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ソフィスティケート、って洗練された、都会的って意味ですけど

哲学のページには、こんなことが書いてありますね。
8.3 ソフィスト
ギリシャ語で知者。「善」や「真理」は人によって異なる、絶対的な真理などありえないと言った。ソフィスト達は青年達に「どうしたら出世できる」という実践的な方法を教えていた。代表的なソフィストに相対主義者のプロタゴラス(BC480頃~410頃)、懐疑論者のゴルナアス(BC483頃~375頃)。

なんか、ポストモダンとも相通じるところがあるような感じも、、、

社会学も、アプローチ、というか目的意識というか、なぜ社会学を研究するかという、基盤の違いみたいなものがありまして、私は大きく3つに分類しています。

一つは、システム論に代表される、社会はどのように動くかを研究する立場でして、社会を動かすにはどうすればよいか、なんてことを研究するんですね。これ、実利を考えるととても大事な学問。特に、政治家とか、社会運動する人にはね。

もう一つの立場が、社会はいかにあるべきか、どんな社会でヒトは幸福になるんだろうか、なんてことを研究する立場でして、この日記は、この立場に立っているんですね。ま、アクセスを増やす裏技、なんてのは、システム論に近いかもしれませんけど、、、

第三の道は、社会とは何か、なんていう社会の本質を追及する立場でして、ギリシャ時代の哲学者の多くはこんな立場だったんですね。

昔の哲学は、すべての学問を含んでいましたから、哲学者は社会学者でもあったんですよ。そんな時代にソフィスト(知者)は、本質なんかない、と言い切って、出世の仕方なんかを教えちゃった。ま、前半は、私も同意するんですけどね。

ホームページにおいたSF小説「レイヤ7」の隠れたテーマの一つも、実は、この二つの対立、なんてのがありまして、教授たちは本質を追及するのに対し、企業から派遣された研究員はソフィストなんですね。で、学生達はその二つの立場の間で悩む、と、、、まあ、それがどの程度書ききれていたかは、私の表現力の問題ですけど、、、

結局のところ、英二とか、助手の洋子みたいに、この二つの立場を割り切って、双方の間でゆれながら、うまく世の中をわたっていく、そんなやり方が現代人には求められていると思うんですよ。

この日記は、社会のあるべき姿を、本質論を土台にして追求しつつ、理想社会を実現するための具体的な方法論まで踏み込もう、なんて、大それたことを目標としているんですよ~!! ま、野望というか、、、

豆知識:クラーク博士の「ボーイズ・ビー・アンビシャス」、正しい日本語訳は「少年よ、大志を抱け」じゃなくて、「少年達よ、野心的であれ」なんですよ~。はい、これ本当。