木村正人氏の7/19付けBLOGOS記事「変異株を無制限に広げる英政府の正常化政策は『危険で非倫理的な実験』...」にコメントしました。
イギリスも19日から日本と同じ「お願いベース」のコロナ対策に移行する。
ははあ、、、ということは、我が国は最初から「法的制限をほぼ全面解除して正常化」していたわけですね。それでこれだけ少ない感染者と死亡者にとどめていたということは、麻生氏の言い分ももっともです。まあ、「民度」というと角が立ちますから、ここは「国民性」くらいにしておきましょう。
それはともかく、イギリスで注目しているのは『死者』なり『致死率』であるわけですね。現時点では、たしかに感染者数は急増しているのですが、死者はそれほどでもない。感染者に対する死者の比率である致死率となりますと、大きく低下しております。
新型コロナが恐れられたのは、感染拡大速度と致死率の高さであったのですが、新型コロナの基本再生産数2.5は、インフルエンザの基本再生産数2~3とさして変わらない。でもインフルエンザは半分くらいの人がワクチン接種をしているのに対し、当初、新型コロナはワクチンがなかった。でも今はあるわけで、インフルエンザと大して変わらない状態となっているのですね。で、致死率も下がっているなら、これは恐るるに足らず、ということになりませんでしょうか?
たしかに、社会がコロナを抱えていたら、いつ凶悪な新型株が登場するかわからない。だからノーコロナを目指すのは、これは正しい戦略です。でも、目先の社会活動も重要なのであって、手に負えない新型株が出てきてもいない時点で社会がノーコロナのために大きな犠牲を払う正当性はないのですね。ここは、やっと日本に追いついた英国を引き離す意味でも、5類への格下げくらいのことは、やったらよいのではないでしょうか。
返信がついております。
望月 聖仁
後遺症が殆ど見られない、インフルエンザと、仕組みが遥かに巧妙で全身に症状が広がり、そして少なくない割合で後遺症が残る新型コロナウイルスを同列に論じるのは、おかしくありませんか?
瀬尾 雄三
望月 聖仁 さん
コロナとインフルエンザをまったく同じ扱いとするべきとまでは言いません。つまり、マスクの着用や、手指の消毒や、ソーシャルディスタンスは続ければよい。そういう意味で、イギリスはやりすぎであるとは思います。
でも、当初のコロナが恐れられた、大量の死者を発生させる危険性は、ほぼ取り除かれたわけですから、社会的対応もそれに応じたものとすることは合理的なのですね。
目指すはあくまで『ノーコロナ』としても、直ちにそうしなければいけないわけではない。コロナが多少の犠牲者を出すとしても、その程度に応じて経済を含む社会活動との折り合いを付けながら、コロナ撲滅に向けた気の長い取り組みをすればよい、ということではないでしょうか。
一度始めたことは、ずっと継続する、というやり方は確かにあるのですが、これは他に犠牲を伴わない場合の話であって、様々なトレードオフの中で対応を決めたものに関しては、状況が変われば対応も見直す。これが普通のやり方だと思います。
ワクチンがんばれ