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公的行為の基本「フェアネス」

八幡和郎氏の12/9付けアゴラ記事「検察は悪質な既得権益を守るために新ビジネスを潰す」へのコメントです。


多くのコメントがちょっと外しているように思えますので一言申し添えておきます。

公的行為において守られなければいけない基準に「フェアネス:公正さ」があります。これは、近代的な民主主義国家では常識となっているはずです。八幡氏が指摘されているのは、ゴーン氏に対する検察の扱いは、フェアネスの点で問題があった、ということですね。

当時の日産の日本人幹部がゴーン氏に反感を抱くのは当然だと思います。つまり、彼らが日産を苦境に追い込んだ張本人であり、ゴーン氏がその苦境から日産を救ったわけですから、おのれのダメさ加減を白日の下に晒した憎き外国人であったわけですね。

もちろん、ゴーン氏に全く問題がなかったわけではない。違法行為を立証しようと思えばそれは可能であった。だけど、他に比べて妥当であったか、という点が最大の問題点で、検察の胸先三寸の部分の使い方が「フェアネス:公正さ」の基準に照らして妥当であったか、という問題ですね。これは、三井環氏のケースでも同様なのですが。

検察をコントロールできるのは、国会なり内閣なのですが、これがまた、叩けばホコリの出る人たちだとすると、検察の胸先三寸でどうにでもなってしまう。困ったものです。


どうでもいいけど、これ、3Dデータで書いていますね。MMDと同じ。時代は進歩しています。

1 thoughts on “公的行為の基本「フェアネス」

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