大串博志氏の9/18付けBLOGOS記事「デジタル庁構想・・組織よりも『人的投資』を」にコメントしました。
ここで人的投資といっているのは、農家に対する個別補償とか、子供手当とか、要するに個々人に対してキャッシュをばらまくことを意味して語られているように思えるのですが、そりゃとんでもない誤解で、お金を出せばすなわち投資ということになるわけでもない。
投資というのは、出したお金が将来何倍にもなって戻ってくるような形でのお金の出し方を普通はいみするのであって、営利事業としてやる場合は、出したお金に対応する生産設備なり不動産なり、これらの裏付けのある株券なりを資産として保有するわけだし、公的事業であるならば、たとえば教育投資ならば人材の形で社会が価値を積み上げることを目指さなくてはいけない。
で、ここで批判されているデジタル庁だって、そこに人も集まれば、教育にお金を使うことだってある。組織への投資は人的投資でもあるのですね。
これがだめでなおかつ人的投資せよというのなら、具体的にどのような形で何に投資するのかを明らかにしていかなくちゃいけない。
それがないからこのエントリーは意味不明です。ただの個人に対するバラマキを人的投資などと誤解されているのではないのか、という疑惑がふつふつと沸き起こってくるのですね。
ま、過去があるだけに、ひょっとするとこの疑問が正しいのかもしれない、、、
>>私はそれは政府の組織がないということよりも、そのような社会の変革に対応できるような、さらにはその尖端で引っ張っていけるような「人材」を育成することを長らく怠ってきたことによるものと考えます。
人はいるよ、
いないのは正しい判断ができる最終的なトップであり、リーダであり、それには平井大臣と菅首相の手腕次第だ。
もし平井大臣に能力がなければうまくいかないだろう。
うまくいかないのであればすげかえることを考えてほしい。