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問うべきは為替のあるべき水準

岡本裕明氏の4/27付けアゴラ記事「QT予想ハズレ。為替は何処に?:円安容認と受け止められた植田総裁」へのコメントです。


円安万歳とは輸出ドライブが効くという話なのですが、今の日本が目指すのは品質であって価格ではないのです。よって円安で輸出が促進される、あるいは利益が出やすいというのは発想として日本が汗をかかずに儲けられるストーリーになってしまうのです。これが私は嫌で嫌でたまらないわけです。悩ましいと思います。

円安は、「日本が」汗をかかずに儲けられるストーリーかもしれませんけど、円高は「日本人が」汗をかかずに儲けられるストーリーなのですね。

円が安くなれば、何もしなくても輸出品の競争力が増す一方で、円が高くなれば何もしなくても日本人の実質的な給与は増える。これ、じつは同じコインの裏表なのですね。つまり、円建ての給与が変わらないから、ドル円の上下によってドル建ての日本人給与が変わる。これが、国際競争力を上下させる一方で、暮らしやすさも上下させる。

この問題に対して適切な解を得るためには、給与生活者と企業サイドが力比べをすればよいというものでもない。日本企業の国際競争力に応じて、落ち着くべきところに落ち着かせなくてはいけないのですね。

そうなってまいりますと、100-120円/ドルという為替水準が、果たして妥当なものであったかを検討しなくてはいけない。ここ30年、日本のGDPも給与総額も全然伸びていない、これをどう考えるのか。1985年のプラザ合意時点で妥当と考えられていた為替水準165円/ドルが、実は今でも妥当な水準ではないのか。あるいはここから日本は弱体化しているのではないか。そういった点を問い直していく必要がある、と私は考えております。違いますかねえ。

1 thoughts on “問うべきは為替のあるべき水準

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