御田寺圭氏の1/20付けBLOGOS記事「緊急事態宣言下でも時短営業に応じず 外食大手に称賛集まったワケ」にコメントしました。
「自粛」なんだから「やだ」という権利はある。そしてそういう人を糾弾するのも自由だし、糾弾されても知らん顔をするのも自由であるわけですね。
結局のところ、「自粛」でうまくいくのは、協調性の高い人の集団である場合で、そうでない場合には強制力を伴う形でことを進めなければいけない。罰金だって、どこまで有効かわかりませんよ。反則もルールの内ですから。強制執行できるところまで考えておかなくてはいけません。
とはいえ、協調性の乏しい人がいるということは、社会としては健全なのであって、否定すべきことではありません。リースマンは著書「孤独な群衆」の中で、人々の性格構造は「適応型」「アノミー型」「自律型」の三つに分類されること、米国社会には適応型の人が増えているが適応型の多い社会は脆弱であることを、米国先住民の部族に対する調査研究で明らかにしております。
そういう意味では、「自粛要請に従う適応型」ではない人が一定数存在する社会が健全であるといえるのですが、さて、グローバルダイニングの長谷川代表がアノミー型であるのか、自律型であるのかは、判断のしかねるところです。
つまりアノミーとは、単なる社会に適応できない、ある種の障害であるわけで、この方の言い分がどの程度論理的一貫性があるかが問題となるわけですね。これに関しては、十分な情報がない以上、判断を保留するしかありません。
返信がついております。
加藤洋行
>「自粛要請に従う適応型」ではない人が一定数存在する社会が健全であるといえるのですが
欧米でこれだけのコロナ感染者が出ると、感染症に関しては例外だと言えそうですね。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
> 感染症に関しては例外
リースマンが理想としているのは、無条件に大勢に従う「適応型」だけではなく、自ら考えた上で自らの行動を決する「自律型」が一定数含まれている社会で、そうでない社会は不安定になる、ということなのですね。
だから自律型の人の選択した自らの行動が「自粛要請に従う」ということもあり得、現在の欧米の状況では、自ら考えた結果得た結論がそうであっても不思議はないのですね。これはこれでよいわけです。
問題は、「アノミー」であって、アマノジャクというか、自分勝手というか、反社会的であることによって自己の存在を確認したがる人というか、まあ、そうした存在なのであって、特に感染症が急拡大しているような状況下では、このような人の存在は、社会に甚大な悪影響を与えてしまう。今回の社長さんがこちらであると致しますと、これははなはだ問題であると思うわけです。
まあトランプ支持者みたいな人はどこにでもいる。
アメリカの半分がそうなんだからな。