの時代にはなかったヨ! これじゃない、ぜったい!

このNowhere Manは、なんか、まゆゆ推しみたいなんですけど、誰推しなんでしょうか? ん? こっちがいいかな? 無茶苦茶みたいな感じだけど、良い雰囲気ではあります。

そしてEleanor Rigby(エリナー・リグビー)これが本物か)(解説はこちら)、ビートルズの黄金時代のような印象を受けるアルバムです。とはいえ、この素晴らしい楽曲のテーマが孤独に対する嫌悪というのがどうも解せない。「友情」とかが高く評価される、そういう時代だったのでしょうかね。

まあ、日本にだってそういう時代があった。それを再現するシーンだってあったのですね。日本人は、こういう人たちがいたことを誇ってもよいと思うのですが、、、こんなんだって、、、

ありし日の西岡恭蔵氏です。良い時代があったものです。その時には、わからないのですけどね。

西岡さんといえば、こいつも忘れちゃいけません。グローリー、ハレルヤ、です。まあ、神様を信じることができる人は、幸せな人生を送れるのですが、私はまた別の道を歩むことにします。ま、苦難の道、ではありそうですが、、、

まあ、恭蔵 氏の代表曲はプカプカ、これは誰もが認めるところでしょう。なお、西岡恭蔵に関しては、この追悼コンサートを落としちゃいけません。


AKB48「元カレです」です。Wikipediaによりますと2022/5/18の発売。え?

ワタシハ、ミライニ、イル

ちなみにまだ、2022年の4月です。まあ別に、PVを先行オープンしても悪くはないのですが、ちょっと早すぎるかも、、、

このコンテンツ、なぜか、まゆゆのような方々(つまり、ツインテ―ルの人)が多い。まゆゆは、すでに引退済みで、タレント活動をするという話もあったのだけど、病気をしたのか、その話も立ち消えております。

いったいどうなってしまったのでしょうか、、、

ネット上にはまゆゆ推しのビデオクリップも多数アップされているのですが、、、

まあ、ここは知らんぷりが正解かな? 「病気」って、故意の病かもしれないし、その結果、本人結構幸せだったりするかもしれないし、、、(誤変換は、あえて放置しましょう)

それにしてもこの「元カレ」、哲学的素材としては秀逸なのですが、音楽的素材としてはどうでしょうか。AKBに求められていたものは、こういうものだったのでしょうか。私には相当に懐疑的ではあるのですが、、、 ま、多くは語るまい。


チューインガムの「北へ行く二人」。試聴版しかないのですが、、、カバー曲なのがなんですけど、声はこの曲が一番だと思います。まあ、相当に大人びている、ともいえるのだが、、、

通しのURLはこれ。相当に音質が悪いのですが、大昔のラジオで、遠方の放送を聞いているときみたいな雰囲気で、なかなか良いかもしれません。音楽を愛するということは、つまりこういうことかもしれない、なんて気になったりします。

しかしこの人たち「え」の段の声が良くないですね。そういえば、丸谷才一氏がかつてどこかに書いていました。「え」は、古い日本語にはなかった音で、今でもろくな意味はないと。まあこれ、「平成」批判なのですが。つまり平成は、「へーせー」だと。両方とも「え」段で、しかも「は」行が最悪と。「へ」とかね。歌を作るときに「え」の段を外す。これ、ひょっとするとノウハウかも、、、

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