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まず必要な、集計方法の見直し

鈴村泰氏の9/5付けアゴラ記事「新型コロナで本当に議論するべきなのは日本人の死生観」に対するコメントです。


我が国のコロナ死亡者数の問題は、何をもってコロナ死とするかという、定義の問題だと思いますよ。

以前も鈴村氏のアゴラ記事にコメントしたのですが、我が国では、死者が増えているにもかかわらず重篤患者が増えないという不思議な現象があり、人工呼吸器を装着せずに死亡する人が多いためにこのような結果が生じているという現実がありました。

この理由は、終末医療の問題と思われ、回復の見込みが低く、いつ危篤状態になっても不思議のない患者に対して、延命治療の方針をあらかじめ本人家族を交えて取り決めておくのですが、胃ろうと人工呼吸器の使用まではしない、とする例が多いのですね。

このような患者がコロナに感染して死に至れば、重篤患者ではないがコロナ死としてカウントされる。でも、最初から延命治療をあきらめている患者の死を普通のコロナ死と同じに扱うのは少々おかしいし、このような患者を別建てでカウントすることは可能なはずなのですね。

このようなことはすでに行われていることであり、要は、集計方法を見直すだけで解決する問題です。何でこのくらいのことができないのでしょうか? 不思議です。

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