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時間のなぞ

以前のブログで、空間軸に時間軸を加えた四元時空の中で時間軸がどちらを向いているかは観測者によってそれぞれ異なる、ということを述べました。四元時空における物体の速度とは、その物体上に固定された座標系における時間軸に相当するのですね。このため、四元速度を今日の物理学者は「局所時間」とも呼んでおります。

さて、時間軸は空間軸と異なる扱いをしなくてはいけません。今日の一般的な扱いとして、等速直線運動する座標系への変換はローレンツ変換と呼ばれる公式に従って行われます。この変換は、時間軸を含む平面内での回転に他ならないのですが、空間軸のみを含む平面内での回転とは異なる扱いがなされていることに注目しなくてはいけません。

また、以前のこのブログでご紹介しましたように、時間軸を虚数として扱うならば、時間軸を含むか含まないかに関わらず、同じ回転変換公式を用いることができるのですが、空間軸が実数であるのに対し時間軸が虚数ですので、時間軸と空間軸とは異なる扱いをしていることに相違ありません。

今日の多くの物理学の教科書では、ローレンツ変換を用いる、時間を実数として扱う手法(実数時間)が主に用いられています。しかしながら、時間を虚数として扱う手法(虚数時間)もまた正しい手法であり、いずれを選ぶことも間違いではありません。

過去には虚数時間が一般的であった時代もあります。パウリの「相対性理論(上)(下)」はこの立場で記述されておりますし、アインシュタインが一般相対性理論を導いた際にも、虚数時間であるミンコフスキーの座標系が用いられました。これがなぜ実数時間に取って代わられたかも一つのなぞであるように私には思われるのですが、本日はこの議論は止めておきましょう。

さて、実数時間を用いましても、虚数時間を用いましても、ちょっと考えなくてはいけない問題があります。すなわち、時間を含むこの空間を扱う際に、時間軸は空間軸と異なる扱いとせざるを得ない一方で、時間軸がどの方向を向いているかは観測者に依存する、これをどのように考えるかという点が一つの難問となります。

虚数時間を用いてこの問題を整理いたしますと、四元時空そのものは等方的であり、四元時空のいずれの方向が虚数的に振る舞うかは観測者に依存いたします。これは驚くべきことです。四元時空が実在の世界であると致しますと、実在の世界は我々に見える世界とは全く異なる世界であるということになります。

我々には時間軸と空間軸は全く異なるものであるように見えているのですが、実在の四元時空には時間軸と空間軸の違いなどなく、この違いを生み出しているのは、観測する人間自身である、というのですから。

以前のこのブログで、四元時空はリールに巻かれた映画のフィルム同様、それ自体は動きのない世界であるけれど、われわれの意識はこれを順に再生しているから動きが見出されている、という説明をいたしました。

映画のフィルムでは、再生する方向は一通りしか取りえませんので、それぞれのコマを透明な印画紙に焼き付けて重ねて立体を作ることを考えます。この重ねた面に平行に順次スライスしたものを見ていけば、映画と同じ動きがそこに見出されます。また、重ねた面に対して角度をつけてスライスすると、元々の映画とは異なる動きがみられるでしょう。このスライス面に垂直な軸が時間軸に相当するということになります。

映画のそれぞれのコマは無限小の時間間隔で撮影されているとし、これを無限小の厚さの透明な印画紙に焼き付けたとし、これをいずれの方向にスライスすることも可能であると致しますと、重ねられたフィルム自体には方向の区別はなく、スライスする方向は観測者が自由に決めれば良いこととなります。

一方、スライスによって生成される面内方向と、スライス面に垂直な方向とは区別されますので、一方は実数的、他方は虚数的なふるまいをすることも、あり得ない話ではありません。

重ねられたフィルムをスライスして観測するという行為は観測者が行っておりますので、このように考えますと、観測者自らが特定の方向に虚数的性質を与えているということもでき、このおかしな現象にも一応は納得のいく説明ができるでしょう。

さてそうなりますと、何故に観測に伴い虚実の差が生じるのか、という問題が残ります。この問題につきましては、今のところ私にもさっぱり理由がわかりません。ただ一つ言えることは、このような問題を考える際には、虚数時間で考える方がわかり易かろうということ。ローレンツ変換では、何を考えればよいか手がかりすらつかめませんが、虚数時間なら一つのことだけはわかります。時間方向の距離を二乗すると負になるということですね。

もちろん、だからといって、解が得られたわけではない。これが現在私が大いなるなぞと考えている問題です。(2015/10/24:文章を修正し、以下を追加しました)


さて、四元時空中の物体がどのような構造をとっているのか、その中で観測者は如何に存在しているのかということをちょっと考えてみましょう。

これを考えます際に大いにヒントを与えてくれますのがファインマンダイアグラムです。このダイアグラムは、時間軸と空間軸で構成される平面に、様々な粒子の軌跡を描いたもので、互いに相互作用して絡み合っております。

ファインマンダイアグラムでは、空間軸が一つだけ表示されていますが、実際の世界は、三つの空間軸があります。そしてこれに時間軸を加えた四次元空間の中に、ファインマンダイアグラムと同様の形で物質(ray)が互いに絡み合いながら網状に広がっている、これが現実の世界ということになります。

人間もまた、この網状世界の一部として存在します。人の網膜も、神経組織も、脳も、この網状世界の一部であり、その脳の部分に世界や物理法則に関する知識が形成されます。

網状世界それ自体は四元時空中に存在し、いずれの方向が時間軸であるかは定まっておりません。したがって、時間軸も空間軸も同じ扱いを受ける、等方的性質を持っております。時間軸のみが虚数的ふるまいをするように観測されるのは、人の世界認識の部分での作用ということになります。

このように考えれば、この謎の解はすぐ近くにあるように思えるのですが、これというメカニズムがなかなか思いつきません。これを読まれている方も、ちょっと考えてみられてはどうでしょうか。


11/1追加:時間が虚数的に振る舞うのは、実在の空間が持つ性質ではなく、観測に伴って生じる現象であると致しますと、物理法則は実在の世界のふるまいを記述しているのではなく、実在世界がどのように観測されるかを記述している、といえます。これは、以前のこのブログでご紹介いたしました、量子力学の多世界解釈ともよく整合いたします。なにぶん、観測された世界は、観測ごとに生じるわけで、観測者の数だけ世界はあることとなります。

もちろんこの世界は、実在の世界に対する観測結果ですので、複数の観測者がおればこれらが互いに矛盾するものであってはいけません。それぞれの世界は異なる形に観測されるのですが、立体をいろいろな方向から眺めれば、異なる像が見えることと似通った話であって、四元時空の切断面が異なるから異なる世界が見えるというだけの話です。

また、それぞれの観測者の観測結果は互いに伝え合うこともできます。量子力学的な観測結果は、コミュニケーションにより観測を行っていない人間も知ることができ、これを繰り返していけば、人類全体が共有する知識となります。以前も議論いたしました三つの世界論、かなり筋の良い考え方であるかもしれません。


虚数時間の物理学、まとめはこちらです。最新のまとめ「虚数時間とファインマン氏の憂鬱」も、ぜひどうぞ。