青山まさゆき氏の11/15付けBLOGOS記事「社会党の終焉」にコメントしました。
まあ、社会党らしいといえば社会党らしい。今は名前は変わっていますが、伝統はしっかりと受け継がれております。
で、これが負の遺産であると言われれば、たしかにそういえないこともないですけど、社会党は社会党なりの役割を果たしてきたこともまた事実ではあるわけです。
そもそも、なんで怒号が飛び交ったりするかといえば、この党が言語・論理で動いているから。イデオロギーというものはそういうものなのですね。イデア+ロゴスですからね。
でも、論理を徹底的に追及することも先に進むためには必要なことであって、これを現実世界に実現しようと散々苦労したことも無駄ではない。
つまりそれが非現実的であると分かったことは大いなる成果なのですね。こうして人類は一つ賢くなった。
それにまだ気づいていない人も、いないわけではないのだが、、、
返信がついております。
Toshimi Minoura
> まあ、社会党らしいといえば社会党らしい。今は名前は変わっていますが、伝統はしっかりと受け継がれております。
社会党の貢献のひとつは公害対策です。今では 日本は公害対策の先進国とみなされていますが、1960年代から1970年代においては公害反対運動というのは、会社が雇った右翼と暴力団に対抗するほどの覚悟が必要でした。
米国のCIAが公開している文書によると、岸首相を含み、それまでの日本の首相は、中国で略奪などによりため込んだ貴金属や宝石を資金として、右翼と暴力団のボスの児玉誉士夫が決めていました。社会党の浅沼委員長は山口二矢という右翼少年に暗殺されました。岸首相は、児玉誉士夫が関わった取り決めに従わなかったということで、右翼に刺されました。
私が小学生のときに、九州の三池炭鉱で大規模な労働争議があり、炭坑労働者が一人暴力団員に刺殺されたという新聞記事があったことを覚えています。
それから、もう一つの社会党の貢献は、米国が日本に対して強圧的なことをすれば日本は共産化すると、吉田首相は米国政府に思わせたということです。
Toshimi Minoura
大江健三郎の小説に、社会党の浅沼委員長を刺殺した山口二矢をモデルにした「政治少年死す」という小説があります。この小説では、山口二矢を、7割は維新の人達のように勇ましい人物として、3割はそれに苛立っている人物として描いています。大江健三郎は、この少年の持つ3割のいらだちに共感を示しています。
そして、大江健三郎自身は、この少年に対面して、おどおどし冷や汗を流しながらもなんとかもちこたえている臆病者として画いています。私も臆病者ですが、おどおどしても、何とか持ちこたえたいとおもっています。
大江健三郎には、山口二矢をモデルにした「セブンテイーン」という小説がありますが、この小説を出版した会社の社長の女中さんが右翼に刺し殺されました。そこで、「政治少年死す」は出版されませんでしたが、今はWeb読めます。
1970年代はでは、自民党と右翼・暴力団とは、こうして持ちつ持たれつの関係にありました。これに何とか対抗できたのは、社会党だけでした。
Toshimi Minoura
> 大江健三郎には、山口二矢をモデルにした「セブンテイーン」という小説がありますが、この小説を出版した会社の社長の女中さんが右翼に刺し殺されました。
お手伝いさんが刺し殺されたのは、深沢七郎さんの短編小説「風流夢譚」を『中央公論』に掲載した中央公論社の社長の家で起きた事件です。この事件は愛知県で起きたことに少し似ています。
「政治少年死す」については、この小説を掲載した『文学界』の編集長が次の様な謝罪をし、この小説を封印しました。
「虚構であるとはいえ、その根拠になった山口氏及び防共挺身隊、全アジア反共青年連盟並びに関係団体に御迷惑を与えたことは卒直に認め深くお詫びする次第である。」
これれらの事件についての記事があります。
https://news.yahoo.co.jp/.../shinodahi.../20190802-00136663/
50年程前の事件についての記憶違いであるとはいえ、愛国的諸兄に御迷惑を与えたことは卒直に認め深くお詫びする次第であります。
山下克也 Toshimi Minoura さん
左右の過激派は自分たちの(正義と称する)イデオロのために国や国民を利用する人たちで、愛国者じゃありませんよ。戦前の革新将校も戦後の共産党も愛国者ではない。
明治時代で言えば、福沢諭吉や渋沢栄一みたいな人が愛国者ですよ。間違えないようにね。
瀬尾 雄三
Toshimi Minoura さん
東西冷戦盛んなりし頃は、右も左も、かなり非人道的なことをやっておりました。米国にしたところで、情報機関が反米政権の指導者を排除して親米政権を樹立するなどということを世界のあちこちでやっていたのですね。それも、お金のためだ。
そういう時代にマルクス主義のいう歴史的必然性は説得力をもっており、学術社会の主流は、唯物弁証法であったといっても過言ではない。だから社会党がこの道を追求したのは、ある意味正当なやり方だったのですね。
結果的にこの道は間違いだった。共産主義は世界のいたるところで失敗したわけです。でもそれが誤りだという結論は、その道を極めた結果として得られるという側面もある。そういう意味で、社会党は偉大だった。偉大なる失敗者だったのですね。
また、その過程で、資本主義サイドの妥協を引き出したことも成果と言えるでしょう。環境問題しかり、福祉政策しかり、労働者保護しかり、なのですね。
そしてこれが皮肉なことに、資本主義をより完全な姿とする結果となったわけです。今日の資本主義社会が、かくも人間的となったのは、社会党をはじめとするマルクス主義者たちの賜物であるともいえます。
もちろんすでに彼らの時代ではない。彼らには、弔辞なりレクイエムをささげるべき時期なのでしょう。それが歴史の一幕というものです。
マドンナ旋風あれで調子に乗ったのがすべての終わりに繋がりましたね。