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森本紀行氏の5/10付けアゴラ記事「なぜ人は職業をもって自分の何たるかを説明するのか」へのコメント

森本紀行氏の5/10付けアゴラ記事「なぜ人は職業をもって自分の何たるかを説明するのか」へのコメント、ブログ限定です。


会計学的視点と社会学的視点

この記事には、ちょっと違和感を感じます。まあ、私が社会学なり文化人類学をベースにしているのに対し、森本氏は「アセットマネジメント」を社名に含む会社に勤務されているため、お金でものを考えてしまう、ということがあるのかもしれません。

お金を取り扱う技術に「会計」という手法があります。会計にはいくつかの原則(会計原則)があるのですが、その一つが貨幣価値で、なんでもお金で評価してしまう。そして、アセットマネージメントなら、お金を稼げるものが高い価値を有するというのはいわば常識で、ならば、人が職業を名乗るのは稼ぎをアピールしているのであろう、と考えるのも、まあ、これは不思議のないところです。

一方、社会学的には、人が職業を名乗るのは至極当たり前の話なのですね。それも、いくつかの面からそういえます。

パーソナリティとコミュニティ意識

一つには、人は己の役割に即して生きており、これをパーソナリティというのですね。パーソナリティという言葉は南米の仮面劇で使われる仮面、ペルソナからきた言葉であって、かぶった仮面に応じた役を自らが作り上げている。だから、自らが何者であるかを他人に説明するとき職業を名乗るのは、当然の話であるわけです。つまり、仮面を見せているのですね。

もう一つに、人は社会的な動物であり、コミュニティに属して生きている、コミュニティの一員であろうとする自然な欲求があるのですね。そしてコミュニティは三つの意識で成立している。第一が帰属意識、第二が相互依存関係、第三が役割意識であって、職業を名乗るのはこの役割意識に相当します。

コミュニティとは、結局のところ、誰と誰が仲間であるかを成員が知っており、自分もその一員であることを意識し、コミュニティの他のメンバーとの間で何らかの価値をやり取りすることで生きている。そして、己はこのコミュニティにいかなる形で貢献するかを、自分も意識しているし、他の人も認識している、というわけです。

コミュニティへの貸しと借り

コミュニティのような形が自然に成り立つのは、社会が小さい場合に限られ、メンバーの数が多くなると、だんだんとコミュニティの運営は難しくなる。でも、そこに会員制を導入してメンバーをわかりやすくしたり、お金やこれを伴う役務の提供という形で依存関係や役割を明確化したりすることで、疑似的なコミュニティもできる。

でもここで、お金を稼ぐということは、実は、コミュニティにとっては負の価値にしかならないのですね。コミュニティにとっては、個々の人が役務などの形で提供した価値がプラスであって、その対価として個々の人がとる価値(お金など)は、コミュニティから見ればマイナスの価値となります。

もちろん、コミュニティの外部からコミュニティにお金を取り込むならばそれはコミュニティにとってプラスの価値がある。国内経済から見れば、輸出産業は、プラスの価値がある。

その一方で、コミュニティ内部で見れば、コミュニティ内部(例えば社内)で高給を得ることは、コミュニティにはマイナスの価値となるのですね。高給取り、必ずしも偉いわけではなく、だれの視点で評価するかに依存するわけです。

価値ある人の条件

高給を得るという意味は、他に優れた価値を提供しているから、その対価としてという意味はもちろんあります。受け取る高給自体はマイナスの価値となる一方で、彼が提供した価値こそが評価されるべきプラスの価値となるのですね。そしてこのプラスとマイナスを相殺して残ったプラス分が、その人のコミュニティに対する貢献ということになります。

そういう意味では、コミュニティにとって最も価値のある人は、無償で大きな価値を提供する人。そういえば、このブログでも以前紹介したのですが、堀江貴文氏の「バカは最強の法則: まんがでわかる『ウシジマくん×ホリエモン』負けない働き方」で、「Episode6 ビジネスはギブ&ギブ、おまけにギブ!」などという一節を設けて、無償の貢献こそビジネスに必要なのであると説きます。この考えが実に的を得ているのですね。

確かに、コミュニティにおのれの存在を認めさせるには、まず、おのれの価値を認めさせること。提供する価値を最大とし、受け取る価値を最小とすることこそ、まずしなくちゃいけないことなのですね。

高収入を得ているから「えらい人」であるのではなく、「えらい人」だからコミュニティは多くを与えて当然だと考える、そしてなぜえらい人かといえば、多くの価値をコミュニティに提供している人だから「えらい人」なのだ、という論理がそこにはあります。

ダイナミックなコミュニティにおいて、多くを得ようと思えば、多くの価値をコミュニティに提供しなくちゃいけません。

ここら辺が、ある程度出来上がった組織で、いかに大きな価値を得るかという、アセットマネジメントの世界とは、ちょっと違う世界であるような気がした次第です。

まあ、会計という視点からは、提供した価値については考えない。高給を得ているから、大きな価値を提供している偉い人なんだろうと考えるわけですから、こういう視点も、当然と言えば当然なのかもしれませんが。

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