ちきりん氏のツイート「黙って見てるどころか、これからも金利を抑えて円安を促進し、最低賃金も30円も上げず、安い日本人労働力を、海外の富裕層のためにどんどん提供する方針です!」に対するコメントです。
マーケット感覚の足りないちきりん氏
上のツイートは、クローズアップ現代に対するちきりん氏のツイート「今日のクローズアップ現代、昨日の私のツイートと全くおんなじこと取り上げてる。 円安で日本の不動産が安くなっているので、東南アジアの国まで日本の旅館やホテルを買い始めてるって」に対するミホキッチン氏の返信「日本中でもっと騒ぐべき案件 政府は黙って見てるだけなんですかね…」に対して応えたものです。
このちきりん氏のツイートは、マーケット感覚を重視するちきりん氏らしからぬもので、中に一つありましたOGK氏の返信「半世紀に渡る円高で国内製造業、農業は壊滅し、中国韓国に持っていかれた。少々の円安は我慢して雇用を取り戻していくチャンスと思いますね」との返信が、まずはまともなものだと思います。
わかりますでしょうか? ご理解いただけないかもしれませんので、簡単に解説しておきます。
まず問題は、日本人の賃金水準が低いということ。これは市場で決まっているのですね。高賃金の仕事が日本に少ないから、日本人の賃金水準が下がってしまう。マーケット感覚を働かせて、そういうことに感づかなくちゃいけません。
日本人の賃金が上昇しない理由
ではなぜ、日本に賃金の高い仕事がないのかといえば、OGK氏のコメントがその理由を説明しています。つまり、円高故に国内の産業が壊滅してしまった、ということですね。これは、1985年のプラザ合意以来の円高によるものなのですが、急激な円高が国内産業の空洞化を招くという事実は、下に示す貿易収支のグラフからも明らかでしょう。
上の図で、緑のバーがものの輸出入に係る貿易収支で輸出が多ければプラス、輸入が多ければマイナスとなります。貿易収支は、民主党が政権につきますと、みるみるマイナス側に動いてしまい、アベノミクスで回復はするのですが、以前のレベルには戻っておりません。
諸悪の根源は行き過ぎた円高
これは、民主党政権時代の極端な円高のため、国内の工場での生産が経済的に成り立たず、工場が海外に出てしまう、「空洞化」が進んだためです。工場が海外に出てしまうと、そこで働くのは外国人労働者であり、日本国内の仕事はなくなってしまいます。
一方、上のグラフで所得収支を表す水色の線は、投資による利益で、空洞化以降、投資による黒字幅が増大している。海外に出た工場のあげた利益は、投資による利益として国内に還流します。でもこれは、企業の利益にはなるのですが、日本人の給与にはあまり関係がない。まあ、会社が儲かれば、ボーナスが上がる、などということはあったのでしょうが。
ドル円の長期チャートは上の図のようになっております。民主党政権時代に1ドル80円を割り込む極端な円高が進み、これが空洞化の主な原因となりました。アベノミクスの後、ドル円は民主党政権以前のレベルに戻りましたが、このレベルでは、一旦国外に出てしまった工場は戻ってこない。工場を日本国内に戻すには、より円安が進む必要があると思われます。これがOGK氏の言われる「少々の円安は我慢して雇用を取り戻していくチャンス」ということでしょう。
情報革命に乗り損なった日本
さて、円高でも日本国内に雇用を生み出す手段がないかといえば、それはないわけではない。実は、日本人の給与総額が頭打ちとなったのは、1995年のインターネット元年と呼ばれる年なのですね。
給与は、労働生産性にリンクするといわれておりまして、労働者が生み出した価値に対する一定比率を給与として得ている。だから、生み出す価値が上昇しなければ、給与も増えない。
我が国はこれまで、電機・精密機械産業、自動車産業やその他の工業分野で、品質改善、省資源省エネルギー、大気汚染防止など、様々な改良を施し、生み出す製品の価値を高めてきた。でも、1990年代に起こった情報技術の爆発的発展に乗り損なってしまったのですね。
この情報技術の発展は、産業革命にも匹敵するもので、主に米国を中心にその応用が進んだ。そして、2000年ごろには、日本で金融危機が勃発する一方で、世界ではITバブルが発生し、これが崩壊する。でもすべての情報産業が崩壊したわけではなく、今日のGAFAのような強力な企業群が急成長してきました。こうした動きに、日本は全く乗れてはいない。日本とは無縁のところで繁栄が進み、日本人の給与には反映しない。その結果が上のグラフということになります。
日本人の賃金を上げるにはどうすればよいか
では、日本人の賃金を上げるにはどうすればよいかとなりますと、ここまでのお話の中からも、二つの答えは見出せるでしょう。
その一つは、海外に逃げた工場を国内に取り戻すこと。これには、しばし円安に耐え、日本で生産したほうが海外で生産するよりも経済的であるようにすればよい。すでに中国の企業がそうしているというなら、今少し円安が進めば、海外に逃げ出した日本の工場も帰ってくることが期待できます。最後に我が国から逃げ出した工場は、おそらくは、自動車や電機産業などの投資金額の多い工場で、おいそれと動くわけにもいかないと思いますが、ある程度円安が進み、これが固定化するとなれば、これを国内に戻そうという動きにもなり得るのですね。
第二には、情報革命に乗り遅れたのは仕方がないとしても、今からでもこれをものにするという作戦があるでしょう。これには、情報技術に長けた人を増やすこと、そういう人に企業や官庁のシステムを改善してもらうこと、新たな情報技術の応用を探り、あわよくばGAFAと競合し得る産業に育て上げることです。
エネルギー技術革命に乗るという第三の道
そして、これまでに書いたことからは導き出されないけれど効果的な第三の道として、情報革命に続く技術革命をものにすること。それは実はあるのであって、しかも日本が結構よいポジションに付けている。それが、核融合を中心とするエネルギー技術革命なのですね。まあ、まだこれは大っぴらには語られていないのだけど、水面下ではいろいろな動きが出ております。
実は、このブログでも以前取り上げたのですが、核融合の実用化はかなり近未来に迫っており、核融合技術を扱うスタートアップ各社は、おおむね2030年代の実用化を目指している。2030年代といえば、十数年後で、早ければ8年後。いろいろな準備もそろそろしておかなくてはいけない時期なのですね。
エネルギー革命の広がり
核融合が実用化されると、社会に与えるインパクトは、情報革命にも匹敵するものがあります。
まずは、エネルギー資源国は有利なポジションを失い、高度技術を担える人材を有する国が有利となる。これはいわゆる先進国なのですが、日本もこれに関連した技術でかなり先端に位置しており、有利な国の一つとなり得ます。
第二に、地球温暖化の問題は影をひそめる。だけど、核融合で作られるエネルギーは電気であり電気自動車が有利であることには変わりません。また、電気で水を分解すれば水素が得られ、水素エネルギーは安価な蓄積可能なエネルギーとなる。さらに、水素から、メタンガスやアルコールも合成できますので、都市ガスや内燃機関(エタノールは今日でもガソリンの代替となります)も今と同じように使うことができるのですね。もちろん、複雑なプロセスで作られるものは、それなりに高価になりますが。
日本の目指すべき道
核融合を支える技術として、マイクロ波を発生する技術、トリチウムを取り扱う技術、強力な磁場を発生する超電導技術などが重要になります。我が国は、マイクロ波と超電導の分野では世界のトップクラスにあり、この点でも優位なポジションに付けております。
そうした大きな波が十数年先に到来すると予想されている。この波に一足先に備え、世界に先駆けて主要技術をものにし、人材を確保する。そうしておけば、次に来るであろうエネルギー革命の時代に置いて、日本は世界の先頭に立つことも可能で、今日のGAFAを抱える米国に類似した(あるいはそれ以上の)経済的繁栄も可能になろうというものです。
まあ、この第三の道が一番良いとは思いますけど、何もしなくても、円安による空洞化の回復というメカニズムは働きそうで、そうそう心配することもない、ともいえそうではあります。(少々貧しくなるのが問題ではあるのですが。)
7/29追記:関連すると思われるちきりん氏のツイートに返信しました。
ちきりん
生産性を上げるには値段を大幅に上げるか、働く時間を大幅にカットするしかない。
私は今月からVOICYの配信回数を3分の1にし、収入は半分になった。これは生産性が50%上がったコトを意味する。ちきりん
値段を大幅に上げる場合も、働く時間を大幅に削減する場合も、いずれも大きな余裕がもたらされる。
投資をする余裕、新しい事にチャレンジする余裕、好きなことにたっぷり時間を使える余裕など。
yuzo seo
値段を上げても売れなくてはいけません。それには、品質が良いことが条件で、何らかの技術がなくてはいけない。
今の日本、情報革命という技術革新に乗り遅れたため、値段を上げたら売れないものしかできません。技術革新をものにするには、有能な人に仕事をしてもらうことが前提だがそこがダメダメ。
この方のマーケット感覚、どこに行ってしまったのでしょうか?
8/3追記:以下のエントリーもご参照ください。
中国のデジタル覇権!?:日本は、デジタル化への対応に遅れており、社員は勤務先に満足していないけれど、転職する気も起業する気もない。その原因は、雇用の流動性が低いためで、生産性と雇用流動性の間にも正の相関が認められるとしております。
未来人材ビジョン:労働市場におけるニーズが高スキル人材と低スキル人材に二分化しつつある中で、日本は高スキル人材を吸引する魅力に欠けていること。企業は人材教育に消極的でほとんど投資せず、自己啓発をしようとする者の割合が非常に低い。これは、労働市場の流動性が非常に低く、同質性が高いためであるとしております。
興味深い点は、我が国の高スキル人材で例外的にニーズが低下しているのが「管理職」なのですね。米国では、管理職に対するニーズも高まっているのに、です(下図参照。経産省の文書「未来人材ビジョン」からの引用です)。これは、我が国の管理職の業務が主に予算や人事といった資源管理中心であるのに対して、米国の管理職が技術面の判断力に期待されているという違いがあるのではないかと思います。これは一部に「文系問題」と呼ばれている問題で、技術のわからないマネージャが多いから、情報技術がものにできないし、その他の技術開発でも遅れを取る、という問題です。
と、いうわけで、我が国が経済的に発展しようと思えば、処方箋はもう見えているようなもの。まずは、労働市場の流動化を促進すること。マネージャに技術力を要求すること、各種社会人教育の機会を充実させること、などなどですね。
まあ、それができないのが、我が国の問題であると言われればそれまで。なにぶん、我が国でニーズが低い高スキル人材が「管理職」なのですから。ここは、官庁あたりから、まず、採用・昇進に際して理数系能力を要求すること。隗より始めよ、です。
8/8追記:上のグラフでもう一つ、面白い点に気付きました。
米国のグラフで、管理職に対するニーズが増大する一方で、専門職に対するニーズが減少しております。日本のグラフでは、管理職に対するニーズが大きく下がる一方で、専門職に対するニーズは高いまま。これが意味するものは何でしょうか。
おそらく、米国では、専門職が管理職になったということではないかな? 実は、多くの研究機関では、昔から、経験を積んだ研究者が組織運営にあたっているのですね。大学では研究室が組織の最小単位で、その長である教授が教授会という形で大学全体の運営を決めている。
我が国で、専門職のニーズが高まる一方で管理職のニーズが下がるという意味は、経営と研究が分離してしまっているということではないかな? つまり、企業経営とは距離を置いたところで、研究は進めておいてね、という意味であるように思われます。
こうしておけば、従来の(リソース管理を業務の中心とする)管理職はそのままのポジションにとどまり、研究開発も一応は進む。でも、予算の配分や新しい技術に立脚した経営戦略などは立てにくいはずで、いずれは専門職に、管理業務も委ねる必要があるということではないでしょうか。それが、専門職のニーズが高く、管理職のニーズが低いことに現れているのではないかな。
もしもそういうことであるなら、我が国の将来には希望が持てますし、すでにそういうことが始まっているということであるなら、企業としては、この動きを意識して、積極的に前に進めることも、良い考えであるかもしれません。
まだ慌てる段階じゃない(りゃく