海住恒幸氏の9/20付けBLOGOS記事「菅さんには『苦労人』という表現は適切でないと思う」にコメントしました。
| だけれど、冷静に見れば、やはり、それでいいはずはない。
こういうセリフ、よく聞くのですね。そして、ここでのキーワードは「やはり」。「やっぱり」などという言い方もあります。
この言葉が出てくる文脈は、自らの主義主張を否定してしまう現実を前にして、だけど自らの主義主張は引っ込められない。そこで「やはり」なのですね。
結局のところ、いくら安倍政権を批判しようと、一強多弱状態である事実は否定すべくもない。相対的には、安倍政権が最も国民の支持を集めていたのですね。逆に言えば野党は支持されていない。
だから、自民党を批判するのは良いのですが、ならばどうするのが良いかを打ち出していかなくてはいけない。そして、この部分での野党の主張が正しいのなら、なぜ彼らは国民の支持を集めることに失敗しているのか、その部分を解析しなくちゃいけないのですね。
結局のところ野党やマスコミが批判材料として強調しているモリカケ桜に関して、国民の多くは、そうそう大きな問題ではない、と考えているのと違いますか? だからそこをいくら問題視しても、野党の支持率が上がるわけではない。
菅氏の「苦労人」を否定したところで、生まれながらにして苦労知らずの人生を歩むような人ではないというところまでは否定できない。普通の人も、それなりに苦労しているのですね。
だからこのエントリーを通読すると、ただただ人をけなしているだけで、何も生み出すものはない。その言論にさしたる価値を認めることもできない、不毛なエントリーである、としか言いようがない気がいたします。
そして、自民党政権に対する批判として、この手の主張しか出しえない批判者たち、それが安倍一強体制を支えてきたのだし、菅氏に対する驚異的な支持率を作り出している、との印象を受けた次第です。
>>安倍さん時代の国民の怒りは消し去ったかのようだ
もともとそんなものはない