青山まさゆき氏の7/23付けBLOGOS記事「異論を許さない日本の伝統」にコメントしました。
自然現象に関して、事実と異なる記述を発表すれば、これが事実でないという指摘を受けるのはあたりまえのことです。
サイエンスの訓練を受けている人は、常に自らが誤る可能性を意識しており、多くの場合、誤りの指摘を自分なりに評価して、自らの誤りであると分かれば適切な対処をするものです。
データを解析する場合は、計測精度や統計処理、サンプリングに関する評価など、一定のチェックポイントがあり、これらに関する訓練を受けていない人が誤った結論に到達するケースはままあります。
そして、こういう人の場合、自分が何を間違っているのか理解できない。その結果、誤りの指摘を、ただの悪口、罵詈雑言の類と考えてしまいがちなのですね。
で、これを口に出してしまったりもする。そうなると今度は、素人がきいた風な口をきくな、といった批判を受けることになる。
このエントリーを読むと、ひょっとすると、そういうプロセスが進行したのではないか、という印象を受けるのですね。
この事態を正常化するためには、まずは、最初の段階に戻って、おのれのエントリーに加えられた批判に対して、注意深い検討を加えることが肝要でしょう。
これがご自分で理解できない場合は、サイエンスのトレーニングを受けた専門家の意見を聞くのが良いと思います。
現在進行中の新型コロナの問題は、優れて自然現象であり、かつ、国民の健康と生命に甚大な影響を及ぼしかねない。この手の分野で誤った情報が流布することは極めて危険であると感じる専門家も多いと思います。
だから、誤った記事が流れれば、様々な批判が寄せられる。公の場所に文章を発表する際は、その正しさに、十分に留意する必要があるでしょう。
返信がついております。
Tetsuharu Kawasaki
印象だけでここまで書くのを見ると瀬尾さんはサイエンスの素養が全く無い事が理解できます。
瀬尾 雄三
Tetsuharu Kawasaki さん
サイエンスの第一歩は「印象」であるということは、覚えておいた方が良いと思いますよ。これはサイエンスに限らず、優れた経営者の多くが実行していることです。これは、その道のトレーニングを積んだ人であることが前提条件ですけど。
石井淳蔵著「ビジネス・インサイト―創造の知とは何か」あたりを一読されることをお勧めします。
Tetsuharu Kawasaki
【印象】がダメだと言っているのではありません
【印象だけ】なのがダメだと言っているのです
つまり、問うているのは【印象以外】です
瀬尾 雄三
Tetsuharu Kawasaki さん
印象以外の部分もたくさん書いておりますし、他の方が指摘していることは書かずに済ましておりますけれど、この方の主張に多数ある誤りについては、一々指摘するまでもありません。
問題は、誤りを指摘されると切れること。これが自然現象について評論する際の、致命的に誤った姿勢なのですね。早い話が、サイエンスに関して、素人であることが分かる。つまり、そういう印象であるわけです。
もっとわかりやすく言えば、ファッションに関して他の人に指導しようという人が、全くファッションセンスがなければ、まずは第一印象で指摘される。それは、あたり前の話なのですね。
サイエンスというと、受験科目でもあるために、多くの人が必死に勉強する。でも受験科目は、すでにある論理を覚えて応用することであり、いまだ不明の真実を求める能力とは別物なのですね。
新たな真実を知ること、新たな規則性を知ることは、カントも指摘するように、言語的能力をつかさどる理性の働きではなく、それ以前の非言語的・非論理的能力であり、カントはこれを悟性という。
一流の学者も、たとえば「テイストの良さ」や「エレガントな解答」みたいな、論理的ではない、感覚的な質の良さを追求する。そういう働きがまず大事なのですね。
親鸞の霊性が、京都仏教界を追われ、新潟の地で大地に触れたことで目覚める。これを高く評価した鈴木大拙氏が禅という形で米国の若者に紹介する。そしてかの地では「バック・トゥ・ザ・ネイチャー」を掲げたヒッピームーブメントが起こる。
今日の米国で情報技術が発展しGAFAが経済的な成功を収める。この背景に、こうした精神が継承されていることを見逃してはいけないのですね。ジョブズの言葉も、ほとんど禅語なのですから。
それを思えば「印象」軽視などとんでもない。まずはそこから始めなくてはいけません。
青山氏の意見を受け入れてないだけでは。。