中村ゆきつぐ氏の7/17付けBLOGOS記事「コロナいじめから小池いじめ 結果東京いじめ、東京差別」にコメントしました。
| ちゃんとやれば大丈夫。
ちゃんとやれば大丈夫である可能性は極めて高いと、私も思います。
でも、世の中にはちゃんとできない人、ちゃんとしない人が大勢おられる。これが大問題なのですね。
昨日も、外食した折に、離れた席で、盛大に咳をしている人がいました。こういうのって、いるんですね。
これは昼食だから、まだ少ないのですが、これが夜で、お酒を飲み始めたら、「ちゃんと」などという形容詞はどこかにすっ飛んでしまいます。
東京外しは、どれだけ効果があるかわかりませんけど、一番危険な部分を排除しているという意味では、やらないよりはマシ、なのではないでしょうか。
返信がついております。
Toshimi Minoura
> 昨日も、外食した折に、離れた席で、盛大に咳をしている人がいました。こういうのって、いるんですね。
この人は一人暮らしで、食事は外食するしかないとしたらどうおもいますか? 「離れた席で、強い咳をしている」という人に哀れさを感じました。
瀬尾 雄三
Toshimi Minoura さん
| 一人暮らしで、食事は外食するしかないとしたら
それで咳が頻繁に出るなら、この人物は、コンビニで弁当なりおにぎりなりカップ麺なりを購入して、自宅で一人さみしく食事をしなくてはいけません。
哀れか、そうでないかと、有害か、無害であるのかは、異なる方向を向くベクトルであり、個々に対応が必要です。
まあ、田舎の年寄りには、他人に不快感を与えることで優越感を感じる、なんて心情をもつ者がいて、大いに迷惑なんですね。
そりゃ地方という狭い社会において、この年寄りは重要な人物で他人が気配りすべきであるのかもしれないけれど、都会に出れば、ただのじいさんでしかないのですね。
こういうのは、単に迷惑な人間であるだけだということに、本人も気が付かなければいけません。
>>でも、世の中にはちゃんとできない人、ちゃんとしない人が大勢おられる。これが大問題なのですね
そう、そのために法がある。哲人政治じゃダメなのよ。