Chikirin氏の11/28付けBLOGOS記事「問題は時間じゃなくて(多分)くだらなさ」にコメントしました。
つまらない、くだらない仕事のつまらなさ、くだらなさがどこにあるかといえば、人の心の中にあるのであって、仕事そのものにあるわけではない、ということかもしれません。
それが、誰の心の中かといえば、まずはちきりんさんの心の中にあるのですね。そして、つまらない仕事をしていると思いながら仕事をしている人の心の中にも当然ある。で、大部分の人がくだらないと考える仕事が、普遍的な意味でのくだらない仕事なのでしょう。
実は、はたからみて、どう考えてもつまらない、くだらない仕事を嬉々としてやっている人もいる。まあ、給料が良いということもあるのだが、どうでも良いような仕事に価値を見出している。普遍的な価値ではなく、ローカルな価値なので、傍の人には全然理解できないわけですが。
判子を押すのでも、美しく押すにはそれなりの技術が必要であり、ハンコの曲がり具合によって、おのれの思いを周囲に伝えたりしているのですね。こうなりますと、ある種の伝統芸能であるとも言えそうです。まあ、伝統芸能も、くだらなく見える場合があるのだが、、、
その他、つまらない仕事、くだらない仕事ほど、難しいという性質もあるのであって、くだらない仕事ほど、その価値を周囲に認めさせるのは難しい。そして、難しい仕事をこなすのはそれなりに面白い、という側面もあるのですね。
くだらない仕事ほど面白いというのは、今日の、イグノーベル賞にも通底する要素がありそうです。まあ、イグノーベル賞の場合は、ばかばかしく見えても、思わぬ面で価値がある仕事だということなのですが、普通のくだらない仕事は、普遍的な意味でもくだらない。
まあしかし、税金を使って公務員が、普通の意味では無価値なことをやっているのは大問題なのであって、どこかで大ナタを振るわなくてはいけない。今のコロナで、仕事の内容が見直されている時期は、ある意味、チャンスかもしれませんね。
官僚は政治家のお守りをやめないと。