御田寺圭氏の2/25付けBLOGOS記事「迷走続ける菅政権 首相を苦しめる『成り上がり』のジレンマ」にコメントしました。
「売り家と唐様で書く三代目」という川柳があります。これ、先代が残した財産を三代目ともなると食いつぶしてしまうけど、売り家と書くその字体は文化の薫り高い唐様だ、という意味で、芸事にうつつを抜かして商売をおろそかにしたが故に没落したのだという皮肉と多くの人は解釈するのですけど、資産は失われても身につけた優雅さは残る、という文化礼賛の句だと言えないこともない。
三代目といえば「江戸っ子は三代続いて江戸生まれでなければならない」という、決まりといいますか、江戸っ子のエリート意識といいますか、そういうものもありまして、文化が身につくには三代くらいかかるという意味だと解釈すれば、上の「唐様」と対応する考え方といえます。
で、人々が一国の指導者に期待する資質の一つに、文化の香りなり、優雅さなりがありますと、これは一代で成り上がった者には難しい、そもそも芸事などに時間をとられていては、成り上がることも難しいのですね。そういう意味では、成り上がった者はトップたる資質に欠ける、と言われてしまうことは致し方ない。
でも一方で、誰でも成り上がれてトップにだってなれる社会が好ましいともいえるわけで、あまり文化の高さや優雅さをトップに求めることも、ある種の貴族制への期待になってしまい、理想的な社会からは隔たってしまう。そう考えれば、このがさつで乱暴でやさしくないリーダも、そういうものだと受け入れるしかないような気がいたします。
それが嫌なら、麻生さんあたりにバトンタッチするしかないのでしょうが、この価値基準で人を選ぶやり方が定着いたしますと、また、麻生さんから鳩山さんへのバトンタッチということにもなりかねず、我が国のトップを貴族社会にしてしまうことは、下々のものからみますと、悪夢の再来、ということになってしまうかもしれません。くわばら、くわばら、です。
がんばれ
菅首相