長谷川良氏の10/17付けアゴラ記事「安倍元首相銃殺の『事件の核心』は?:逸脱する左派系メディア」へのコメントです。
まったくです。ここまで暗殺犯の側に立った報道を繰り返す我が国のメディアや野党関係者を見ておりますと、伊藤博文暗殺犯を英雄視する某国の人たちと似たような心情がその裏にあるのではなかろうか、などという思いに駆られ、暗澹たる気持ちになります。
なにぶん、これまでさんざん、アベガー、とか言ってきた人たちですからね。
政治的主張が異なるといえども、殺してしまえ、はまず最初から否定しなくちゃいけない。殺人にひとかけらの意義を与えてもならない。これはあたり前のことだと思うのですね。
欧米のテロリストの何人かは、獄中で「ジャッカルの日」を愛読していたといわれます。これはフィクションだからまあ良いとしても、現実の殺人犯を持ち上げたり、その意図を引き継いだりするような行為は、第二第三の暗殺犯を生み出しすことになりかねないのですね。
それが政府要人だけを暗殺してくれるなら、左翼にとっては好都合かもしれないけれど、我が国の歴史を見ておりますと、この手の行為に走るのは、左だけとは限らない。むしろそっちが少数派だということも、頭の隅に置いてた方が良いと思います。
暗殺こええ