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諌山裕氏の6/15付けBLOGOS記事「東京五輪の懸念は、選手が何人死ぬか」へのコメント

諌山裕氏の6/15付けBLOGOS記事「東京五輪の懸念は、選手が何人死ぬか」にコメントしました。


石炭何トンとか、トンネル何メートルとか、ビルの床面積何平米とか、それを作る労働者が一人死ぬという数字があるのですね。でも、石炭は掘られているし、トンネルも掘られているし、ビルはそこらじゅうで建設されている。もちろん、労働災害だって出続けているのですが。

それをいかんというか、許容するか、それが問題なのですね。

これをダメと言い切ってしまうと、何もできない。オリンピックくらいなら、やらんでも良いかもしれませんけど、同じ理屈はありとあらゆるところに貼り付いてしまう。野球やJリーグで、感染者ゼロなのですか? 夜の街での感染者は? デパートは昼間営業していてよいものでしょうか? 

この手のリスクでは、バジェットという考え方が一般的なのですね。つまり、一億人の日本の人口のうち、何人くらいの使者を許容するか、ということをまず考える。そしてそれを、何に割り振るか、ということですね。オリンピックは国際公約だから、優先的にバジェットを割り振るべきですけど、倫理的に怪しげな夜の街には割りあてるべきではない。

スポーツ大会なら、国内のアマチュアの大会をまず禁止して、次に、国内のプロのゲーム、次に国際大会、最後に国際公約下で行うオリンピックを中止するといったところでしょうか。もちろんその前に、スポーツ以外の、健康にもさして役立たない(というか、害すらある)夜の街や風俗を徹底的に禁止する。まあ、普通の話だと思うのですが、、、

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