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ひろゆき氏「座込揶揄」の教訓

アゴラ編集部の10/5付けアゴラ記事「ひろゆき氏が沖縄・辺野古新基地反対の座り込み抗議を揶揄し大炎上」に対するコメントです。


『座り込み』という用語に対する大いなる誤解があった、ということですね。つまり、このパネルを書いた人(座り込み運動の推進者)と、ひろゆき氏及び彼の揶揄を肯定的に受け止める多数の読者との間に、相当に異なる解釈、大きな誤解がある。

コミュニケーションの面白い点は、このどちらが正しいともいえない点です。どちらも互いに相手を怒ったりしちゃいけない。

つまり、送信側は受信者が誤解しないように発信しなければいけないし、受信者は送信者の意図を正しく受け取るように努力しなくちゃいけない。でも、普通に考えてこうだ、という解釈であれば、誤解が生じることもやむを得ない。沖縄の常識と本土の常識が違う、というようなことがあればそうなるわけですね。

そして、その事実がわかれば、以後の受発信に際して、この教訓を反映させればよい。今回の教訓からいえるそのポイントは、ひろゆき氏サイドから見て、沖縄人の用語は大いに誇張されているという点であり、沖縄側から見れば本土の人間はその誇張を文字づら通りに受け取ってしまうということでしょう。

つまり、本土側の解釈として、沖縄から発信される情報は、普通の受け止め方から、相当に割り引いて考えるべきである、ということ。これに気付かせてくれた点に、ひろゆき氏の揶揄という情報には大いに価値がある、といえるでしょう。

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