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おくの総一郎氏の11/10付けBLOGOS記事「法制局が認めた違法な任命拒否」へのコメント

おくの総一郎氏の11/10付けBLOGOS記事「法制局が認めた違法な任命拒否」にコメントしました。


法解釈というものは、それぞれの組織なり個人なりがその時々に行うものであって、ある時ある解釈をしたからといってこれを変えてはいけないというものではありません。

複数の矛盾する法解釈がありこれが対立した場合に、これに正しい法解釈を与えるのが司法の役割であり、地裁、高裁、最高裁の三審制を我が国は採用しているのですね。つまり、下級裁判所の解釈は、上級裁判所に覆される場合もある。最高裁の法解釈が最も権威ある法解釈ということになるわけです。

法解釈に際して参照されるものを「法源」と呼んでいるのですが、これには、法律そのものおよび内閣が定めた法の細則である政令と並んで、裁判所の判例も法源の一つとされ、法解釈の手掛かりとされております。しかしそのもっとも権威ある最高裁の判例であっても、覆る場合もある。

内閣法制局は、その名が示す通り、内閣の法制局なのであって、これがおこなう法解釈は内閣のために行っているわけですね。弁護士が依頼人のために法解釈を行うのと同じで法制局は内閣のために法解釈を行う。内閣が依頼人みたいなものなのですね。
で、弁護士の法解釈が固定されているかといえばそんなことはない。依頼人が変われば解釈も変わるし、ある解釈がこれではだめだとなれば、より説得力のある解釈に変えることもある。

内閣法制局に関して。その法解釈が一定でなければいけないとする批判は、非常に奇異な印象を受けるのですが、内閣法制局が法解釈を変更してはいけないなどという規則はどこかで定められていたのでしょうか?


ほかの方のコメントに茶々入れしてしまいました。

スライム ベス

政府が国会答弁で、 政府の任命は形式的なものに過ぎず、学術会議の推薦をそのまま受け入れる、 と言っている。

与野党でケンケンガクガクと国会で議論した末にそう決まった、 国民との約束だ。

それを今になって 「あ、それはもうやめました」と言うのが 通用するのであれば、 国会の議論や政府の答弁などまるで無意味なものになってしまう。政府が学術会議に対し人事を通じて コントロールを強めたいというのであれば、 国会で提案して、そのように法律を変えるべきだ。 それが法治国家といううものだ。

今回みたいなクーデターまがいの行為は 即刻撤回すべきだ。


新田健一

こういうことを反政府の連中が言ってるってことは、任命拒否が正解だってことだな。

逆神としての使い道しかないからわかりやすくていいね。

一生喚いてろ。


スライム ベス

新田健一

具体的な反論は何もできず、 ただ相手に暴言を吐くことしか出来ない。 相変わらず。

典型的なネット右翼w


長門 ユキ

違法だったらさっさと裁判に訴えればいいんじゃないかな? 法廷の場で決着すべき

それをしないってことは、負けることが目に見えてるからなんじゃないかと。


スライム ベス

裁判になったらどんな結果になるか興味深いね。 学術会議側は、まず国会で議論するのが筋だと言ってるけど。

あと、日本の司法制度は具体的な被害を訴える形じゃないと 裁判できないていうのもある。

拒否された人たちも、別になりたい訳ではないだろうし。 拒否されて自分が損というよりも、 こういう事は日本国にとって良くないと思ってるから 反対してるわけで。

学術会議はマンションの自治会や企業内組合の役員みたいに ボランティア的な面が大きいみたいだから。


瀬尾 雄三

長門 ユキ さん

これ、当事者は手詰まりであると認識しておられます。

つまり、学術会議に推薦されるくらいの法律の専門家にはわかっている、ということですね。

結局のところ、こういう基本がわかっていないマスコミと政治家が大騒ぎしている。司法の場に出せば負けることは、専門家にはわかっているわけです。

とはいえ、そうであっても騒ぐ理由はある。マスコミは視聴率が取れればよい。野党は政府の足を引っ張れれば良い。なに、国民だってどうせわかっちゃいないのですから。

何が問題かといえば、ポイントは簡単なのですね。

第一に、憲法の規定が優先するということ。15条が存在する以上、任命権(及びその拒否権)は首相にあり、これを放棄することはできないのですね。

第二に、法解釈は、それぞれが個々に行うのはあたりまえの話であって、齟齬が生じた場合にこれを解決するのは司法だということなのですね。

内閣の一組織が勝手に法解釈を決めたりしたら、三権分立がおかしくなる。解釈を決めるのはあくまで司法の役割。国会がおこなうのは法律の文言を定めること。行政は、独自に法を解釈し、これに従って粛々と業務を遂行する。その法解釈は、その時その時の状況に応じて行えばよく、これが固定的である必要は全然ないのですね。

法学者はそれが分かっているから司法の場にこれを持ち出すことはしない。そんなことをしたら、法学者としての信用にかかわってしまうのですね。

やれば大いにばかにされる。簡単な話です。


新田健一

スライム ベス

これで暴言ってヘタレメンタルにも程があるんじゃない?

違法だって言い張るならさっさと提訴すりゃいいでしょ。 勝ち目があるなら出来るはず。

まぁ現在に至るまでそれを誰もやってないってことは答えが出てるんだよね。 お前らがいくら吠えても現実はなーんも変わらないんだよ。


新田健一

スライム ベス

訴えてから言えば?

絵空事で夢を語るとか末期だなもう(笑)


スライム ベス

憲法15条で重要なのは、 公務員の選定は「国民の」固有の権利である、という事です。

総理大臣は国民の代表ですが、 国民が総理に全権を委任している訳ではありません。

総理大臣が好き勝手に公務員を選定できるのではなく、 法律の定める基準に従う、という縛りがかかっています。


スライム ベス

法解釈が固定的である必要はありませんが、 今まで内閣が「こういう理由でこのように法解釈をします」 と説明してきたのを変更するのであれば、 国民に対して説明責任が生じるのは当たり前の話で、 その説明がおかしければ批判されるのも 当たり前の話です。


スライム ベス

新田健一

いや別に暴言で傷ついた、とかじゃないから。

むしろ面白がってる。

悪いけどちょっと馬鹿にもしてるw

一生喚いてろみたいな表現が 暴言じゃないっていう感性は さすがネット右翼様やね!


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

> 国民に対して説明責任が生じるのは当たり前の話で、その説明がおかしければ批判されるのも当たり前の話です。<

「当たり前」が説明になるなら、簡単ですね。

政府が憲法に束縛されるのは「当たり前」の話で、憲法に反する法解釈があり得ないことも「当たり前」。

人事に際して詳細な理由を説明しないのも「当たり前」だし、説明責任が秘匿すべき情報に及ばないのも「当たり前」です。

総理の任命行為には「当たり前」のように結果責任が問われており、最終的な責任は、衆院選で国民の信を問う形で行われるのも「当たり前」。

そして、今のところ、国民の支持を受けているのが野党ではなく菅総理であるのも「当たり前」の話なのですけど、これが分からないようなら解散総選挙となるのも「当たり前」の話なのですね。

たぶんその結果も「当たり前」の結果になると思いますけど、気のすむまで、大いにやったらよいと思いますよ。「当たり前」ですね。


スライム ベス

到底当たり前とは言えないことも 世の中にはたくさんありますからねー。

総理大臣が理由も言わずに公務員を 自由に選定したり首にしたりできるのが当たり前、 と言われて納得する人は少ないでしょう。

でも私がここで当たり前と書いたことは 瀬尾さんにも納得してもらえることだと 思うんですけどね。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

> 総理大臣が理由も言わずに公務員を自由に選定したり首にしたりできるのが当たり前、と言われて納得する人は少ないでしょう。<

「公務員を自由に選定したり首にしたり」と書かれていますが、今回は「首にしたり」は、関係ないですよね。関係ないことをサラッと紛れ込ませる、こいつはいただけません。

で、「公務員を自由に選定できるのは当たり前」なのですね。何しろ、「総理大臣が任命する」と法律に書いてある。そして、憲法15条は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」としており、さしあたりその権限は総理大臣に委ねられているのですね。

少なくとも、国民に間接的にすら選ばれていない学術会議のサイドにこの権限が移行することはあり得ません。当たり前だと思われませんか?

で、問題は「理由も言わずに」の部分ですけど、いわゆる「お祈りメール」にどの程度の理由が書いてあるのでしょうか。普通、人事に関して採用しない場合の理由はそうそう書かないのですね。まあ、「総合的俯瞰的見地より」くらい書いてあれば上等の部類でしょう。

もちろん、俺は納得しない、という人がいることは理解できますけどね。

いずれにせよ、以下のURLでも紹介されている通り、当事者である法学者には、これは無理筋との認識がなされている様子。私はそれほど法に詳しくはありませんけど、その少ない知識でもこれは無理と判断できるのですね。

https://blogos.com/article/494447/

コロナという大問題を抱える今、モリカケ桜と同様、こんな問題で時間を無駄に過ごしている。こんなことをしておりますと野党はますます国民にそっぽを向かれる。毎日新聞の最近の世論調査も、これを裏付けている様子です。

じきに総選挙がありそうだけど、こんな調子で大丈夫でしょうか? 他人事ながら心配です。


新田健一

スライム ベス

説明なんてとっくに済んでるはずだけどね。 自分が求めてる答えじゃないからって駄々を捏ねるのは社会に出た大人がやることじゃないよ。

分別のつかない子供か、社会に出たことのないニートくらいのもん。


新田健一

スライム ベス

学術会議法に書いてあるでしょ。 「日本学術会議は内閣総理大臣の所轄」だって。 そもそも、「学術会議側からの「推薦に基づいて」いるんだから、総理大臣が自由に選定なんかしてないじゃん。 明らかな嘘を書くなよ。


新田健一

スライム ベス

バカにするのはご自由に。

お前がいくらこちらをバカにしたり、ここでグチグチ喚いたところで、現実は何も変わらないしな。

所詮負け犬の遠吠えでしかない。


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

まずは冒頭の部分についてお返事します。

>今回は「首にしたり」は、関係ないですよね。関係ないことをサラッと紛れ込ませる、こいつはいただけません。

いやいや、これは今回そうした、という事を言っているのでは無いですよ。

瀬尾さんが「当たり前が説明になるなら簡単だ」と書かれたので、 当たり前が説明にならない例として挙げてみたのです。

総理が公務員を問答無用で首にしたとして、 それが当たり前だと思う人はほぼいないですよね。

一方、私が書いた

・今まで内閣が「こういう理由でこのように法解釈をします」

と説明してきたのを変更するのであれば、 国民に対して説明責任が生じる

・またその説明がおかしければ批判される

その2点に関しては、

瀬尾さん含め、ほとんどの人が当然のことと 納得できるのではないですか? ということです。

つまりこの2点に関しては 「当たり前」だけで説明になってるでしょ? ということを言いたかった訳です。

瀬尾さんが書いた

「これが固定的である必要は全然ないのですね。」 も当たり前ですが、 当たり前過ぎて何も言ってないに等しいんですね^^;

法解釈が固定的である必要はありませんが、 だからと言って一度内閣が決定した法解釈を 国民に何の説明もせず、自由自在に勝手に変えてもかまわない、 ということにはならないのです。

ここまではよろしいでしょうか。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

一般に法解釈は行為の主体が任意に変更してかまいません。国民に微に入り際にわたって説明することなどせずに独自の判断で変えることは構いません。なお「自由自在」という余計な文言が入っていますけど、そんなことは誰も言っていないのですね。

変更理由を問われたら、「状況の変化により」程度を応えておけばよいのですが、それ以上が要求されていると考えれば、「お答えを差し控えさせていただきます」というしかない。

「勝手に」というといかにも横暴であるようなイメージがありますが「独自の判断」といっておけば妥当な感じがするでしょ。実際、任命権というものは、そういうものなのですから。(ある時は推薦に従い、あるときは推薦の一部を拒否するということですね。)

今回問題になっているのは、国会が立法の府であることから、ここで答弁された法解釈があたかも国会が定めた法それ自体であるかのごとき誤解が(たぶん意図的に)与えられているのではないかと思いますよ。

そりゃ、法解釈に関する答弁が立法行為の一部であるなら、これを勝手に変えることはできない。でも、国会の立法行為は、最終的に、法の文言の形でフィックスされるのですね。

だから、首相の任命行為が形式だけのものだとすると、その旨を法に明記しなければならず、答弁だけで法を書き換えたことになどなりません。もちろん憲法15条の規定から、このような法律は制定不可能なのですが。

一方で、政府は様々な活動をする過程で、法を解釈する。この法解釈は、個人や企業も行っている法解釈と同様で、その場その場でおのれの行為が合法か違法かを判断しているわけですね。

こういう意味での法解釈であれば、特に他に説明することもなく、その時その時の状況に応じて任意に変えていけばよい。30年近く前の法解釈と、今日の法解釈が異なっていても何の問題もないのですね。


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

>「自由自在」という余計な文言が入っていますけど、そんなことは誰も言っていないのですね。

自由自在という余計な文言が入っていると言われますが、 でも言いたいのはそういう事ですよね?

今までの瀬尾さんの説を拝読したところ、 政府の解釈変更には何ら制限が無いと考えているように お見受けしたので、「自由自在」で問題ないと思いますが。

瀬尾さんがその文言を使ってないというのは了解しています。


スライム ベス

>もちろん憲法15条の規定から、このような法律は制定不可能なのですが。

では形式的任命に過ぎないという法解釈も 憲法違反という事になるのでしょうか? もちろんそんな事はありません。

公務員の選定は内閣の固有の権利である とでも憲法に書かれていれば別ですが、 公務員の選定は「国民の」固有の権利です。

前にも書きましたが、 国民は内閣や総理大臣に 全権を委任している訳ではありません。

それどころか憲法では、 「内閣」は法律の定める基準に従い、官吏に関する事務を掌理する、 と書かれており、 法の定めを無視して首相が恣意的に公務員を任免できないよう 権力に歯止めをかけています。

学術会議法では 「科学者としての「研究または業績」を会員選抜の基準とする」 と書かれています。 なのでこの基準から外れた人選は、基本的には違法です。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

> 公務員の選定は内閣の固有の権利であるとでも憲法に書かれていれば別ですが、公務員の選定は「国民の」固有の権利です。<

国民の参政権も、直接選挙で代議士を選び、代議士の選挙で総理を選ぶ、間接民主主義で実現されております。総理の任命権は、このようなメカニズムに従って実現された国民の権利行使を担保するものなのです。

総理の任命が形式的な物にすぎず、学術会議のリストに忠実に従うとの法解釈が成り立つとすると、「国民固有の権利」はどのようにして実現されるのでしょうか。

まさか、学術会議そのものが国民を代表する存在であると考えておられるのではないですよね。もしそうであるなら、学術会議がいかにして国民の代表たる地位を獲得しているのかをご説明願いたい。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

当然のことながら、内閣の行為は、国益と国民の福祉にかなう方向になされなければならず、いくら権限があるからといってなんでも好き勝手にできることではないのですね。

それを「自由自在」とか「勝手」という形容詞で語るのは印象操作にほかなりません。

野党議員も、国会議員である以上、様々な権限をもっております。この人たちはそれを「自由自在」に「勝手に」行使していると、、、

まあ、確かに、野党の方々は国益にかなうとも思われない形でその権限を行使されているケースも多々ありますし、そんなことをしてどうして国民にどのように役立つのか、はなはだ疑問であるものもあるわけで、本気でそのように考えられている可能性もゼロではないのですが。


スライム ベス

>総理の任命が形式的な物にすぎず、学術会議のリストに忠実に従うとの法解釈が成り立つとすると、「国民固有の権利」はどのようにして実現されるのでしょうか。

国民の代表者の集合体であり、 国権の最高機関である国会により 定められた法に従います。

学術会議の性質は一般の国家公務員とはやや異なります。 政府が学問の分野に過度に介入し、 政府により学問の自立が脅かされた戦前の反省から、 法により権力の介入に対して歯止めをかけているのです。...もっと見る


スライム ベス

>国会が立法の府であることから、ここで答弁された法解釈があたかも国会が定めた法それ自体であるかのごとき誤解

すみません、この論点について書き忘れていました。

法解釈は法それ自体では無いにしても、 国会で答弁した法解釈を軽視ないし無視することは許されません。

政府の任命はあくまでも形式的なものだから、という説明があり、 その説明(解釈)の下で国会で決まった法です。 それなのに「形式的というのはやめにしました」と急に言い出したら、 これは国民を欺く行為と言えます。

前述した事ですが、 そんな事がまかり通れば 国会の議論や政府の答弁などというものは およそ無意味なものになってしまいます。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

何か書けばよいというものでもないですよ。

「・・・・です。」と書けばそれが事実になるというわけでもない。これらの文章が多くの人の目にさらされ、多くの人がそれぞれに評価していることを忘れないようにしなくてはいけません。

結局のところ、とうの任命拒否された法学者たちが手詰まり状態であることを認めているように、今回の学術会議の任命拒否問題を取り上げたのは最初から無理筋だったのですね。

普通に考えたって、そんなことは当たり前の話なのですね。ちょっとは冷静に考えたらよいです。たいていの人にはわかりそうな話なのですね。

私はこれはひょっとして、立憲民主党を弱体化させるための共産党の謀略だったのではないか、などという疑念も抱いているのですね。最初に書き立てたのは、赤旗でしたし。

立憲民主党が野党第一党の座を維新にとられるようなことがありますと、立憲民主党は存亡の危機に立たされる。そうなれば、共産党は立憲民主党を実質的に取り込める、などと判断したのではないかな?

立憲民主党が右寄りの人たちを切り捨てた今、立憲民主党と共産党の「立共合作」などが成立しますと、これはかなり強力で、近々選挙がありますと、相当な数の当選者が出せるかもしれません。これ、立民にとってはおいしい話だし、共産党にもウエルカムなのですね。

もしそうだとすると、学術会議はそのための捨て駒。野党を支持する評論家たちもみんなピエロということになるのですが、大丈夫でしょうか。

何か、議論しているうちに、だんだん気の毒になってくるのですが、、、


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

>「・・・・です。」と書けばそれが事実になるというわけでもない。

これは予想外の感想を頂きました。 実は瀬尾さんに対して同じ感想を持っていたものですから。 それでちょっと文体を真似してみた、 というのもあったのですw

ただ私の場合はある程度根拠を提示して 書いてることが多いですが、 瀬尾さんの場合は、 たいてい根拠を示さず、ただご自分の考えを 断定的に言い切っているケースが目立ちます。

>何か、議論しているうちに、だんだん気の毒になってくるのですが

このような議論と関係無い、印象操作的な発言を 使うのはあまり良くないでね。 まあ私も書いてしまうことはありますが・・

瀬尾さんに対しては、 明らかに無理な政権擁護をいつまでも続けているなあ、 と思ってましたが、 今まで実際にそれを書くことはしてませんでしたw


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

何を書かれるのも勝手ですが、それを多くの人がどう読むか、という点に私は気を付けているのですね。

まあ、こんなことを言っても始まらないのですが。

で、問題は、このところ野党が学術会議の問題を重点的に取り上げて政府を追及してきたのだが、その結果生じたことは、与党支持率の持ち直しと、野党支持率の低下であったのですね。

何のことはない、菅総理の任命拒否で支持率を上げたのが自民党、支持率を下げたのが立憲民主党で、学術会議が廃止に向かうようなことがありますと学術会議のメンバーは些少といえども得ていた報酬を失う、こちらも損をすることになります。

結局のところ、この問題が国民にどのように受け止められているかは、おおよそ見えているわけですね。この一連の議論で私は、そのあたりの解説を試みたつもりだったのですね。

さらにこの解説を深化いたしますと、通常、企業や政党や国際関係でも、明文化された言葉ではない形でのメッセージの送り合いということをやるのですね。

菅総理の任命拒否は、つまるところ、一つのメッセージだったのでしょう。つまり、あまり極端に走ることは政府として見逃せませんよ、とのメッセージを学術会議に送ったのでしょう。で、学術会議サイドは、普通なら、これを受けてより穏健な形で不足分の候補者リストを出しなおす。これが大人の対応というものです。

でもこれを赤旗が問題化してしまう。これを学術会議サイドで鎮静化する努力をすればよいものを、火に油を注いでしまった。共産党にすれば、政府追及のネタになればよく、学術会議を犠牲にすることもいとわないと考えたのでしょう。

結果良ければすべて良しともいえるのですが、既存の組織を作り直すことは手間がかかるし無駄も多い。もう少し知恵を働かせて幼稚な対応を避けて頂けば、よりマイルドな展開もあり得ただけに、残念な話だと思うわけです。


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

>何を書かれるのも勝手ですが、それを多くの人がどう読むか、という点に私は気を付けているのですね。

それは大変大事なことですね。

>結局のところ、この問題が国民にどのように受け止められているか

それはそれで大事な論点ではありますが、 私たちが議論してきた事とはまたちょっと違う話です。

菅総理の行動がなぜ不適切だったか、 私は根拠を挙げて説明してきました。

政府の任命はあくまでも形式的なものだから、 という説明があり、 その説明(解釈)の下で国会で決まった法を、 「その考えはもうやめました」と急に言い出したら、 これはやはりどう考えても不適切でしょう。

繰り返しますが、そんな話が通用するのなら およそ政府の答弁など無意味です。

だから解釈を変えるのであれば、 その理由をきちんと説明しなければなりません。

それとも、 政府の国会答弁など その場しのぎのゴマカシで十分だと 考えておられるのでしょうか?

一方、瀬尾さんは、 解釈の変更などは「状況の変化により」程度の 説明になってないような説明で十分だと ご自分の見解を断定的に述べられていますが、 その見解に対して根拠というほどの根拠が 述べられているようには思えません。


Tetsuharu Kawasaki

スライム ベス さん

>> 政府の国会答弁など
>> その場しのぎのゴマカシで十分だと
>> 考えておられるのでしょうか?

野党のブーメランなんて、すべて その場しのぎのゴマカシじゃん・・・


Tetsuharu Kawasaki

人事の関係で、国がクリアな回答を出すわけがない プライベートな行動(反社会的な行動)が絡んでそうだし。

「◎◎さんはプレイベートで何なにしてました。だから不採用です」なんて言えない

しかし、プライベートな時間に反社会的な活動している人は採用は避けられるよ


Tetsuharu Kawasaki

その6人をなぜ推薦したのかの理由は誰も説明してないよね ◎◎という論文を発表。

これは高く評価され 例えば◇◇氏の論文にも引用された 近年このような実績があり、能力的には申し分ないから 推薦したとかさ


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

> 「その考えはもうやめました」と急に言い出したら

『急に』ですか。またへんな形容詞を挿入されていますね。実際問題として、その二つの話の間には30年近い歳月が流れているのですね。

まあ、スライムベスさんの時間ではそうなるのかもしれません。太陽系が誕生して以来、すでに50憶年の歳月が絶っておりますから、50年だってその1億分の一、瞬きをするような時間しか経過していない、と言われたら納得するしかありません。

> 解釈の変更などは「状況の変化により」程度の説明になってないような説明で十分だとご自分の見解を断定的に述べられていますが、その見解に対して根拠というほどの根拠が述べられているようには思えません。<

これには多少哲学的・脳科学的な内容を含むのですが、お付き合いくださいね。

まず、人間の知性というものは、すべてが概念化(端的には言語化)されているわけではなく、それ以前の知識が多く含まれています。カントはこれを「悟性(英語ではアンダースタンディング、理解力ですね)」とよび、論理的、言語的知性である「理性」と区別しております。

カントはその主著が「純粋理性批判」であることからもわかるように、理性には批判的で、悟性の重要性を指摘いたします。一方でヴィトゲンシュタインは「世界は成立している事柄の総体である」として、論理化された世界を扱い、倫理や美学、宗教などは世界の外部にあるとします。

そして問題は、今日の世界の主流がヴィトゲンシュタイン流の「論理実証主義」の下で動いているということ、非言語領域の知性は無視される傾向にあるということなのですね。

ここでいう「論理」とはすべてを「真」「偽」のいずれかとする二値論理なのですが、実務の世界では、すべてが論理化されているわけではない。

(続く)


瀬尾 雄三

(続きです)

たとえば原発は安全なのか、危険なのかといわれても、これを簡単に割り切ることはできないのですね。だからずっと対立が続いてしまう。

組織運営のあり方も、人事に関しても、事情は同じで、何から何までが論理化・言語化・定量化されているわけではなく、総合的に見て判断を下さざるを得ないことは多々ある。

これが学問の世界なら、結論が出せない以上、判断を保留するしかない。STAP細胞があるのかないのかわからない場合は、「あります」なんて結論を出してしまってはいけないのですね。でも、組織運営の世界では、日々決断を迫られており、データがそろわない時点での判断も常に要求されている。

だから、解釈変更の理由が「状況の変化により」程度であることだってあり得るし、「総合的・俯瞰的」などという理由だってありなのですね。

学問の世界は、ヴィトゲンシュタイン流の「論理実証主義」に基づいて動かせばよい。しかしながら、政治経済の分野では、ヴィトゲンシュタインの論理世界の外側にある倫理美学宗教もまた無視できず、かつ、概念化・論理化される以前の非言語的状況にも目配りしなければいけない。

だから結局カント流の世界観の下で動かなくてはいけない。我々は十分な情報を与えられない、不確実な状況下で日々決断を下していかなければいけない、というわけです。

お判りいただけますでしょうか?


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

>実際問題として、その二つの話の間には30年近い歳月が流れているのですね。

この「急に」というのは、すぐにという意味では無く、 突然とかいきなりとか、そういう意味です。

野党に事前に打診するような事もなく、 野党や国民にとっては寝耳に水の話だったので そう書きました。

しかしこの文言にこだわるという事は、 一方的な解釈変更は問題ないとの見解を 披露されてますけど、 法やその解釈が確定してから 短期間のうちにそれをやるのは さすがにマズいという認識は 持っておられる、ということなんですかね?


スライム ベス

それから、 説明無しの根拠の変更を正当とする理由を 述べられていますが、 これは要するに 組織運営等の世界ではあいまいな理由で 物事をなし得なければならない事が 多々ある、という 当然の一般論を述べられただけです。

政府の任命はあくまでも形式的なものだから、 という説明があり、 その説明(解釈)の下で国会で決まった法を、 「その考えはもうやめました」といきなり言い出した、 理由らしい理由も言わずに。

そのような行為を正当化するほどの 根拠としてはちょっと乏しいかと思います。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

> 短期間のうちにそれをやるのはさすがにマズい

発言には責任が伴い、言っていることをころころと変えるのは信用にかかわるのですね。

でも、事情が変われば認識が変わる。さすがに30年近い年月が経過すれば、事情も変わろうというものです。

今回の場合は、おそらくは、我が国は防衛の大部分を米国に任せて経済に集中することが許されていた時代から、防衛に関しても応分の負担が要求される国際事情の変化に伴い、単純な平和主義が国民の平均的な意識からずれてきた、というような背景があったのではなかろうかと憶測します。だから、この判断の変更もあり得るだろう、ということですね。

これもまた、私に確証があるわけではない。しかしこの可能性をだれも否定できないと思うのですね。さらに、これを述べたところで誰の名誉を傷つけるわけでもなく、社会的な問題になることもなかろうと判断することもできる。だからここまでは書くことができるわけです。

いっぽう任命拒否の理由に関しては、ことは人事に関わる、個人の評価を含む問題であり、下手に言語化すると、個人の名誉にもかかわる問題なのですね。

これは、論理的判断ではないし、言語化もできない。でも任命すること自体は要求されているため、概念化・論理化以前の判断をせざるを得ず、判断基準を明示するような理由は述べることができないわけですね。

この手の判断の理由を問われても、総合的とか俯瞰的という理由しか述べられないと思いますけどね。

イデオロギーに支配された人たちは、すべてが論理で割り切れると思いがちなのですが、完全な論理などありえず、人は不確実性の中で日々の判断をせざるを得ない。それを理解できない人々が恐るべき残虐行為に及んできたという歴史があるのですね。

人の理性には限界がある、この当然ともいえる地平まで立ち返ることが大事だと思います。


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

大は国家間の条約から 小は個人間の約束事まで、 お互いに話し合った末に決まったことは 原則としてずっと有効です。

有効期限を決めていない限り。

もちろん決めごとを反故にするまでの期間が...もっと見る


スライム ベス

>いっぽう任命拒否の理由に関しては、ことは人事に関わる、個人の評価を含む問題であり、下手に言語化すると、個人の名誉にもかかわる問題なのですね。

人事権を持ってる者がそれをやるのなら まだ話はわかります。

学術会議側が「総合的俯瞰的に判断して人選しました」 と説明すれば、 政府はそれをそのまま受け入れる。 それならまだ話はわかります。

それでも個人的には、学術会議側も 一人ひとりに推薦理由をつけて説明した方が より良い、とは思いますが。

しかし人事権を持たない、 百歩譲ってあくまでも補助的な人事権しか 持たない側が 理由無しに拒否してはいけません。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

> 人事権を持ってる者がそれをやるのならまだ話はわかります

人事権は総理大臣にあるのですよ。

政府は国民の意志の元に仕事をしなければいけない。それが主権在民の大原則です。

それをいかに実現するかという手続きを憲法や様々な法律が定めているのですが、我が国は、間接民主制を採用している。

つまり、国民の投票で国会議員を選び、国会議員の投票で総理大臣を選ぶ。そして、行政機構は法の範囲内で総理大臣の意志に従って動く。これが大原則なのですね。

だから、行政機関の一部が総理の意志に反して動くことはあってはならない。それは「反逆」であって、公務員の地位を追われるにふさわしい行為であるわけです。

もちろん、行政機関は違法な行為をしてはならず、これを発見した公務員は当局に届け出でをする義務がある。ただしその処理は、行政なり司法なりの手続きで行われるのですね。

また、公務員といえども思想良心の自由はあるのですが、これは行政機関の外部で行うべきであって、個人的な思想に基づいて勝手に行政手続きを曲げてしまうことは許されない。そんなことをしたら、民主主義を外れた独裁になってしまいます。

今回の学術会議が憲法に反する方向に走っていると総理が判断すれば、かりにそれが言語化できない段階であろうと、これを正常化するための措置を総理がとることは、全く妥当なのですね。

これが我が国の憲法が規定する民主主義のあり方です。ご理解いただけませんか?


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

>人事権は総理大臣にあるのですよ。

既に何度か書いていますように、 それは違います。

憲法15条は公務員の選定・罷免権が 国民にあることを規定したものです。 内閣にある訳では無いのです。 ここが重要です。

その国民の権利の具体化は 国会が法で定めるのであって、 国会が法で定めた基準に 内閣は従わなければなりません。 そのように憲法で決まっているのです。

民主主義国家で権力の暴走や集中を防ぐ仕組みは 三権分立などがありますが、 学術会議法もその精神に基づいて、 学術会議のメンバー選定は 学術会議の自治にまかせる、 内閣は推薦されたものを拒否しない、 と当時の与野党がさんざん議論して 取り決めた訳です。

当時の野党も学術会議の独立について くどいほど念を押しています。 その末に出来たのが 今の学術会議法なのです。


スライム ベス

>総理が判断すれば~全く妥当なのですね。

その判断の法的または道義的な正当性が 問われている訳ですから、 一般論としてそのようなお話をされても 菅氏の行動を擁護する根拠には あまりなっていないのですね。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

> 憲法15条は公務員の選定・罷免権が国民にあることを規定したものです。内閣にある訳では無いのです。ここが重要です。<

内閣総理大臣が国民を代表しております。これが、我が国の憲法が規定している間接民主制で、内閣総理大臣は、国民を代表して公務員の選定を行います。

> その国民の権利の具体化は国会が法で定めるのであって、国会が法で定めた基準に内閣は従わなければなりません。そのように憲法で決まっているのです。<

内閣は、法の範囲内で、自らの裁量により行政行為を行います。国会が決めるのは法律です。

> 学術会議のメンバー選定は学術会議の自治にまかせる、内閣は推薦されたものを拒否しない、と当時の与野党がさんざん議論して取り決めた訳です。<

そもそも、憲法15条に反する取り決めは無効なのですが、それ以外にも、国会で取り決めた結果は、法の文言に残さなければいけません。口約束が法律になるわけではありません。そんなことをされたら、国民は何をあてにしてよいか、困ってしまうのではないでしょうか。

なお、法解釈は、あくまで、行為の当事者がその時々の状況に応じて行うものであり、固定されたものではありません。最高裁の判例ですら覆ることがあるのですね。

もし立法時点の内閣の法解釈が、法の文言にない規定を行っており、この解釈を永続させたいなら、法律の文言に反映されるべきでした。

法的妥当性に問題があるなら、司法判断を仰げばよいのですが、今回問題となっております法学者たちは、司法判断に委ねることに消極的です。

これは、この部分を菅総理を批判する方々はどう解釈されているのでしょうね。

普通に考えれば、これを問題にするようなことがあると、法律に関する専門家としての能力を否定されかねない。それをご当人たちもよく理解されているとみるべきでしょう。


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

>そもそも、憲法15条に反する取り決めは無効なのですが

何度もご説明しておりますが、 内閣が推薦を拒否しないという取り決めは 憲法違反ではありません。

公務員の選定・罷免権は 国民固有の権利であって、 国民固有の権利であって、 内閣固有の権利ではありません。 内閣の権利だというなら、 その根拠を示して下さい。

首相は国民の代表ですが、 これも何度も言うように 国民は首相に全権を委任しているわけでは ありません。

逆に、内閣が人事権を濫用しないように 法で制限をかける事は 国民の権利です。


スライム ベス

>口約束が法律になるわけではありません。

内閣が国会答弁で示した解釈は 単なる口約束ではありません。 国会の議論を通じ確定した有権解釈(公権的解釈)は、 行政府が一方的に変えることは出来ません。

国会で明確に争点となり、繰り返し説明した解釈を、 まともな説明もせず恣意的に変えて法適用を行うとすれば、 これはもう内閣による新たな法律の制定と言ってよく、...もっと見る


スライム ベス

>普通に考えれば、これを問題にするようなことがあると、法律に関する専門家としての能力を否定されかねない。

この問題でネット検索をされた事はありますか?

法学者や弁護士など、法律の専門家は 今回の菅内閣の行為にほぼ批判一色です。 いくつかの都道府県の弁護士会など 各種法律家組織で、 今回の任命拒否を違法だとする声明も 多く見られます。

法律の専門家の間で、 この問題で意見が割れているというような 状況にはありません。

むしろ菅内閣の行動を正当化する人の方が 法律専門家としての能力を否定されかねない という状況にあるように見えますが。

菅内閣の行動が適切かどうかということと、 不適切な行動を 裁判という手段で解決するのが適切かということは また別の話ですから、 混同なされないように。

また政府も、法律制定時の解釈は変更していないと いまだに言い続けています。 実際に取った行動は解釈とかけ離れているのに。

ずいぶん無茶な弁明をするものですが、 それでも「解釈を変えました」と言ってしまうより まだ無茶の度合いが低いだろうという 計算があったんでしょうね。 たぶん法制局あたりからの入れ知恵が あったのではないでしょうかw


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

今回の問題の渦中にも法律の専門家がおられるわけで、これが法に反するという主張をされるなら、司法判断を仰ぐのが最も効果的なのですね。少なくとも、任命という結果を得たいならそうするのが普通の道であるわけです。

現実はそうしてはいない。それがすべてを物語っております。以下のエントリーは、学術会議サイドの立場で書かれているのですが、キーワードは「手詰まり」なぜそうなるのか、一度考えてみられたら良い。

https://blogos.com/article/494447/

まあ、法的妥当性を脇に置くなら、政府批判を「叫ぶ」ネタとして使えないことはない。それが現実であるように、私には思えます。

言論の自由はあるわけだから、そうすることをだれも止められませんけど、むなしい行為ではあります。


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

>少なくとも、任命という結果を得たいならそうするのが普通の道であるわけです。

実際に任命されたいと思ってる人は あまりいてないみたいですけどね。

自分の研究を犠牲にして 学術会議のための仕事をせねばならず、 その割には大した手当も出ない、 多くの人はボランティア精神でやっていると 誰かがインタビューで言っていましたが。

まあこんな団体に推薦される人は 学者として功成り名を遂げた 人たちばかりでしょうから、 世間に恩返ししようという気持ちで やってるんでしょう。

リンク先にもあるように、 日本の裁判は まず原告が具体的侵害を受けてないとダメで、 別に学術会議入りを 自分から希望してるわけでもないのに、 訴えるのか?て事になりますねえ。

私も裁判したら面白いのにと 野次馬根性で思ってますが、 仮に政府が敗訴して 強制的に任命拒否が撤回されたとして、 日本国にとってそれがベストなんですかね。 結果が出るまでに時間もかかるし。

一番ベストなのは、 菅首相が日本の法について 学術会議のメンバーに選出されるような 一流の法学者からいろいろ教えてもらって、 自分自身が十分納得した上で 推薦拒否を撤回する、 という事だと思うんですが。 菅首相にそんな器量は無いでしょうねえ。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

学術会議は侵害を受けているのでしょ。任命すべき人材を任命してもらえていないのですから。任命されなかった人にしたところで、任命される権利があるなら、これを不法に侵害されているわけで、訴える根拠はあるのですね。

ここで示したリンクの面白い点は、この文春オンラインの書き手が学術会議サイド(任命拒否を批判する側)に立っているにもかかわらず、その主張を補強するどころか、無理筋であることを際立たせてしまっているという点なのですね。

タイトルにあります「仏メディア(ラジオ・フランスの特派員)」にしたところで、学術会議サイドのやり方に疑問を持っているのですよ。「もっと強く抗議しないのか? 裁判に訴えないのか?」ですからね。

結局のところ、ここで学術会議がおこなっている抗議のあり方は、一般的な常識に照らして少々おかしいと言ことです。我が国の左翼はこれが正しいと思っているのかもしれないのですけどね。

だから、メディアはいらいらする。「手詰まりですね……」と漏らしたりね。現場の感覚は、結構正しいところを突いています。

世論調査の結果にしてみたところで、自民党の政党支持率が上昇し、立憲民主党の支持率が低下していることからは、国民の支持も受けていないことを示しているわけで、結局のところ一人芝居をしているだけ。近頃流行りの無観客パフォーマンスを演じているというわけです。

今回の学術会議問題は、なんのことはない、共産党の大失敗だと思いますけど、これを持ち上げたりしておりますと、彼らは失敗を繰り返すだけだと思いますよ。

まあ、立民を嵌めるのが主目的であったのなら、これは大成功と言えないこともないのですが、、、


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

確かに学術会議として訴えることも 出来そうに思いますねえ。

対応もよく言えば大人の対応というか 全体的におとなしい感じで、 もっと強硬に対応してもいいのに という気はします。


スライム ベス

この件で抗議しているのは 学術会議以外に学会全体に広がっています。

拒否された方が所属している学部や大学全体、 また各種法律関係の学会にとどまらず、 一般の学会も多く声明を出し、 学会を挙げて抗議している一方、 菅政権の対応を擁護する声は 学会からはほぼありませんね。

各種弁護士団体も 菅政権の行動の法的問題点を 指摘しています。 逆に菅政権の対応は問題ないという意見は 法律関係者からはほぼ聞いたことがありません。

それら弁護士や法学部教授などの 法律家からの指摘は いちいちもっともで、 菅政権の行為がいかに暴挙であったか、 よく理解できます。

ただこの事件への怒りが 法律専門家や学会にとどまり、 国民的広がりを 欠いているのも事実です。

一般国民にとっては、 自分たちの権利が侵害されている問題ではない、 他人事のような感じで 受け止めている人が多いんでしょうね。


スライム ベス

>その主張を補強するどころか、無理筋であることを際立たせてしまっているという点なのですね。

無理筋というか、 彼らが手詰まり感を感じている、 というのはあるんでしょう。

ただその理由として 元々の自分たちの主張に無理があったからなのだ、 彼らもその事を自覚しているのだ、 との瀬尾さんの考えは、 あまりにもご自分のイデオロギーに都合が良いように 物事を想像し過ぎですw

いろいろな法律専門家が 菅政権の行為を批判している理屈は 大変理路整然としています。 またその主張の正しさ自体には 皆自信を持っておられるようです。

ただその正しい主張が あんまり一般国民から 共感を得ていない、 自分たちとは関係無い話だと思われている、 そういう無力感みたいなものは あるようです。

そういう事だと思いますけどね。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

レヴィ・ストロースがアマゾン奥地の裸族を訪ねて得た思想が「構造主義」でして、世界には無数の価値観が併存し、そのどれもが正しい、という考え方なのですね。そういう意味では、共産党の考え方も正しいし、学術会議の主張も正しい。

だけど、彼らを支持する人たちは日本国民の中では少数派だ、ということが問題だし、この厳粛な事実を認識しなくちゃいけないのですね。民主主義とはそういうもので、結局のところ民主的な手続きで選ばれた菅総理が正義、ということになってしまう。これが現実です。

学術会議の問題に関しては、共産党サイドの戦略はある程度成功した。学術会議と立憲民主党はババを引いた。菅総理は、つまらぬ問題に足をとられる結果となったけど、最後に実利を得そうな展開とはなっている。

ただ、菅総理がすべてを得ようとすると、この先、波乱が生じるはずで、実務家である菅氏としては、何らかの丸く収まる落としどころを考えているのではないでしょうか。

たとえば、学術会議は民営化するけど、運営資金は引き続き供給する、みたいな一手があるのですね。学術関係の組織を政府が援助することは、たとえそれが行政機関でない民営機関であるとしても、全然問題がない。なんなら、船舶振興会あたりにやってもらえばよい。

そして、そのような話を学術会議の運営側と交わしたうえで学術会議の民営化に踏み切れば、大きな混乱もなく、双方に満足のいく結果が得られるはず。

これ、三方一両損という、名判決なのですね。あ、損する二方は学術会議と菅総理、もう一方は誰?ですか。そりゃ国民ですとも。わけのわからない民営組織に税金を使うわけですから。

まあでも、丸く収まればよろしいのではないでしょうか。多分、そんな形が、賢い実務というものであるような気がいたしますよ。


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

>彼らを支持する人たちは日本国民の中では少数派

必ずしもそうは言えないと思いますけどね。

世論調査で 菅首相の説明が十分ではないとの回答が 6割、十分が1割ですから。

これは質問の仕方で回答が変わってきます。

菅主張の対応が適切か不適切かという問いでは 不適切との回答がやや多く、 問題か問題でないかとの問いでは 問題でないとの回答がやや多いんですね。

この結果をちょっと乱暴にまとめたら、 「不適切は不適切だがそれほど重要な問題ではない」 ということではないでしょうか。

今回の事件を 政治家・法律関係者・ジャーナリストの目線で見ると、 日本の法治主義・民主主義のあり方に影響する 大問題なんですが、 一般国民にはピンと来ない。

コロナで大変な時期に よくわからん問題で 神学論争みたいな事をしてる、 と見えてしまうんでしょうねえ。


スライム ベス

>民主主義とはそういうもので、結局のところ民主的な手続きで選ばれた菅総理が正義、ということになってしまう。

民主主義とはそういうものではないし、 またあってはならないと思います。

少数意見の尊重というのは民主主義の重要な要素だし、 とにかくヒトラーの影響が大きすぎて、 戦後の民主主義国家では 民主的な手続きで選出された権力が 過度に集中したり暴走したりする事がないように 大変気をつかっています。

でもあまり民主主義を知らない人は 民主主義=多数決だと 単純に考えがちなんですよねえ。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

| 少数意見の尊重というのは民主主義の重要な要素

少数意見は尊重されておりますとも。あちこちで、散々しゃべっておられるではないですか。もちろん、「最大多数の最大幸福」が民主主義の基本原理ですから最終的に実行されるのは多数意見なのですね。

また、「ヒットラー」という言葉が先のURLの中でも語られておりますが、ヒットラーは合法的に権力を掌握した。国会決議を受けてそうしたのですね。だからこれを防止する条項を憲法に設けることが、今日では一般的になっている。日本国憲法第15条は正にこのための条項なのですね。

今回の議論を通して、国会での答弁を最重要とみなす考え方が時折みられるのですが、国会といえども憲法の規定を外れることは許されない。特に、行政機関の一部が総理大臣のコントロールを外れることを許すようなことはあってはならない。

それが、ヒットラーを生み出した歴史から得た教訓であり、今回これを無視しているのが、学術会議擁護派であるところが、何とも皮肉な状況なのですね。

なお、国民の支持に関しては、菅総理を支持するか、学術会議を支持するかの二者択一です。そりゃ菅総理にも至らぬ点は多々あるでしょうけど、どちらの主張をとるかという段になりますと、こまごました議論は、いったん棚上げにするしかありません。


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

>少数意見は尊重されておりますとも。あちこちで、散々しゃべっておられるではないですか。

単にしゃべる事ができるというのは、 言論の自由の範疇に入ると思いますが。

私が言っているのは、 「民主的な手続きで選ばれた菅総理が正義」 という考え方が 少数意見の尊重という概念に反するということです。

そうすると菅総理と対立する側は 正義と対立する不正義という事ですか? そのような考え方が民主主義的ではない、 という事です。

別に私は、 少数意見は多数意見よりエラいとか、 そんな事を言っているのではないのですよ?

瀬尾さんのご意見一つ一つに 私が問題だと思う点を指摘していると 膨大になってしまいます。

まず冒頭一行への私の指摘について 反論などはあるでしょうか。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

少数意見の尊重というのは、少数意見を政策に反映させるという意味ではないですよ。少数意見もきちんと聞く、ということであって、まずは語ることを認めるわけですね。

で、それを聞いた有権者がいずれが正しいかを判断する。学術会議が正しいと考えれば、菅総理なり自民党なりの支持率が低下し、いずれかの時点で、菅総理は政権を追われることになります。

そうなるまでは、菅総理が国民を代表する状態が続く。つまり正義は菅総理にあり、というわけです。

少数意見が不正義というわけではないですよ。ただ、菅総理の正義が認められる、というわけです。

ちなみに、「正義」という言葉を、ハーバーマスの「討議倫理」を訳された清水多吉、朝倉輝一の両氏は「善〔財〕倫理」と訳し、「財を介しての他者とのあるべき交わり方」を意味するとしております。

ここで、「財」というのは広義の概念で、「権利」くらいにとらえておくのが良いかもしれません。民法709条は,「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と定めているのですが、こういう意味での権利を「正義」と呼ぶのが妥当ではないかと思います。

モーゼの十戒も、おおむね、正義に関わる戒律ですね。まあ、女性を財とみなせば「汝犯すなかれ」もそう言えるわけで。

この考え方に従えば、多数の支持を集めた結果、菅総理が法律上保護される権利を有することになったことをもって、正義は菅総理にあり、ということも妥当だといえるのではないでしょうか。

ちなみに、正義とよく似た概念の「倫理」は「人間の良き生き方」、「道徳」は「なすべきこと、なさざるべきことを命じる人の内なる声」で、道徳概念がカントによる以外は、倫理、正義ともに、アリストテレスが唱えた概念です。

倫理・道徳・正義の概念は難しいですね。


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

正義という言葉を 一般的な意味で使われているのとは 少し違う意味で使っているのだと いう事であれば、 一応は納得できる話ですね。 誤解を招く表現であるとは思いますが。

ただし、総理大臣といえども あくまでも法律の制限下でしか 権利を行使できない、 という事を認識しておくのが 大事ですね。


スライム ベス

続いてですが、 その次に書かれている

>「最大多数の最大幸福」が民主主義の基本原理

にもちょっと驚かされました。

これは功利主義について端的に説明する言葉として 有名ですが、 それが民主主義の基本原理とは!?

瀬尾さんはいろいろと 知識を持っておられるようですが、 民主主義については どうも根本的な所から 誤って理解されているように 思えるんですけどね。

アメリカ国務省が民主主義について 簡単に解説しているサイトがありますが、 一度読んでみて下さい。 さすがと思わせる内容です。

https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3077/

「民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する。」

というのが大事ですね。

ネット右翼の方々の中には 少数派の権利を口にしただけで サヨクだリベラルだと攻撃する人がいますが、 せめてここに書かれている事くらいは 右翼左翼関係なく 共通認識にしておいていただきたい ものだと思いますす。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

「正義」という言葉が一般に誤解されていることは事実ですけど、学問的にはこういう意味なのですね。

だから、「正義の味方、月光仮面」が債権取り立てに走り回っても、言葉の意味からは、何もおかしなことではない。

| 個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する

これは大事ですよ。だから、言論の自由は少数者に対しても守られなければいけないし、少数者の経済的権利なり精神的な権利も守られなければいけない。

そして、正当な権利が侵害された場合、これを回復するのが民法に定める「不法行為」の規定なのですね。つまり現在は、ボールは学術会議なり任命拒否された学者の側にある。

それが正当な異議申し立てであると思うなら、司法の場で決着をつけるべきなのですね。そうせずにクレームをつけ続けるのは、政治的プロパガンダであると解釈されても致し方ない。

現に行われているのは、そういうことではないでしょうか。そして、それが多くの国民にばれてしまっている、と。

むなしいことだとは思われませんか?


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

>学問的にはこういう意味なのですね。

仮にそうであったとしても、 できるだけ一般的に通用する言葉を使いましょう。 どうしても使いたくない場合は、 理解できるように注釈でもしておきましょう。

私は「権利」くらいの意味で正義という言葉を使いました と言われても、 相手に通じるわけが無いですからね。


スライム ベス

瀬尾さんが少数者の権利を熱心に擁護すべきと 考えておられるのなら、 これは大変結構なことです。

ただ、 「最大多数の最大幸福」が民主主義の基本原理 などと書かれると、 この人は民主主義を理解しているのだろうかと 不安になってしまいます。 今までそのように考えられていたのなら、 考えを改める事をお勧めします。


スライム ベス

>それが正当な異議申し立てであると思うなら、司法の場で決着をつけるべきなのですね。

その方策を取るかどうかは 権利を侵害された者の権利であって、 義務ではありません。

今回は学術会議の権利が侵害された事件 と言えますが、 別の側面からみると 行政府により立法府がないがしろにされたとも 見ることが出来ます。

学術会議側が 「まず国会の議論を見守る」という方針を 取ったとしても 別におかしくは無いですね。

>そうせずにクレームをつけ続けるのは、政治的プロパガンダであると解釈されても致し方ない。

権利が侵害されたと考えれば、 司法を活用するかどうかに関係無く、 まず相手に対して 正当な批判を行うことは当然の話です。

相手が批判を聞き入れれば 話が早く済んで、 司法を活用するまでもありません。

個人的には 学術会議はもっと政府に対して 裁判も含め強硬な態度で臨むべきだ、 とは思ってるんですけどね。

まあ学術会議がどういう方針を取るかは 彼等自身が考えることですが。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

> 「最大多数の最大幸福」が民主主義の基本原理などと書かれると、この人は民主主義を理解しているのだろうかと不安になってしまいます。<

自由主義社会の民主主義諸制度は、功利主義の上に構築されております。たとえばWikipediaの以下の記述をご参照ください。

> 国家社会主義、民主主義は功利主義を基本理念とした政治思想である。<

https://ja.wikipedia.org/.../%E5%8A%9F%E5%88%A9%E4%B8%BB...

このあたりは、議論していると大変なことになりますから、各自ご研究されるのが良いのではないかと思います。

なお、共産主義者の唱える「民主主義」は、自由主義国家で言う「民主主義」とは別物である可能性もあることにご注意ください。

つまり、「朝鮮民主主義人民共和国」などという時の「民主主義」は、私の言う「民主主義」とは別物、ということですね。

共産党が人民に奉仕するという前提なら共産党の一党独裁も民主主義であり、これに異を唱えるものを再教育施設に送り込むことも民主主義の枠内であるとの論理も成り立つのですが、これは、自由主義社会でいう「民主主義」とは別物です。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

> 相手が批判を聞き入れれば話が早く済んで、司法を活用するまでもありません。<

いくつかの要点を示しておきましょう。

まず、ここでいう「権利」は、法の認める権利であって、勝手に唱えている権利ではどうしようもありません。おそらく、今回の学術会議側の批判は、法の定める権利が侵害されたというご主張なのですよね。

第二に、法の解釈は、それぞれの者が独自に行えばよいのであって、学術会議サイドの解釈が「権利侵害」とのものであっても、政府側が「権利侵害にはあたらず」と解釈することもあり得る。現在はそういう状況なのですね。

第三に、異なる法解釈が対立した場合、これを裁定するのが司法の役割なのですね。

だから、法解釈について説明することは悪くはないけれど、相手が受け入れなければこれはどうしようもない。個々の法解釈になど何の権威もありませんから、結局は、司法の場に訴えるしかないのですね。

前回ご紹介したエントリーで「手詰まりですね」という言葉が漏れてくるのは、もはや司法で解決するしかないということを学術会議サイドも理解しているということだと思いますよ。

https://blogos.com/article/494447/

もちろん、政治的なアピールとしては、いつまでも、政府サイドを「違法だ」と攻撃し続ける意味がないわけではないのだけれど、このような状況下で、司法の場に持ち出すでもなく違法だ違法だと叫び続けることは、逆に、法的背景を欠いた主張ではないかと国民に疑われる結果となってしまいます。

先のエントリーで、ジャーナリストが疑問を抱いているのも、その点ではないかと思いますよ。そして、法的裏付けを欠いた、ただただ政治的アピールとしての「違法だ」コールは、実際のところあまりいただけないやり方であるということも、理解しなくてはいけません。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

> できるだけ一般的に通用する言葉を使いましょう。

正義に関しては、スライムベスさんを含む多くの方が誤解されている様子です。

法に規定された権利を守らせることが正義だということなのですね。そしてそれは、広義の「財」に関わる権利だということです。

だから「正義の府」は司法なり裁判所のことだし、「正義」を意味する英語「ジャスティス」は他に「裁判」や「裁判官」などの意味も持つのですね。

左寄りの方は、法を超越した「正義」があると考えておられる方が多いのですが、一般的には正義とはあくまで制定された法に裏付けられた権利を守(らせ)ることを意味します。

だいたい、法を超越した正義など、もしそんなものがあるとしたら、それは各人各様の正義になってしまって収拾がつかなくなると思われませんか?


スライム ベス

瀬尾 雄三 さん

wikipediaは私でも誰でも編集できますので、 どこかの誰かがそのような事を言っている、 くらいの信頼性しか無いのです。

アメリカ国務省の 「民主主義の原則ー民主主義とは何か」には、 当然のことながら、 最大多数の最大幸福とか それに類する言葉は 出てきません。

むしろ最大多数の最大幸福は 民主主義の基本原理というより 弊害と言ってもいいかもしれません。

一つ例を出してみます。

いま10人の人が居たとして、 ある新しい政策を始めると 1人にだけ8点の不幸が、 残り9人には1点ずつの幸福が 加算されます。

現代の民主主義制度では このような特定の少数者にだけ 不幸を押し付ける政策は 著しい不正義とされています。

しかし最大多数の最大幸福を正しいとすると、 新しい政策こそが正義、 となってしまいます。

また多数決を絶対善とするような エセ民主主義だと、 10人がそれぞれ 自己の利益が最大になるように 合理的に行動すれば、 やはり新しい政策が採用され、 本来不正義であるはずのものが 正義であるかのように なってしまいます。

以上のことからも、 最大多数の最大幸福が 民主主義の基本原理などには なり得ない事がわかります。

>このあたりは、議論していると大変なことになりますから

ごもっともな話で、 私の上の意見に異論がなければ この話は終わりにしたいと思いますが。


瀬尾 雄三

スライム ベス さん

「功利主義」や「正義」という言葉は、多数の定義があり、学問的な意味(深く検討された本来の意味)と通俗的な意味が相当に異なっているということを念頭に置かれるのが良いかと思います。文献も、米国以外に、イギリスの諸制度を論じたものを読まれることをお勧めします。

もちろん、言葉というものは、通俗的な意味こそ正しいという主張もアリなので、何なのですが、、、

なお、多数決の不完全性については最近よく話題になっているのですが、だから採用すべきではない、ということにもならないのですね。

「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」というチャーチルの言葉が良いところを突いているとも思います。「最悪」の一つの理由は、間接民主制や多数決の欠陥を含んでのことなのでしょう。まあ、「衆愚」もその一つの理由ではあるのですが、、、

というわけで、ここでのすれ違いの原因は、言葉の意味(定義)にあると理解できます。そして言葉は本来多義的なもので、(学問的といっても古典的定義から最近の定義までいろいろありますし)学派やイデオロギーに応じてそれぞれに異なってしまうのですね。

コミュニケーションには、差異をなくすコミュニケーションと、差異を知るコミュニケーションがあるとよく言いますが、ここでの議論は後者であったということで、私も論を閉じたいと思います。

長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。

1 thought on “おくの総一郎氏の11/10付けBLOGOS記事「法制局が認めた違法な任命拒否」へのコメント

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