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事務職生産性改善と就職氷河期

朝比奈一郎氏の9/2付けアゴラ記事「『公共(パブリック)に尽くすこと』の改めての重要性」へのコメントです。


若い人に言わせれば、こうした「昭和な在り方」は、時代錯誤的な部分は多々あるであろう。現に、若い学生などと『トップガン・マーベリック』についての感想を語りあうと、「正直、理解できません。」という正直な気持ちを吐露する方も少なくない。
> しかし、公共(パブリック)のため、「命を懸けて自分が考える任務に取り組む」「自分が社会のためにベストということがあれば、相当な無茶をしてもやり切る」というテーマは、時代を経ても色あせることはないと思うし、逆に、それを冷笑する態度が主流になってしまう社会は危殆に瀕すると思う。そういう社会に未来はない。

仕事の目的が「国や社会あるいは企業への奉仕」ではなく「自らの利益」へと変質したのは1990年代のことであるように思います。この時代、パソコンの機能強化が急速に進み、LANも整備されてきた。ハマーとチャンピ―の「リエンジニアリング革命」が出版されたのは1992年のことでした。

業務プロセスを根底から見直して、これらデジタル技術を活用すれば、ホワイトカラーの生産性は一桁向上する。にもかかわらず我が国がこれに消極的であったのは、時を同じくして、バブルの崩壊、ビジネスのシュリンク、そして、就職氷河時代が始まっていたのですね。こんな時にホワイトカラーの生産性を一桁改善したら、事務系職員の多くが路頭に迷ってしまいます。

夏目漱石は1907年の「文芸の哲学的基礎」の中で「貧して鈍すとも、窮すれば濫すとも申して、生活難に追われるとみんなこう堕落して参ります」と書いております。この手のことは、人として自然なことであるかもしれない。でもいつまでもこれでは困るのですね。そろそろ、少しずつでも、見直していかなくてはいけません。

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