紙屋高雪氏の7/26付けBLOGOS記事「小山田圭吾の件について考える」にコメントしました。
著作権法では、作品を「思想または感情を創作的に表現したもの」としており、かつ、作者は自然人であることが求められています。つまり、作者個人の思想や感情に、鑑賞者が共感するというプロセスで芸術作品は成り立っているのですね。
そうなりますと、作者が共感することがはばかられる人物である場合、その作品を公共の場で利用することは少々問題あり、とする考え方にも一理あるのですね。
これが、あえて問題提起をしようという、それ自体が芸術活動であるようなイベントの場合はともかく、今回はオリンピックという、ある種の伝統行事を盛り上げるために使おうというのですから、問題のある人物の作品はあえて使わないことも正解ではないかと思います。
なお、オリンピック中止論につきましては、もはや論外、とだけ申しあげておきます。
いじめはいかんよ。
いじめといえば軽いが、TV番組の弁護士さんたちの意見によれば強要や障害の類で悪質とされるとのこと。