多田芳昭氏の10/1付けアゴラ記事「国論を分断した原因は国葬儀ではない」へのコメントです。
「追いつき追い越せ」というスローガンは、明治維新後も、戦後も、日本の飛躍的発展を支える精神的支柱だったのですね。この二つの時代は、大いに異なるように見えても、日本の目標が国際競争に勝つこと、先進各国に肩を並べることでした。そしてその目標が達成された時、最初は太平洋戦争に突入し、二度目は集中豪雨的輸出に至り、結局は敗北した。プラザ合意は、戦艦ミズーリ艦上での調印式に相当するのですね。
第二の敗戦がそれと意識できない理由は、その結果として起こった円高が、多くの人にとっては喜ばしいことだったからで、ドル建てで見た資産が倍増、給与も倍増、世界への投資の道を開き、不動産バブルが発生したからなのですね。ところがこれが崩壊し、金融危機が起こる。何が起こったかを反省できるのは、21世紀に入ってから、小泉政権以降だったわけです。森政稔氏の「変貌する民主主義」は、そんな時代(2008年)に書かれた書物で、政治的に左側の方々の困惑ぶりを見事に描き出しました。
かつて民主主義の徹底を阻んでいると考えられた保守勢力は、雲散霧消して性格が良くわからないものになった。たとえば現在の自民党は、安保闘争時の岸内閣のように世論と対決するどころか、市場経済や自己責任論に立った改革を主張した小泉内閣の場合も、対北朝鮮強硬論などでナショナリズムに訴えた安倍内閣の場合も、世論を直接味方につけようとし、ポピュリズム的に沸騰した世論に支えられて支持基盤を形成した。
かつての権力対大衆という構図は失われた。ナショナリズムもまた、かつてのように天皇制や「国体」といった自分たちを超越した何物かへの信奉というよりは、自分たちの国際社会における既得権益やプライドを守るために、伝統や大国意識を利用しようとするものに変化してきている。…… こうして民主主義をめぐる「われわれ」とその「敵」との関係は激変した。民主主義はしばしば非難もされるが、その一方で民主主義の外部にはほとんど誰もいなくなった。
与党は少々の弊害に目を瞑り成長一直線、野党は与党のあら捜しをして成長の果実を幅広い人たちに還元する。そうした古来のやり方は通用せず、敵味方の存在しない社会の中で、いかにうまく振舞うかに、目的設定が変化した。明治維新以来はじめてこの大きな変化に、従来の「左翼」改め「リベラル」がついていけない。そういう時代になった、ということでしょう。
何はともあれ派遣廃止