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宗教的カルト vs 政治的カルト

アゴラ編集部の9/29付けアゴラ記事「国葬『献花は動員』『菅さんの弔辞は電通の演出』とデマが飛び交う」へのコメントです。


政治思想と宗教思想というものは、ずいぶんと違う世界に見えますけれど、その本質的な部分は、似たようなところがある。今日のリベラルにしても、かつての左翼の流れを汲んでおり、その左翼の一部は非合法活動にも手を染めたことがある。統一教会が過去に問題ある行動を起こしたけれど、名前を変えて今日にそのコミュニティーを脈々と伝えていることと、恐ろしく似た経緯をたどっているのですね。

カルト的な政治思想や宗教思想にとりつかれた人たちは、その外の人たちから見て、理解し難い言動に及ぶ。逆に、普通に考えて理解し難い言動の人たちがいたら、それはひょっとしてカルトでは?と疑う余地があるのですね。

かつての左翼運動にはそれなりの理由はありました。今日のロシアに近いことをかつての米国はベトナムでやっていたし、日本はこれに協力していた。反政府活動は、それなりの意味があったし、今日の米国でもそのような捉え方をされている。

しかし、その米国といえども、あるいはこれに追随する日本といえども、すでに路線を修正し、ポリティカルコレクトネスの上で動いている。逆にかつての共産主義国家が、かつての日米のような、おかしな方向に走っている。ここはサイドを変えるべきで、それは転向というよりも、一本筋を通すことだと思うのですが。

仕事の上でのかかわりがあると、サイドはなかなか変えがたい。これは、自民党議員が統一教会の協力を断りにくいのと同じ理由なのですね。食っていかなくちゃいけませんから。自民党が圧倒的多数であるのと同様、今日のメディアの世界も寡占が進んでいる。政治の世界は致し方ないにせよ、メディアの世界がこれでは、自由で臨機応変な言論活動に、ちょっと問題がありそうです。

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