山本直人氏の1/14付けBLOGOS記事「日本医師会の言葉が心に響かないのはなぜだろう」にコメントしました。
医師や学者やその他の専門能力を生かした職業人は、おのれの専門能力に誇りを持ち、社会もそれを認めるというのが理想的な関係なのですね。たとえば米国社会がそれを理想としていることは、トム・クランシーの小説を読むと、なんとなく理解できます。
もちろん米国にもそうでない人は多々おられるのですが、少なくとも米国の学会は高い職業能力を維持することを含めた倫理基準を会員に示して社会の尊敬を勝ち得る努力をするなど、これを目標とした活動がなされているのですね。
まあ、我が国がそうでないとは言いませんけど、一時「医は算術」などといわれたような、営利の過度な追及がなされ、医療本来の目的を逸脱した過剰診療や過剰投薬が問題となったこともありました。今日の過剰ともいえる医療関係の規制は、医療機関の過度な営利追及に対する歯止めという側面もあるのでしょう。
もちろん、悪質な医療機関は一部に過ぎないのでしょうし、まともな医療機関、まともな医師が大多数だと思いますけど、一部にでも悪質な人がいると全体が規制されてしまう。そこに政府が出てこないようにするには、日本医師会などの職業団体が倫理基準を定めて指導力を発揮するのが理想的なのですね。
コロナで医療資源が厳しい現在は、千載一遇のチャンスかもしれません。ここは、政府サイドが医療にかかわる規制を大幅に緩和して、医療機関や医師、職業団体の自主性に委ねて効率的な運営を目指してみるのもよいかもしれません。悪質な行為が行われたとしても、トータルプラスならベターなわけで、そういう意味で今がチャンスなのですね。
返信がついております。
西川 均
認識が全く逆だと思います。
日本の国民医療費は対GDP比で米国の約1/2、一人当たり医療費は米国の約1/3です。
米国は医療の規制を極端に緩和して市場経済に任せた結果、世界でも突出して医療費が高騰したのです。
日本の医療は国民皆保険制度により、ほぼ社会主義体制になっています。(というより、中国の方が遥かに自由主義的な医療制度)
国は診療報酬の支払い条件を厳しくすれば良いだけなので、「過度の営利追及」などしたくても出来ないシステムなのです。
瀬尾 雄三
西川 均 さん
> 国は診療報酬の支払い条件を厳しくすれば良いだけなので、「過度の営利追及」などしたくても出来ないシステムなのです。
そういう風になっているというのが私の認識です。そうなった理由は、「過度の営利追及」をする人がいたからでしょう。そしてこれが、新型コロナのような、想定されていない事態が発生した際に柔軟な対応ができない原因になっているということですね。
ここは、医師の職業倫理の発露に「過度の営利追及」の抑制をゆだねて国のコントロールを緩めることで、専門家による柔軟な対応ができるようにしたらよいのではないか、というのが私の提案です。
私は逆で国営化、効率化をすべきと考えています。
まあ反対の人は多いでしょうが。