舛添要一氏の9/28付けBLOGOS記事「菅政権の課題:コロナ対策、行政改革、デジタル化」にコメントしました。
「一般的抽象的無内容」という言葉をかつて聞いたことがありますが、このエントリーなど、その例にあげられそうです。
厚労省に必要とされる措置として挙げられた書店は一般的ですし、「難しい判断を下さざるを得なくなるであろう」、「実際の運用次第では、弊害を生むこともありうる」などは、思わず「うあお」と言いたくなります。
高田渡氏の「値上げ」の歌詞を彷彿とさせる、見事なお役人の文章です。
https://www.youtube.com/watch…
ちなみに「忖度」は、する側に問題があり、どこの世界にもごますりを得意とする人たちはいる。だけど、実質優先、効率重視で取り進めれば、ごますり忖度の余地はなくなるはずなのですね。
このお役人的精神の万延こそが、忖度ごますりの温床なのではないでしょうか。
本エントリーから受けた印象は、エントリーの主張とは真逆の文化がここにある、ということだったのですね。
そういう意味で、ちょっと面白いエントリーではありました。
>>しかし、官僚制は近代国家の基礎であり、政権をとる政党がどこであれ、官僚機構が守るべき自立性もある。その両者のバランスが重要である。首相の機嫌を損なうことを避けようとする忖度官僚が増えては困る。
選挙で選ばれてもいない官僚がかってに行政を断行する方が問題だ。