文春オンライン(片田珠美氏)の11/3付けBLOGOS記事「伊藤健太郎はなぜひき逃げ現場から逃げたのか?…」にコメントしました。
コールバーグの道徳発達理論(例えば以下を参照)を彷彿とさせますね。
快楽志向は第二段階で、まあ、幼稚園児のレベルですから、良い大人がこれでは困ってしまいます。
その上の「良い子志向」は、これまた幼児の道徳基準であるように思われるかもしれませんけど、じつは、日本の多くの会社でみられておりました「業界志向」や「談合体質」といわれていたものがこれで、コンプライアンスかしましき最近になりまして、やっと「法と秩序志向」へと脱皮が成ったようにも見えます。
実際のところがどうなっているか、よく見えないのですが、、、
「法律志向」の上にありますのが法を作る元となっております常識的な善悪の判断基準であります社会契約的遵法志向であり、実は日本人の中でも善良な人たち(名もなき庶民たち)はこのレベルの道徳意識を持っていたのですね。
いわく、「お天道様が見ている」や、藤原正彦氏がその著「国家の品格」で紹介した会津藩の家訓「ならぬことはならぬものです」などがその代表格で、こういう道徳意識がありますと、法の抜け穴をつつくようなハゲタカファンドのやり方を「非道徳的」と批判することが可能となります。
で、さらにその上の「普遍志向」なのですが、以前ありました解説文書では「釈迦、キリスト、ガンジー、キング牧師のレベル」などとされており、われわれが狙うのは恐れ多いレベルであるようにも思えます。
まあでも、目標は高く掲げるのが良いわけで、一応「このレベルを目指すべき」としておきましょう。
清原やね。才能があったため子供でいることが許される。