佐々木康彦氏の3/22付けBLOGOS記事「未知なる感染症と『知ったこっちゃない』が組み合わさった時の『文明崩壊リスク』」にコメントしました。
今の常識で昔を批判する、というのは、少々問題があります。
ヨーロッパ各国に感染が拡大し、WHOがパンデミックを宣言し、東京オリンピック開催もかなり怪しくなった今となっては新型コロナが重大な問題であると認識している人が大部分でしょう。
でも、これが武漢の感染にとどまっていた間、あるいは、ダイヤモンド・プリンセスでの問題にとどまっていた間、多くの人たちの意識はどうだったか、過去を振り返ってみる必要もあるでしょう。
これは、BLOGOSの記事を振り返って読み直してもすぐにわかるはずです。
ある人たちは、政府の出す様々な対応措置に対して「困ったものだ」という主張を多々しておられました。留学生が困る、レストランが困る、いきなり休校になったら子供の世話に困る、うんぬんかんぬん。
またある人たちは、インフルエンザの毎年の死者に比べて、新型コロナで発生した死者がごくわずかであることを指摘して、騒ぎすぎであると主張しておられました。コロナで死ぬ人よりも、コロナ対策が招く不景気で増える自殺者の方が多い、などという主張もありました。
こういう主張を真に受ければ、検査をする必要などない、と考えたところでさほどおかしくもないのですね。今から考えれば、これは相当に問題のある行動だったのですが。
BLOGOSが危険な思想を拡散してしまった、などと責めるつもりはありません。でも、おかしな考えをする人たちをそのようにしてしまった一要因ではあったかもしれない、と自省する必要はあると思いますよ。
まあ、自由な言論の場所であれば、危険な思想に、反対意見も付きますから、いろいろと読めばバランスもとれるというものなのですが、、、