コンテンツへスキップ

木走正水氏の2/8付けBLOGOS記事「新型コロナウイルス対策と日本人の被統治能力・ガバナビリティ【governability】の関係」へのコメント

木走正水氏の2/8付けBLOGOS記事「新型コロナウイルス対策と日本人の被統治能力・ガバナビリティ【governability】の関係」にコメントしました。


今回はしかし医学的エビデンスから離れて当ブログが強く感じるところをエントリーしたいと考えます(もっとも、素人の私は現時点で正確なエビデンスを示す情報も能力も有していません)。

これはこれで、正しいアプローチだと思います。メルロー・ポンチは「私たちにできることは、『説明』することではなく『記述』することだ」と語っております。

世の学者や評論家は、現象の背後にある本質を語りたがるのですが、それが正しいかどうかは誰にもわからない。でも私たちに見えていること、眼前の事実は、これは確かにそうであるわけですね。

哲学の一つの流れに「現象学」という大きな流れがあります。フッサールに始まり、ハイデガーやメルロー・ポンチによって受け継がれ発展したこの考え方は、特別な学派というよりは、方法論に近い考え方であり、マルクス主義やポストモダン思想の流れの中で雲散霧消してしまったようなところもありますが、カントの思想を受け継ぐ哲学思想の本流に位置付けられてしかるべき思想であると、私は考えております。そして、記述することしかできないとする考え方こそ、現象学の中心的アイデアなのですね。

もちろん、世界に働きかけ世界を変えるためには、その現象が何によって生じているかを考えなくてはいけない。でもそれは、あくまで仮説であり、頭の中に作り出したモデルであって、外界に存在するわけではない。方法論をサポートするためのものにすぎないということを認識していなくてはいけません。そのあたりを誤解している人が多いという印象も、私は受けております。

1 thoughts on “木走正水氏の2/8付けBLOGOS記事「新型コロナウイルス対策と日本人の被統治能力・ガバナビリティ【governability】の関係」へのコメント

  1. mi.mino

    >>この結果はもちろん喜ばしいことなのですが、「驚異的」と感じてしまうのは、もしこの驚くべきペースでの感染者数の減少が、1月8日に発出した緊急事態宣言の効果に起因するのだとしたら、日本という国はやはりすごい国民性を有しているのだなあと思うわけです。

    その通りです。

コメントは停止中です。