大串博志氏の9/19付けBLOGOS記事「国会の本格論戦が是非必要です」にコメントしました。
> ここに届けられた意見が、どのような仕組みで具体的に行政改革につながることになっているのか、その実効性について議論したかった<
こういう考え方が新しいものを生み出すことを阻害しているのですね。
ホリエモンあたりが「走り出してから考えよう」などということを言われていたと思いますけど、こういうやり方は、普通に行われていることなのですね。
アンディ・クラークは、彼の著「現れる存在/脳と身体と世界の再統合」の中でジグソーパズルを例に、次のように述べられています。
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実際にわれわれがパズルを解くときには、頭の中で見当をつけた後、そのピースがはまるかどうか手を動かして試してみるというふうに戦略を混ぜて使っている。普通われわれは、身体的操作をする前からピースがはまるかどうかを確信できるほど、詳細にピースの形を頭の中に表現しているわけではない。そればかりか、はまるかどうか試す前にも候補となるピースを手で回転させることがある。それは、はまる可能性のある場所を大まかに探すという、より「心的な」タスクのほうを簡単にするためである(...)。つまりジグソーパズルを完成させるという現象のうちには、こんがらがった反復ダンスがあるのだ。「純粋思考」が行為につながり、今度はその行為が「純粋思考」に立ちはだかる問題を変化させ、簡単にするのである。これがおそらく行為のループとして知られる現象の最も簡単な例である。
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あたまの良い人が何もできない一つの理由に、やりだす前にすべてを考えなくては気が済まない、という問題があるのですね。
ここはまず「やってみる」。これが、何事かをなすうえで大事なことだと思いますよ。
FBのザッカーバーグだって、最初作るときは学内で使えればよいと軽い気持ちでやったのでしょうしね。