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鈴木宗男氏の1/28付けBLOGOS記事「ムネオ日記」へのコメント

鈴木宗男氏の1/28付けBLOGOS記事「ムネオ日記」にコメントしました。


文化の違い、ということではないかな? 国籍がどうの、ということではなく、生まれ育った社会から得たものが違う、ということであるような印象を受けました。このあたり、鈴木大拙師の「日本的霊性」によりますと、次のようになります。雰囲気、わかっていただけますでしょうか。

禅はシナで発生したのであるが、それは漢民族の実際生活の中へ深く入り込まなかった。華厳や天台や唯識(ゆいしき)のようなものでは、とうていシナ民族に取り入れられないのであるから、シナ仏教は禅と浄土になるよりほかない。仏教は禅となることによりて、宋儒の理学を大成せしめ明代の王学を興こさした。

しかしシナ民衆の一般的生活の中には、仏教は禅として浸透しないで、因果応報の教えとしてゆきわたっている。それは北方民族としての漢人の思想や情緒で支配せられている国民にとりては、南方系の禅思想よりも、論理性を帯びた善因善果説の方がより効果的であろう。それで浄土思想も親鸞的横超経験で体得せられなかったのである。

日本的なるものには、どうしても南方系の考え方・感じ方と言うべきものが基調をなしているのである。その点で日本人と禅とは、おのずから親しみ易い傾向をもっていると言ってよい。牧谿(もっけい)の絵がその本国で解せられないで、日本でのみ保存せられてある事実も、前述の理由によるものと考えるべきであろう。

本居宣長が、漢意(からごころ)の理屈に偏するを喜ばないで、大和心の直ぐにして、物事をありのままの姿で受け入れるのを取るといっているのも、ひっきょうずるに北方系と南方系とは、その考え方、その感じ方、その動き方において、相同じからざるものがあるからだ。


コメントがついております。

Toshimi Minoura

「日本的霊性」という本は、日本国民が敗戦で打ちひしがれているときに、鈴木大拙師が、天皇・皇后を相手に講演を行い、その内容をまとめたものです。私は、25年程前にこの本を読み、大乗仏経の本質を知るには良い本だとおもいました。

浄土真宗の信徒が毎日唱えるお経のようなものに正信偈というものがあります。これは、仏経の教えがどのようにして日本の浄土系の仏教として伝えられたを書いた偈文です。これは、親鸞が書いたものですから「お経」ではありません。「お経」とは、釈迦がいったことをそのまま書いたことになっています。

そこで、仏教の経典はいつも、「如是我聞」(我かくのごとく聞けり)という言葉から始まります。ただし、大乗仏教の経典は、釈迦の死後何百年もたって書かれましたから、すべて偽教です。

しかし、親鸞は浄土教の教えは、釈迦の教えが、次の7高僧により伝えられたと考えました。インド(天竺)の龍樹と天親、中国の曇鸞、道綽、善導、そして日本の源信・源空(法然)の7人です。


Toshimi Minoura

現在の日本では、因果応報思想が蔓延しています。

「悪いことをすると、バチがあたる」とか、「自己責任」とか、「自助」いういうのは、因果応報思想です。

> それで浄土思想も親鸞的横超経験で体得せられなかったのである。

正信偈には、釈迦の教えとして次の文句があります。

即横超截五悪趣 (そくおうちょうぜつごあくしゅ)

意味:五悪趣といわれる迷いの世界を即座に飛び越え

横超の思想は禅や浄土系の大乗仏教に特有なものですから、これは釈迦の教えではありません。私は、大乗佛教の宗祖といわれる龍樹あたりから始まったとおもいます。

親鸞は、法然の教えに何ごとも加えなかったといっています。しかし、浄土宗の教えと浄土真宗の教えとはかなり違います。浄土真宗の教えの最大の特徴は、現生往生です。悟る、涅槃、往生する、救われる、などは同じ意味です。

そから、鈴木大拙師は学習院大学の教授でしたが、浄土真宗の東本願寺系の大谷大学の教授になりました。

> 本居宣長が、漢意(からごころ)の理屈に偏するを喜ばないで、大和心の直ぐにして、物事をありのままの姿で受け入れるのを取る

「大和心」については、多くの人が、その意味を誤解しているとおもいます。典型的な誤解の例は、神風特攻隊に、「敷島」、 「大和」、「朝日」、「山桜といった名前をつけたことです。


瀬尾 雄三

Toshimi Minoura さん

> 大乗仏経の本質を知るには良い本

実は、鈴木大拙師が影響を与えているのは宗教世界だけではなく、哲学、芸術、技術、経営、政治の世界にも多大な影響を与えている。鈴木宗男氏に関しても、大拙師の重視する「大地」という言葉をあちこちで使われていることから、影響を受けているのではないかと思います。

ジブリの鈴木敏夫氏も「鈴木」つながりで大拙師に興味をいだき、禅の修行迄したことを敏夫氏の著「禅とジブリ」の中で述べられています。

情報電子技術関連では「Zen and the Art of XXXX」と題する書物が多数出版されているのですが、その嚆矢となりましたパーシグ氏の「禅とオートバイ修理技術(上)(下)」を読むと、米国のヒッピームーブメントに与えた禅の影響を感じ取ることができます。「Back to the Nature」は、大拙師が重視する「大地」の思想そのものですよね。

パーシグ氏は彼の著書の中で「クオリティ」を重視するのですが、これは、感性でも理性でもない、大拙師の言う「霊性」であり、カントの「悟性」に通ずるものだと思います。そして、アップルの創始者たちへの大拙師の影響と、ヒッピームーブメントと米国における情報技術の爆発的発展後が重なり合っていることが注目されます。また、クオリティ重視の日本企業の発展にも、なにがしかの関連があるのではとの思いも抱かせるのですね。

いずれにいたしましても、つまらぬ政治家のたわごとに流されず、この感覚は大事にしていかなくてはいけません。それがおそらくは、我が国の未来を切り開くことになるのではないかと思います。


Toshimi Minoura

Yuzo Seo  さん

> 大拙師の重視する「大地」という言葉

「大地」というのは、実存主義でいう「実存」だと思います。しかし、サルトルには「実存主はヒューマニズムである」という言葉があります。私は、これを現実を受け入れ、その現実の中で自分のできることをする」という意味だと理解しています。

カミユの「ペスト」という小説では、ペストの流行が猛威をふるいだすと、主人公たちは、素性の怪しい人物もふくめて、救護隊を編成します。救護隊といっても、できることは感染者の最期をみとることと、死体の処理だけです。そして、救護隊の隊員たちも、主人公を残して、ペストで死んでいきます。

実存主義は、人間の「英知」の産物であるはずの科学技術が、第二次世界大戦というとてつもない惨禍をもたらしたために、注目されました。米国では、コロナ禍による死者数は、第2次世界大戦における死者数を超えました。


瀬尾 雄三

Toshimi Minoura さん

> 「大地」というのは、実存主義でいう「実存」だと思います

たしかに、「本質に先立つ実存」というと「大地」に近い概念ではあります。でもここでいう「大地」とは、理屈でどうこう言えるようなものではなく、まさにその世界の中で生きている己を取り巻くもの、といったとらえ方が禅の心に近いのではないかと思います。禅というのは、現象学と同様の「方法論」というのが正しいかもしれません。それも、カントの言う「悟性」を働かせる方法論なのですね。

石井淳蔵さんの書かれた「ビジネス・インサイト」は、言語化できないもの、論理として意識される以前の、暗黙の認識が重要であると主張いたします。これまで論理実証主義に依拠して展開されてきた従来の経営学を、文化人類学的アプローチに変えよと主張いたします。論理実証主義は、研究者と研究対象の間に距離を置くのに対し、研究者が研究対象に「棲み込む」ことが重要だというのですね。

実は、技術的な研究開発の世界でも、優れた研究成果は、象牙の塔と言われるような研究所にこもっておこなわれた研究からではなく、工場のラインや新製品に密着した形で行われた研究から生まれるケースが多いのですね。

私の具体的な例はあまりご説明しにくいので他人の例を挙げますと、例えば「赤池の情報量基準(AIC)」などは、今日の多変量解析の世界で広く使われているのですが、赤池氏がこれを見出しましたのは、不安定なセメントキルンの変動解析という、泥臭い現場での研究からだったのですね。このあたりの事情は、サイエンス社から昭和47年に出版されました「ダイナミックシステムの統計的解析と制御」に詳しく出ております。興味深い書物です。

あ、「事件は現場で起こってる」ってのと同じかな?


Toshimi Minoura

> 技術的な研究開発の世界でも、優れた研究成果は、象牙の塔と言われるような研究所にこもっておこなわれた研究からではなく、工場のラインや新製品に密着した形で行われた研究から生まれるケースが多いのですね。

実は、ハイテク、特にソフトウエア、における核心的な技術のほとんどは大学や企業の研究室で生み出されています。特に、ソフトウエアというものは論理だけです。日本でソフトウエア技術といえば、プログラミング技術だとおっもている人達が多いと思いますが、米国におけるコンピュータ・サイエンスの教育内容の2/3ほどは基礎理論とアルゴリズム理論です。私はこれが、日本のソフトウエアが技術が決定的に遅れている理由だとおもっています。

それから、中国と朝鮮は文官が政治を支配していました。外圧があっても、文官は内部抗争を繰り返していて、外圧に有効に対処することができませんでした。逆に、日本は武士という武人が国を支配した時代が永く続きました、問題は武力で解決できました。そして、明治以後は、上の者には絶対服従するという官僚制が発達しました。

ハイテクの分野で、例えば100人の人がいるとします。そこで、100人の人に各自がよいと思う方法を考案させ、その中から一番良い方法を採用するのと、100人の人が一致団結して、考え出すのとどちらが良い結果をだすとおもいますか?

Blogos では、赤池議員が、しばしば「中共」に対して日本が技術分野においてどのように対抗するかという精緻な計画についての記事を書いています。しかし、赤池議員が本質的なことについては、何も理解していないのは明白です。

ただし、ハイテクの分野でも、こつこと改良が重ねられている部品などでは,日本製品が優勢です。


瀬尾 雄三

Toshimi Minoura さん

ソフトウエアの現場は、普通に言う工場の中ではなく、コンソールの前ですから、研究所も大学もないでしょう。むしろ、ソフトウエアの自由度がない(完成したソフトを使わざるを得ない)工場は、ソフトウエアに関しては、現場とは言えない。

で、すぐれたソフトウエアがどこで生まれたかといえば、多くの場合、特定のエンジニアが、おのれの必要性なり欲求に駆られて作ってしまった、というのが実情でしょう。

アップルの回路とソフトをほとんど一人で作り上げたウォズニアックや、Unixを作ったデニス・リッチーとケン・トンプソン、さらにはフリーのUnixであるLinuxを作ったリーナス・トーバルズ、あるいはマイコンのBasicを作ったビル・ゲイツもこの仲間に加えてもよいでしょう。もちろん他にもいっぱいいると思いますよ、この手の人は。私の知らないだけで。(文中敬称略です。以下同じ)

日本にだってこういう人がいないわけではない。たとえば樋口優が「2007年の大晦日に開発を始めて50 - 70時間ほどで作り上げた(Wikipedia)」MikuMikuDanceは、多くの人に受け入れられているのですね。あ、これ、初音ミクを歌って踊らせるフリーソフトです(って、知らない人はいないよね。)

これらと対照的なのが、官庁や大企業がソフトハウスに発注する業務用ソフトウエアで、非常に使いにくいことがその最大の特徴です。以前、JRのみどりの窓口の人が、やおら紙の本である「JR時刻表」を取り出したのを見て私は卒倒しそうになったことがあります。目の前にコンピュータがあるだろう、といいたいですよね。でもこれがごく一般的な姿なのでしょう。ま、つまり、それがいまの世界の、偽らざる現実だ、ということです。まったく、想像を絶する世界です。

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