シロクマ氏の11/10付けBLOGOS記事「子どもがいてもいなくても、世界について考えるのは難しくなってると思う」にコメントしました。
社会学の世界においてシカゴ学派の代表的人物であるルイス・ワースの「生活様式としてのアーバニズム」を彷彿させるようなお話ですね。その因果関係に置きましては、ちょっと違いがあるのですが。ワースによりますと、都市的病理現象発現のメカニズムは、次のようになります。
都会人は多くの場合自発的集団の活動を通して自分のパーソナリティを表現し・発展 させ,地位をかくとくし,人生の経歴となる活動分野を決めることができる.しかしこれらの高度に分化 した諸機能が原因となって生じる組織的な枠組はそれ自体,パーソナリティ (その関心はこの枠組のなか に入る) の統一性と統合性の保証とはならないことは,容易に推量されよう.個人解体,精神障害,自殺, 非行,犯罪,背徳,無秩序などは,この事情のもとでは村落コミュニティ以上に普遍的であるとみてよい.
こういった都市的病理現象は、人々が村落的な紐帯から解放されることで必然的に生じ、個人により多くの機会を提供する副作用として生じるのですが、ポパーはこのような『開かれた社会』を肯定的に見つつ、問題点も認識しておりました。
開かれた社会はその有機体的性格の喪失の結果として,次第に私が「抽象社会」と呼びたいものになるであろう.…その結果として不幸に暮らしている人々が多数いる.というのも社会は抽象的なものになったが,人間の生物学的仕組みはあまり変わらなかったからである.人間は開かれた世界では満たすことのできない社会的欲求を持っているのである.
このエントリーで指摘されている問題点は、都市的病理現象と呼ばれるものと同様、社会の発展に伴って不可避的に生じてしまう。その中で、われわれは、いかにして有意義な人生を作り出すか、それこそが今のこの世界で求められているのでしょう。多くの人が指摘している、ネット上の電子の村や小集団がその役割を果たすのではないかな?
返信がついております。
花の ヤン
<安倍政権に交替して、経済が急回復したというのに、これを認めない、全く理解しがたい行動です。そんな人たちに二度と政治をやらせようなどとは、普通の人は思わないでしょう。>
これは同感ですね。
旧民主党や立憲民主党の支持が伸びなかったのは、経済政策や経済政策への認識が不安視されたことが大きな要因でしょう。しかも、「旧民主党政権の経済政策があまり評価されていない」という現実があるにも関わらず、これを直視していなかったのはミスだったと思います。
この状況を直視できていれば、経済政策でのアピールポイントをもっと工夫できたはずです。つまり、枝野幸男氏以下の立憲民主党執行部のマネジメントが悪かったと私は考えています。
というわけで、私は郷原氏の分析には一理はあっても主因ではないと思いますね。瀬尾 雄三
花の ヤン さんに同感されるのは、意外です。悪いことが起こらなければよいのですが、、、
基本的に、経済政策は総合的に評価しなくちゃいけません。バラマキの部分だけ見たら、そりゃ素晴らしい政策に見えますとも。
でも、全体としてみたら、どこかに凹む部分が出てくるのですね。どんぶり勘定だって、どんぶりの中のキャッシュには、限りがあるのですね。
結局のところ、まず、入りを太くしないと、出すものも出せないという形になってしまう。経済政策とはそういうものであるということを心しなくちゃいけません。
(お小遣いをもらって来ればよい)子供じゃないんだから、、、
立憲共産党