青山まさゆき氏の3/21付けBLOGOS記事「緊急事態宣言のような緩い社会的距離政策は取っても意味がないし…」にコメントしました。
同じ指摘を何度も繰り返したくはないのですが、このような比較は、意味がない、ということを改めて申し上げておきます。これが学術論文なら、確実に、査読段階でリジェクトされます。
何が問題かといえば、緊急事態宣言がランダムに出されているわけではなく、新型コロナの感染状況が厳しい地域に緊急事態宣言がおこなわれ、新型コロナの感染状況が厳しくない地域には緊急事態宣言がおこなわれていない。
だからこの双方を比較するということは、緊急事態宣言の有り無しだけを比較しているのではなく、これに新型コロナの感染状況の厳しさが加わった結果を比較しているということを意味しております。
これを比較して同じ結果になったら、新型コロナの感染状況の厳しさを緊急事態宣言が緩和した結果、そうでない地域と同じ経過をたどったと解釈することもできるわけで、緊急事態宣言は効果あり、という結論が出たっておかしくない。
このエントリー主は、同じ誤りを繰り返し行っている。私以外に誰も気づいていないならよいのですが、多くの人が気づいていたら、これはちょっと滑稽な状況であるように思いますよ。そして、これをけしかけるのは、一見エントリー主に親切なように見えるけど、ひょっとすると、エントリー主に対する悪意の塊でやっているのではないか、などということも考えてしまいます。
返信がついております。
加藤洋行
まず、宣言の出た東京と大阪、どれくらいの行動制限が行われたのか、おそらくその制限率は異なるでしょう。宣言の出ていない静岡。それでも行動制限した人はいるでしょう。つまり「ランダム」にこだわるなら、行動制限率の異なる地域を3つ、ランダムに選んだと言える。しかし、それなのに3つの地域で同じスピード、同じ曲線で陽性者数が減少している。これが東京や大阪の減少スピードが早いのなら、まだ宣言に一定の効果があったと言えるが、そうではない。宣言に意味はないと言わざるを得ない。
瀬尾 雄三
放射能汚染の場合もそうだったのですが、「効果あり」と「効果なし」のいずれかであるという主張が多くみられるのですが、現実の世界では、「このデータからは効果があったかなかったかわからない」という第三のステータスがあるのですね。
で、学問研究の現場では、この第三のステータスである場合が圧倒的に多い。だけど、そういう状態では何も発表されないため、普通の人は第三のステータスに気付かないのですね。
逆に学問論文の価値を見極める査読の際には、それが結論を出すに足るものであるのか否かが重要なポイントになる。結論を出すに足らないデータから無理に結論を出したら、その論文には誤りがある。わかりやすく言えば、その結論はフェイクなのですね。
そういうわけで、前提の異なる二種類の地域への緊急事態宣言の有無をもって、緊急事態宣言の有効性を判断することは、学問的に誤りというしかない。この結論の正当性を主張するためには、緊急事態宣言が出た地域と出ない地域も、コロナの感染状況その他の条件は等しかったことを、まず立証しなくてはいけないのですね。その部分の検証が落ちておりますことが、この主張の決定的な弱点であるわけです。
この結論を批判するサイドには、こんなことを立証する必要など皆無だということも理解しなくてはいけない。その根拠は、そもそも緊急事態宣言を出した地域と出していない地域があるのは、コロナの感染の深刻さに差があったからと推測され、この結論の正当性は最初から否定されていると理解できるからなのですね。
加藤洋行
瀬尾 雄三
屁理屈はいいから、緊急事態宣言に効果があるというデータを示してください。
瀬尾 雄三
なぜ皆さんは、帰納法ばかりで議論されるのでしょうね。多くの科学技術の応用は演繹法を用いてなされているのですが。
緊急事態宣言に効果があるということを演繹法で説明するのは簡単なのですね。新型コロナの原因はウイルスに感染したことであり、新型コロナウイルスは飛沫感染と直接間接の接触感染で人から人へと感染を拡大していく。だから、人と人との接触機会を減らせば感染拡大は防止できる。単純な話ですね。緊急事態宣言は正にこの接触機会を減らしている。だから効果がある、ということになります。
これを数値的に表しているのが西浦モデルであり、これに従って接触機会を減らす三密対策によって、確かに第一波は終焉したのですね。データはいろいろな方がまとめておられますが、私がまとめている日々のデータは以下からアクセスできます。
https://dr-seo.net/.../%e6%96%b0%e5%9e%8b%e3%82%b3%e3%83.../
何事かをなそうという時に使われるロジカルシンキングの手法には、帰納法ではなく、演繹法が一般的です。帰納法は、わけのわからない現象が起こった時に、その原因を説明する仮説を求めるために利用されるのが一般的なのですね。
しかしその帰納法を使うにせよ、今回の青山氏の論理は穴だらけなのですね。元々、帰納法というやり方は、使い方が難しい。前提条件をきちんとクリヤーにしなければいけません。一方、演繹法は、既知の事実を組み合わせれば何らかの結論にたどり着ける。ここは、西浦氏が一歩上を行っている、というか、これがサイエンスの定石なのですね。
加藤洋行
瀬尾 雄三
西浦さんにロジカルシンキングができるとは思えません。だって、2003年にSARSが発生したときも「40万人が死ぬ」と言っていたらしいですよ。18年間、全然進歩していないということになります。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
西浦さんの「42万人死ぬ」は、感染防止対策をおこなわない場合の話じゃないですか?
この場合、人口の多くが感染して免疫を持つ結果、それ以上の感染は止まる。だけど、このためには人口の6割ほどの人が感染する必要があり、これに致死率を掛けると膨大な犠牲者を出すこととが予想されるわけです。
この道を選択した国もいくつかありましたが、膨大な犠牲を前にして挫折した。我が国は、事前に膨大な犠牲が予想されたことから、感染を食い止める道を選択し、この大惨事は未然に防止されました。
帰納法は、過去を説明することしかできないのですが、演繹法は未来を予測することもできる。それも、様々なケースごとに予測することもできるのですね。脅威にいかに対処するかを考えるためにとるべきロジカルシンキングの手法は、帰納法ではなく、演繹法なのであって、西浦氏は正しくこれをおこなった、というわけです。
加藤洋行
瀬尾 雄三
どう言い訳しても「SARSで40万人が死ぬ」も「コロナで42万人死ぬ」も全然当たらなかったのだから、西浦モデルを修正するべきでしょう。そもそも「何も対策を打たなければ」という前提が無意味なんだけどね。日本人は土着コロナの抗体を持っているから。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
これは言い訳とかそういう問題ではないですよ。以下のURLには「厚生労働省クラスター(感染者集団)対策班の西浦博・北海道大教授(理論疫学)は15日、人と人との接触を減らすなどの対策を全く取らない場合、国内で約85万人が重篤になるとの試算を公表した。うち約42万人が死亡する恐れがあるという。」とちゃんと書いてあるでしょ。https://www.jiji.com/jc/article?k=2020041500281&g=soc
ここで、「対策をまったく取らない場合」という条件が付いていることにご注意ください。西浦氏はこの時、様々な条件下での展開を試算し、最終的に接触8割減という提言をしたのですね。安倍さんに1割、値切られたけど、、、
その後、第一波の鎮静後、加藤さんのご指摘と同じようなことを言い出す人が現れて、山本一郎さんのおもちゃになっております。次のURLもご参照くださいね。https://bunshun.jp/articles/-/38122
「日本人は土着コロナの抗体を持っているから。」という加藤さんの言い分も、上の山本氏のエントリーの中できっちり否定されていることにご注意ください(4ページ目の第二段落)。これ、昨年の5月29日という、大昔の記事なのですが、、、
加藤洋行
瀬尾 雄三
西浦さんは自分ではっきり言っていました。最初「何も対策しなければ」という前提で計算したところ、接触削減率は6割だったと。ところが繁華街をうろうろしている人をテレビで見たので、警告の意味を込めて、8割にアップしたと。そんないい加減な自称専門家を崇拝する瀬尾さん。コロナウイルスが脳に回っているとしか思えません。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
「警告の意味を込めて」というのは、素人にわかりやすく説明しているだけの話だと思いますよ。
数字だけを追えば、接触削減率6割では、4割の接触が残ってしまいますから、基本再生産数2.5に乗じて1.0で、これでは不足します。もし6割という数字を掲げていたとしたら、接触削減以外に政府が何の対策をしなくても、人々の自主的対策の効果が加わると考えていたはずです。
このあたりはすべて憶測するしかないのですが、もしそういうことであるなら、人々のノーテンキ具合を見て、政府目標だけで感染拡大を抑制できる数字に改めた、ということではないでしょうか。
全ては想像の域を出ませんけど、加藤さんの上の記述に従っても、西浦氏のされていることがあまりいい加減なことでもないように思えるのですが、、、
加藤洋行
瀬尾 雄三
西浦さんが「8割削減」をぶち上げたとき、自民党の二階さんが「そんなこと、できるわけがない」といいました。結局、削減率は4割、二階さんのいう通りになった。普通に考えても「8割削減」なんて、医療や警察、消防、家庭内での接触まで止めることになります。ありえない数字です。「42万人死ぬ」も「何も対策しなければ」という前提を置いた荒唐無稽な数字です。あの時点で空港閉鎖はすでにやっていましたから、「42万人」は検証不可能です。そういう数字を掲げる人は信用できません。こういう人を崇拝する人も信用できない。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
> 「42万人」は検証不可能です
言説なり命題なりが正しい(真)か間違っている(偽)かを判定する手段として、帰納法と演繹法があると以前ご説明しましたが、演繹法ならこれは可能なのですね。
つまり、新型コロナの原因は特定の型のコロナウイルスによることがわかっており、その感染メカニズムもわかっている。数理モデルもわかっていれば、あとは計算すれば何が起こるかはわかる。この因果の連鎖を追うやり方が演繹法で、それぞれの因果関係は、それぞれの研究成果として認められているわけです。
これを「へ理屈」などといってしまうのは科学を否定する行為で、この結論を否定したければ、どの段階の論理に誤りがあるかを立証しなくちゃいけない。それができないならば、この論理は認めるしかありません。
なお、42万人の死者は、多少の対策をしても出たはずですよ。つまり、多少の対策をして実効再生産数を2.5から低下しても、それが1以上である状況を続けたら、結局は人口の6割程度が感染して収束する。その時の死者数は、やはりこれに致死率を掛けた値になる。実際問題として、イギリスやスウェーデンが何の対策もしていなかったわけではないのですね。でも、莫大な犠牲者が出る。これが冷徹な事実であるわけです。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
> 普通に考えても「8割削減」なんて、医療や警察、消防、家庭内での接触まで止めることになります。ありえない数字です。
これは、接触だけで早期に感染を収束に向かわせるために必要な数値で、相当な安全係数を見込んでいるのですね。実際のクリティカルポイントは6割削減で、安倍総理に7割削減に値切られましたが、これでも全然問題はない。
ただ、この手の感染拡大にはスーパースプレッダーの存在が決め手であることは、我が国でも当初からわかっていたことで、このあたりの事情は「急に売れ始めるにはワケがある」あたりをお読みいただければご理解いただけると思うのですが、要は、普通の人は感染しても、これを他人にうつさないか、うつしても多くて一人程度であるのに対して、10人以上といった多数にうつす人がいる。夜の街で梯子酒をしたり、不特定多数に性的サービスをしたりする人ですね。この手の人を抑えれば、8割減も現実的に不可能ではなかったのですね。
だから、最初からターゲットは比較的明瞭だった。夜の街を抑えればよかったのですね。でもこれが不十分だったため、結局は、第二波、第三波を招いてしまった。夜の街の快楽を保護して、どれほどの良いことがあったのでしょうか。これによって失われた我が国の可能性を考えるとき、暗澹たる気持ちになってしまいます。
コロナ発祥の中国がいち早くコロナを克服して経済を回復させている。一方のヨーロッパや米国は、未だコロナに苦しめられ、経済回復もままならない。これはもちろん、ジョンソン英首相やトランプ元大統領の失政にもよるわけで、誰に文句を言えた義理でもない。我が国は、これらの国の惨状を脇目に、比較的軽微な被害でやってこれたわけで、中国のようにコロナを克服して経済を回復させるチャンスもあったのですね。これを無にした過去は残念なことですけど、まだチャンスは残っているのですね。
加藤洋行
瀬尾 雄三
結局、あれですよね。日本ではコロナ上陸から1年以上たつのに、陽性者は45万人、総人口の0.36%しかいない。残りの99.64%はワクチンを打ったのと同じ状態にある。そのうえ、緊急事態宣言に意味がない。少なくとも日本に住んでいる間は過剰な心配をする必要はない。現実を目の前にすれば、西浦モデルも演繹法も意味がない。そういうことですよね。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
> 現実を目の前にすれば、西浦モデルも演繹法も意味がない。そういうことですよね。
西浦モデルに従って、接触を減少させる対策も種々取られているのですね。何かをする場合は、精度はともかくとして、何らかの数値目標が必要になるわけで、これを与えて行政の行動につながった点は高く評価しなくてはいけません。
演繹法に関しては、そもそもの新型コロナがウイルスによるものであるという知識から始まって、ならば感染がいかに起こるか、それを防止するための手段はいかなるものかを検討する。こういった対処が可能になるのは、感染機構を抑えた上で因果の連鎖をどこかで断ち切っているからなのですね。これがすなわち演繹法の応用で、西浦モデルもその一例であるわけです。
マスクに関しては、確かに、日本の場合演繹法云々の前に、経験的知見(つまりは帰納法)に基づく対処がなされておりました。これが、青山氏絶賛のアベノマスク配布と時を同じくして、MITなどで、マスクの効果が明らかになり、世界がマスクをするようにした。こちらは演繹法が使われた、というわけですね。https://blogos.com/article/447632/
新型コロナ対策に関しては多くの感染防止対策がおこなわれています。そしてその大部分は、新しい試みなのですね。こういうことをするには、感染拡大のメカニズムを調査して、どこかでこれを断つという手法が必要です。夜の街から感染が拡大するなら営業自粛を求めるといったやり方ですね。これが演繹法だし、実際に数多く使われて、感染拡大を抑制することに成功している。この事実は、認めないわけにいかないでしょう。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
> 日本ではコロナ上陸から1年以上たつのに、陽性者は45万人、総人口の0.36%しかいない
この部分ですが、昨年の3月末の時点で、アジア諸国の感染者数の上昇が緩やかな原因に関して、フィナンシャルタイムズが図に注記する形で以下の解説を付けておりました。
日本は、“strong social norms around social obedience and mask wearing”、つまり「社会的従順とマスク着用に関する強い社会規範」、韓国は“huge test-and-trace programme got on top of the outbreak”、つまり「大流行にぶつけた強力な検査追跡プログラム」、シンガポールは“strict quarantine rules & contact tracing”つまり「厳格な検疫ルールとコンタクトの追跡」、ホンコンは“school closures, quarantine, community response”、つまり「学校の閉鎖、検疫、コミュニティの対応」となっております。
これをまとめれば、(1) 厳重な検疫、(2) 検査と感染経路の追跡、(3) 社会の規範と対応、(4) マスクの着用、(5) 学校の閉鎖、ということになります。
我が国は(1)が少々ざるであったことは否めませんが、これらすべてを極めて早い段階から忠実に行いました。これが感染拡大の抑制と、死者を少数に抑えることに成功した理由と考えることもできるでしょう。逆に言えば、他の多くの国では初動に失敗した。この病気を甘く見てしまった、ということではないでしょうか。
加藤洋行
瀬尾 雄三
しかし、あれですよね。西浦さんとかテレビによく出る自称専門家を見ると、学者の中でも「名を売りたい」「名を上げたい」と思う人がいるんですね。そのへんは人間だから仕方がないのかな。ただ、功名心が裏目に出て信用を失ったら、元も子もないですよね。
加藤洋行
瀬尾 雄三 ほら、これ。自業自得とはいえ、本当に切ないですね。
https://twitter.com/mextjapan/status/1372835938787729411
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
全く切ない話です。でも、この手の馬鹿をやらかす医療関係者が昨年は続出しましたからね。
つくばのワインパーティや、その他の医師がやらかした件に関しては、文科省の管轄ではないからまあいいとしても、慶応でやらかしたのは文科省のメンツ丸つぶれで、今年もまたどこかのお調子者が似たようなことをやらかすことを恐れているのでしょう。まあ、次は慶応以外のところだと思いますけど、、、
さて、「名を売る」という意味では、まともな主張をして名が売れるのは、全然問題ないのですが、そうでない人が少々問題なのですね。注目を集めるためにもっとも効果的なのが、「普通ではない主張」をすること。最近の選挙でも、相当にエキセントリックな主張をする人が現れ、大いに注目される。で、YouTubeが大いにアクセスを集めて、たっぷり儲かるというわけなのですね。「緊急事態宣言は効果なし」も、相当にエキセントリックな主張だと思いますよ。
この手の主張は、ブログや有料ノートやサロンを主宰する人にもちらほらと見られ、これに影響を受けた人がおかしなことを言い出す。このエントリー主の主張もこれと似たところがあるのですね。まあ、これをある種のエンターテインメントだと思えば、それはそれで存在を許されてもよいのですが、まともな政党の名を出す形でこれをやるのはどうかと思いますよ。注目を集めるのは良いのですけど、日本維新の会を大いに傷つけてしまう。そこがちょっと問題なのですね。
加藤洋行
瀬尾 雄三
>「緊急事態宣言は効果なし」も、相当にエキセントリックな主張だと思いますよ。
エキセントリックかどうかは個人の判断によるけど、「42万人死ぬ」「接触8割削減」よりマシなんじゃないですか。西浦さんは国民に恐怖しか与えない。しかし「宣言に効果なし」は希望が出てくる。まず飲食業や観光業にとっては朗報でしょう。協力金やGoTo支援金が不要となれば国庫も助かる。マスク不要となれば、麻生さんじゃないけど、国民も大歓迎でしょう。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
> 「42万人死ぬ」「接触8割削減」よりマシなんじゃないですか。西浦さんは国民に恐怖しか与えない。しかし「宣言に効果なし」は希望が出てくる。まず飲食業や観光業にとっては朗報でしょう。協力金やGoTo支援金が不要となれば国庫も助かる。マスク不要となれば、麻生さんじゃないけど、国民も大歓迎でしょう。
なんと言いますか、ここまで偏った見方ができるとは、ある意味、感動すら覚えます。天然ボケのヒロインなら、「人間って、すごいですね~」、とか言い出しそうです。
新型コロナで先行き不明な時代にあっては、この先どうなるかを明らかにすることこそ、人々に希望を与える言葉なのですね。何もしなければ「42万人死ぬ」、だけど「接触8割削減」すれば短時間のうちにコロナは終焉する、これこそが希望の言葉です。
一方で、「宣言に効果なし」じゃあ座して死を待て、というような話にもなってしまいます。もちろんこの一方に、「何もしなくても大丈夫」という事実が示されたなら、そりゃ安心もできるのでしょうけど、残念ながら、安心を主張する様々な論理は、いずれも根拠に乏しい、エビデンスのない主張だったのですね。
「何もしなくても大丈夫」なんてことを「言えば何とかなる」というものでもない。それが危険なウイルスであるなら、きちんと対処しなくちゃいけない。危険である可能性が無視できない程度に高ければ、国民の命を預かる政府としては、それ相応の対応が必要なのですね。その一つが「緊急事態宣言」であった、というわけ。おわかりいただけませんか?
加藤洋行
瀬尾 雄三
あれだけ叩かれている西浦さんを崇拝している瀬尾さんのほうが、よっぽどエキセントリックだと思う。サイエンティストを自称しながら、政治的思想がバイアスになって、データを見誤るところもね。
加藤洋行
瀬尾 雄三
瀬尾さん、これをどう思う?
なぜ数理モデルがコロナで外れるのか:永江仮説を分かりやすく説明するのでこれ以外の仮説があれば聞きたい https://agora-web.jp/archives/2050782.html
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
西浦モデルは、過去の蓄積の上にたてられておりますので、これを否定しようと思うと、これまでの学問体系を否定しなければいけない。基本は分枝過程(ブランチング・プロセス)なのですが、このプロセスは社会現象の広い領域に応用されて成功を収めているのですね。
一方の永江モデルは、パラメータを一つ追加すると現象が良く説明できます、という話なのですが、実は、多変量解析の世界では、パラメータをどんどん追加していくと現象の説明がどんどん高精度になるのですね。
これはまずいということで、パラメータの追加を打ち切る基準を赤池さんが提唱し、今日ではAIC(赤池のインフォメーション・クライテリア)が世界で広く使われている。日本人としてはちょっとうれしい話があるのですが、これはまた別の話。
多変量解析の世界では、パラメータを追加すれば説明力が上がる。だけどこれは、因果関係を説明するものではなく、統計的にそうなっているというだけの話(相関関係)なのですね。因果を説明するには、そのような因子が確かに存在することを実証しなくてはいけません。しかも、永江モデルなるもの、未知の因子があると仮定して、その因子が結果を説明するといっているだけ。これって、何かの説明になっているのでしょうか? イミフです。
加藤洋行
瀬尾 雄三
でもさあ、当たらない予測を約20年前から何度も出すほうが、イミフじゃね? 改善できるところは改善する。これが正しい科学的態度じゃね?
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
「何もしなければ42万人死ぬ」の「何もしなければ」の部分を省略して解釈すりゃ、そりゃあたらなくても不思議はない。これは「解釈」の部分で間違えているのですね。
他人の話を聞くときは、「寛容の原則」に従わなくてはいけません。西浦氏が「何もしなければ42万人死ぬ」の意味で語っているとき、かりに「何もしなければ」の部分を落とした発言があったとしても、これは補って解釈しなくてはいけないのですね。
なにぶん、将来の予想には前提条件がある。前提条件が示されない場合は、「何もしなければ」とか「このまま進めば」といった言葉が省略されていると解釈しなくてはいけません。何かをすれば未来は変わってくる。そんなことは、あたり前の話だと思われませんか?
学術的な議論に際しては、このあたりは特に注意しなくてはいけない。わかって当然の事柄に関しては、わざわざ言及されない場合も多い。学者の話を聞くときは、その分野の常識的な事柄に関して、一通りの知識をもっていなくてはいけないし、省略された部分を補いながら聞くようにしなくてはいけません。
加藤洋行
瀬尾 雄三
>「何もしなければ42万人死ぬ」の「何もしなければ」の部分を省略して解釈すりゃ、そりゃあたらなくても不思議はない。
そうじゃなくて、「何もしなければ」という前提を置くことがおかしいんですよ。まず、あの時点でどれくらい感染が増えるのか、国民が知りたかったのは、それでしょう。それを「何もしなければ」って、そんな情報、意味ないよね? 加えて、あの時点で空港閉鎖という対策を取っていたのだから、「何もしなければ」の状態は永遠に来ない。よって検証不能。国民の不安をあおっただけで、まったく意味のない情報だった。
加藤洋行
瀬尾 雄三
いま思うんだけど、約20年前から西浦さんがそんなことをやっていたのは、日本国内を混乱させるためなのかな。予測が当たらないことは最初から知っていたんじゃないの? 北海道大学から京都大学に移るところなんて、左翼の匂いがするんだよね。彼、朝日新聞ともつながっているし。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
実は、多少のことをしたところで、死者の数が減るわけではないというのがこの手の感染症の性質なのですね。これをご理解いただくのはかなり難しいので、西浦氏も、ここをぼやっと説明されたのではないかと思いますが、解説を聞いてちょっと考えると、その理屈はわかると思います。
つまり、基本再生産数が2.5の場合、国民の6割が感染して抗体を持つと、感染させることのできる相手が4割になりますから、実効再生産数は1.0になり、感染拡大が止まるというわけですね。(この説明は概略で、厳密に言えばもう少し違うのですが、そこは目をつむってくださいね。)
そこに至る条件は、実効再生産数が1を上回ることで、多少の感染防止対策をとったところで、実効再生産数を1未満にできないのであれば、感染拡大は6割の人間が感染するまで続くこととなります。そして、[人口×6割×致死率]の人間が死亡することになるのですが、これが42万人、という計算であるはずです。(逆に、実効再生産数が1未満であれば、いずれはコロナの感染者はゼロとなって、ここで安定します。)
だからここでいう「何もしなければ」という意味は、数学的論理的意味での「何もしない」ではなく、「実効再生産数を1未満にしなければ」という意味なのですが、これを国民に語っても、おそらく多くの国民には、理解できなかったでしょう。(もちろん同時に、原理部分の解説も種々行われておりましたから、これが理解できる人は、このあたりまできっちり理解していたと思いますよ。)アナウンスとは、そういう風に行うものだと思いますが。
藤洋行
瀬尾 雄三
>だからここでいう「何もしなければ」という意味は、数学的論理的意味での「何もしない」ではなく、「実効再生産数を1未満にしなければ」という意味なのですが、
いや、それはおかしい。西浦さんは実効再生産数2.5で計算していた。あの当時でも、1.7くらいだったので、2.5は高すぎると批判されていた。いずれにしても「何もしない」は「実効再生産数を1未満にしなければ」ではなく、「実効再生産数が2.5のままならば」と解釈するのが正しい。この「2.5」が実は「1.7」だったので「42万人」が当たるはずがない。彼はスタートから間違えていたのだ。
加藤洋行
瀬尾 雄三
>実は、多少のことをしたところで、死者の数が減るわけではないというのがこの手の感染症の性質なのですね。これをご理解いただくのはかなり難しいので、
そこは理解していますよ。接触削減は感染拡大のスピードを遅くする効果はあっても、感染を減らす効果はほとんどないと理解しています。では、なぜ「ピークアウトする前に宣言を出さなかったのか」ですが、それをやると「自粛を続けているのに感染が減らない」状態になるからです。国民から「自粛に効果がないのではないか」と言われるからです。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
最終的な死者の数は、社会的な対応を種々なされてしまうと、計算不能になってしまいます。つまり、基本再生産数2.5と、感染による抗体を保持する人の比率と、致死率から計算することは可能なのですが、いつまでたってもマスクをする人が無視できない数いたりすると、基本再生産数2.5がいつまでたっても効いてこない。結局のところ、西浦氏の「何も対策をしなければ」という言葉は、こうした行為を含む、多義的な言葉と解釈するのが良いのかもしれません。
とはいえ、これがいい加減な話というわけでもなく、自然科学というのは多かれ少なかれ、現象の理想化が入っているのですね。だから理想とは異なる現実の世界では、論理的に得られた数字は誤差を持つ。だけどそれでも大きな方向性を判定する上で役に立てばよい。そういうものだと考えるしかないでしょう。
ピークアウトした後での宣言に関しては、このスレッドのどこかで書きましたけど、政府にはあまり先走ったことはできないという事情があるのですね。何をやっても反対する人がいますから。とはいえ、こちらも、ピークアウトした後を狙って宣言をするなどという器用な真似ができるわけでもなく、たまたまそうなったということだと思いますよ。
いずれにせよ、新型コロナに対する対応は、緊急事態宣言だけではなく、様々な対応が並行して取られている。それらが総合して効果を発揮した、ということと考えるしかないでしょう。そして、少なくとも営業自粛措置には、緊急事態宣言が後押しをしているわけで、夜の街が感染拡大の大きな因子であったことから、これは効果があったと考えるのが普通の理解だと思うのですね。
他の方のコメントツリーに返信を入れました。
Koku Yoshi
相変わらず、持論を証明するために一部の例外を探し出してきては、『それが全てだ』といった論調で語ってますが(苦笑)、普通は、一般的に発生している事象の方を優先し、例外に関しては『何が原因なのか』を探る方向で考察すると思いますけどね。
あと、物事を点で捉えて否定し続けているせいなのか、主張内容に一貫性が無いのも気になりますね。(以前は「欧米と日本とでは感染力が違う」と主張しておきながら、今回はその点を無視して「欧米で効果が薄いから日本も同じだ」と宣っている)
フランスやイギリスの件に関しては、上にも書いた通り『感染力の違い』によるものだと思いますし、それはみんな分かっていることだと思いますよ。
専門家100人に聞いても、99人ぐらいまでが『日本では欧米よりも感染力が低いから、緩めの緊急事態宣言でも効果が出ている』と答えると思いますよ。もっとも、感染力が低いと言っても、放っていたらスウェーデンやブラジルのように半年ぐらいに渡って大きな山を作ることになり、被害も甚大になると思いますが。
アメリカの件に関しては、前にもコメントした通り「州単位の封鎖が行われてなかった」とか「守らない者が多かったので、効果が発揮されなかった」といった理由によるものだと思いますよ。(例外が発生した原因を追究する方が、しっくりくる)
この2つの州では、全人口の2/3ぐらいがトランプの支持者だったようですが、その辺に原因があるように思えますね。この議員や、この議員の主張を妄信するような連中が多数派だったから、効果が無かったのではないですか。
非常に気の毒だと思いますよ。
Koku Yoshi
日本の件に関しては、「接触機会の削減(正月休み、緊急事態宣言、各自治体の対応などによる)」が大きな理由だと思いますよ。
静岡の件で言えば、Googleのモビリティレポートを見た限りでは、緊急事態宣言の発令に合わせて静岡県でも行動自粛要請が出されていたので(1~3月)、その期間ののモビリティは大幅に下がってました。
例えば、静岡県のモビリティ(乗換駅)は、以下のようになっていました。
12/7 -18%
12/15 -16%
12/22 -18%
12/29 -19%
1/5 -26%
1/12 -29%
1/19 -31%
1/26 -29%
2/2 -32%
2/9 -27%
2/16 -25%
2/23 -32%緊急事態宣言の発令に合わせて何らかの対策を講じた自治体では、軒並みモビリティ(接触機会)が減少してましたが、これが全国的に一斉に感染者が減少した大きな理由だと思いますよ。
あまり言いたくないのですが、今回のコロナ騒動では「思い込みの激しい人」の存在が、思いっきり可視化されてしまいましたね。
加藤洋行
Koku Yoshi
>今回のコロナ騒動では「思い込みの激しい人」の存在が、思いっきり可視化されてしまいましたね。
笑える。そういうあなたこそ「思いますよ」の連発ではないですか。緊急事態宣言に効果があるというデータを1つでいいから示してください。
Koku Yoshi
加藤洋行
そちらの、コメント欄での必死ぶりの方が、よっぽど・・・(略
推測を表す表現と、感情に囚われて思考が先鋭化するのとでは、全く次元が異なりますよ。
それから、人に「データを出せ」と迫る前に、まずは自分の主張に説得力を持たせるデータを先に示すべきだでしょう。因みに、この議員が提示しているデータは「都合のいいデータ」の寄せ集めに過ぎないので、あまり参考にならないと思いますが。
加藤洋行
Koku Yoshi
つまり、緊急事態宣言に効果があるというデータは持っていないということですね。了解いたしました。
Koku Yoshi
加藤洋行
先ほどのコメントでは、売り言葉に買い言葉みたいな感じで、ちと挑発的になってしまいましたが(失礼しました)、データの一部なら、既に上の方のコメントで提示してますよ。
もっと踏み込んだデータが知りたいのなら、「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の議事録などが参考になるかと思います。
例えば第19回の議事録では、実効再生産数と緊急事態宣言・時短要請・人流などの細かい関係図が掲載されてましたが、それらを見れば、実効再生産数と一連の政策が連動していることが一目瞭然だと思いますし、
第21回の議事録では、感染経路別に感染者数の推移がグラフ化されてましたが、それらのグラフを時系列で比較すれば、『夜の街→孤発(飲食等)→家庭→院内』の順で感染が伝搬していることが一目瞭然だと思います。
それらのデータを知ってる者から見れば、この議員による「会食による感染は8%なので時短要請に効果が無い」とか「全国で一斉に下がったのだから季節要因」といった主張は、正確なデータを一切無視して、都合のいい結果だけを見て都合よく解釈しているだけの、完全無欠な『デマ(大嘘)』です。
加藤洋行
Koku Yoshi
ありがとうございます。であれば、分科会でも「宣言を出していない地域でも感染者が減っている」ことを認識しているんですね。どういうコメントを残しているんですか。
加藤洋行
Koku Yoshi
さきほどの「Googleのモビリティレポート」を見ても、やはり地域差があるんですね。行動制限に地域差があるのに、なぜ同じように感染者数が減るのか、という疑問は払しょくされません。行動制限(緊急事態宣言)と感染者数の減少には強い関係はないのではないかという指摘は否定できないと思うのですが、いかがでしょうか。
加藤洋行
地域差は行動制限だけではありません。平均気温、人口密度にも地域差があります。そうなると、感染者数が増える、減るに関しては地域差を無視してよいということになると思うのですが、いかがでしょうか。
Koku Yoshi
加藤洋行
>どういうコメントを残しているんですか。<
全国で一斉に下がったことに関するコメントは見かけてませんが、関連するコメントとして、尾身氏は「(感染者数の急激な減少は)1月に入って、忘年会ファクターが無くなったから」と主張してましたね。 あと、首都圏と地方の違いに関しては、人口密度、地方に比べてクラスターの起点が分かりにくい、などといった違いを挙げてました。 (いずれも、日経バイオテクの単独インタビュー)
>行動制限(緊急事態宣言)と感染者数の減少には強い関係はないのではないかという指摘は否定できないと思うのですが、いかがでしょうか。<
発想を転換して、「感染状況に地域差があったから、行動制限にも相応の違いが出た」という見方もできると思いますよ。 今回の緊急事態宣言に合わせて、多くの自治体でも独自の規制強化を行っていたようですが、それらの効果と忘年会ファクターの消滅が重なって、一斉に下がる結果に繋がったのではないかと思います。
>感染者数が増える、減るに関しては地域差を無視してよいということになると思うのですが、いかがでしょうか<
正確には、北海道、沖縄など、地域によって感染の山は微妙にズレてましたよ。忘年会のシーズンだけ、動きが連動していたようですが。
加藤洋行
Koku Yoshi
>「感染状況に地域差があったから、行動制限にも相応の違いが出た」という見方もできると思いますよ。
感染状況や行動制限に地域差があるなら、感染者が減るスピードにも地域差があって当然と思いませんか。それが同じようなスピードで感染者が減っているので、行動制限、平均気温、人口密度の差はあまり関係ない。もっと大きな要因があるのではないかと思うわけです。
加藤洋行
Koku Yoshi
とにかく、もう分科会ではやっていると思うけど、行動制限と感染者の減少(または感染スピードの低下)には、どういう関係があるのか数値データできちんと押さえておく必要があるね。この1年で十分なデータが取れたでしょう。
Koku Yoshi
加藤洋行
>感染状況や行動制限に地域差があるなら、感染者が減るスピードにも地域差があって当然と思いませんか<
地域差は出てましたよ。大阪は11月上旬をピークに年末に向けて緩やかに収束してましたが、東京は11月上旬に一旦拡大のスピードが鈍化したが、それでも年末に向けて緩やかに上昇していきました。名古屋は、東京と大阪の中間のような動きでした。北海道は11月上旬がピーク、広島は12月がピーク、宮城は1月がピークでしたが3月にそれを超えていきました。
違いが出た原因は、行動制限の相違によるものではなかと、私は思います。
(東京よりも大阪の方が、より踏み込んだ時短要請を行ってました)
>行動制限と感染者の減少(または感染スピードの低下)には、どういう関係があるのか数値データできちんと押さえておく必要があるね。<
同感ですが、その辺はすでに数理モデル(SIRなど)として体系化されているので、あとはパラメータをどう埋めていくかの問題だと思いますよ。例えば、実効再生産数にしても、気候や人口密度などによって影響を受けるので、その辺を実データに従って特定していく必要があるかと思います。
加藤洋行
Koku Yoshi
緊急事態宣言に効果があるなら、なぜ感染者数が右肩上がりで増えているときに出さないのか。前回も今回も、感染がピークアウトしたあとに出しています。基本的な疑問が解消されません。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さんの疑問に応える私の仮説は、「民主主義社会だから」、というものです。
政府といえども、勝手に緊急事態宣言を出せない。国民の多くが緊急事態宣言やむなしと考えた段階で緊急事態宣言を発令することができるのですね。
ところが、国民の多くが緊急事態宣言やむなしと考えたときというのは、国民のコロナに対する危機感が高まった時であり、その時はすでに自主的な感染防止対策や行動制限も始まっている。
多くの人がコロナの感染を恐れるなら、誰にも言われなくても、外出時はマスクを付けたり、頻繁に手を洗ったり、外出そのものを控えるようになるわけですね。このため、政府の緊急事態宣言発令は、すでに、コロナに対する感染防止対策は一段と強化された後で行われることになるというわけです。
ではそれを良いことに緊急事態宣言を出さなかったらどうなるかという点も興味深いのですが、たぶん、出ると思った宣言が出ない場合、国民の間に安心感が広がり、警戒が緩んで感染が増大するのではないかと思います。これはGoToの効果と同じで、政府が旅行を積極的に進めると国民も大いに警戒を緩める。その結果、感染は増えてしまうという効果が生じるのですね。ここは、馬鹿正直にやるしかなさそうです。
加藤洋行
瀬尾 雄三
瀬尾さんのロジカルシンキングも結構あやしいなあ。民主主義を理由に緊急事態宣言を出すのが遅くなるなら、それは宣言を出すことに国民が抵抗を持っているということでしょう。ところがアンケート結果では国民の7割以上が宣言の延長を支持している。「解除」といいながら、実質、時短営業の1時間緩和しかしていないのに不満が出ない。国民は宣言を歓迎しているんですよ。今回も「宣言を出すのが遅い。後手後手だ」とマスコミを中心に批判されました。その国民の声に応えるなら、感染が拡大しているときに宣言を出すはずです。しかしピークアウトしてから宣言を出している。これは宣言に効果のないことの証です。しかし、政府・自民党が宣言に効果のないことを知っているなら心強い。積極的ではないけど、だまされてあげますよ。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
> 国民の7割以上が宣言の延長を支持している
そうでしょ。宣言に効果なしなどと考えるのは、あまり普通の考え方ではないのですね。効果ゼロなどという主張を「エキセントリック」と形容するのは、それほど不思議な考え方でもないと思うのですね。
それほどの支持を得てもなおかつ、緊急事態宣言に慎重にならざるを得ないのは、少数意見にも配慮しなくてはいけないのが民主主義の基本だからであって、多くの議員の支持層に「商店街」が含まれ、その中に無視できない割合で「飲食店」がある。彼らを自らの支持者のうちにとどめておくためには、無理のない形で宣言せざるを得ず、ある程度民意の固まったことを確認した段階で宣言がおこなわれることになってしまうのですね。
もちろん、宣言前から、国も自治体も、あるいは評論家やマスコミも、様々な形で感染のリスクを解説し、注意を呼び掛けているわけだから、宣言と新規感染者の対応関係だけを見てその効果をうんぬんすることは論理的ではない。これ、ちょっと考えれば、わかりそうなことではないですか。そしてこの手の「考える」行為を「ロジカルシンキング」というのですよ。
加藤洋行
瀬尾 雄三
>宣言に効果なしなどと考えるのは、あまり普通の考え方ではないのですね。
そこは「情報の非対称性」がある。放射能もそうだけど、専門的に詳しい人は少ない。だからマスコミに流されてしまう。テレビによく出る学者にだまされてしまう。天動説が主流の時代に地動説を唱えたら、頭のおかしい人とみなされるのは当然。宗教的にも大問題だしね。しかし天動説を唱えている人は持っている情報が少ないだけの話です。
加藤洋行
瀬尾 雄三
>それほどの支持を得てもなおかつ、緊急事態宣言に慎重にならざるを得ないのは、少数意見にも配慮しなくてはいけないのが民主主義の基本だからであって、
だったら、感染者が減ったら、できるだけ早く解除しようとするでしょう。でもそうじゃない。瀬尾さんのロジカルシンキングはひどすぎる。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
> だったら、感染者が減ったら、できるだけ早く解除しようとするでしょう
この推論が成り立つための条件は、「緊急事態宣言に反対する(少数)意見が強い」ということだけど、そうであるという根拠は何でしょうか?
普通に起こりそうなことは、「何かをしようとする際には、利害関係者の同意を得なくちゃいけない」という状況で、緊急事態宣言する場合には、それによって被害を受ける人を納得させる必要があるだろうし、緊急事態宣言を解除する場合は、それによって被害を受ける人(心配性な人?)を納得させなくてはいけない。
ヒステリシスといいますか、現状維持が常に強いといいますか、やっちゃったもん勝ちといいますか、つまりは、そうしたことは一般にみられるわけですね。ロジカルシンキングといったって、現状を無視して理屈をひねればよいというものでもないのですね。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
> 天動説が主流の時代に地動説を唱えたら、頭のおかしい人とみなされるのは当然。宗教的にも大問題だしね。しかし天動説を唱えている人は持っている情報が少ないだけの話です。
もうほとんどトンデモ科学の方の言説を聞いているようなものです。
でも、最後の一言で馬脚を現しております。「天動説を唱えている人は持っている情報が少ないだけの話」って、ガリレオとバチカンの関係ではその通りかもしれませんけど、青山氏と日本政府ないし西浦氏との関係で、青山氏の方がもっている情報が多い、などということが言えるのでしょうか。
私と加藤さんの議論を通しても、私は多数の情報を提示しているのですが、加藤さんの提示される情報(?)は、感性的な悪口みたいなものばかりで、現実に対する認識を改める効果がほとんどないのですね。青山法皇にお仕えしている加藤司祭が瀬尾ガリレイをいじめているような話じゃないですか? まあ、これは、もののたとえ、ですけど、、、
確実に効果があったのに目をふさいでいるのか。。