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内藤忍氏の6/14付けBLOGOS記事「歳を取ると『厄介な人』になりがちな理由」へのコメント

内藤忍氏の6/14付けBLOGOS記事「歳を取ると『厄介な人』になりがちな理由」にコメントしました。


電子的コミュニケーションは、旧来のコミュニケーション手段がもっていた、メッセージ以外の個人の属性に関わる情報を剥離するという特徴があり、年齢、性別、美醜、体格、その他さまざまな要素とは無縁の、「抽象的なコミュニケーション」ができるという特徴があったのですね。

まあ、フェイスブックベースとなりますと、ある程度の個人の属性を出さなくちゃいけないわけで、たとえば見目麗しき人が得をする世界になってしまうのですが、これもどこまでが真実の姿であるかはわからないわけで、あまり気にしても始まらないのですね。

そう考えれば、厄介な人は厄介な人であり、歳のせいであるのか、元々僻みっぽい性格なのか、ただ単に不幸な星の基に生まれついただけなのかなどということを詮索してみても始まらないのではないかと思いますよ。

もちろん、現実の世界に厄介な人はおられることは否定できないのですけど、そんな場合は、ただただ、こいつには絡まれないように気を付けよう、と考えておけばよいわけで、つまらない餌を与えないことが肝要か、と、、、

あ、これはもちろん一般論であり、特定の個人、企業、団体、政党その他を念頭にした話ではありませんので、念のため。

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