荘司雅彦氏の11/22付けアゴラ記事「丸く収めることに慣れ親しんだ日本人の法意識とは」へのコメントです。
「誠実条項」に関して、中央公論の2009年8月号に、元駐日ドイツ大使のヘンリク・シュミーゲロー氏による「世界経済危機脱出の鍵はアジアと欧州」と題する興味深い論文が掲載されておりました。この論文は、サブプライムローンの問題に対する再交渉の余地に関して、「誠実条項」が使えるのではないかという点を議論したものですが、この中に誠実条項に対する考え方が紹介されております。
フランスやドイツ、日本などの大陸法典は、こうした質問に対する答えを持つ。同法典は、市場参加者の「野生」を、義務的な一般条項によって緩和し、契約者双方が誠実に交渉することを要求している。これに反して英米法判事は、交渉の局面における契約当事者の行動を、そうした道徳基準に基づいて抑制することを、常に断固として拒否してきた。これは、何世紀もの擦り合わせを経てもなお、英米法と大陸法の間に残る数少ない重要な相違の一つである。
そして実は、米国も誠実条項に近い考え方を取り入れる方向に変化しているとして、次のように述べております。
全米50州で採用されている統一商法典ではすでに、「倫理を法律に変える」経路となっており、少なくとも債務不履行の規定の中に、当事者が別の取り決めをしていない限り、「誠実を前提とする」ことを定めている。
誠実さの重視は、単に日本の「和を以て貴しとなす」だけでなく、英米法と大陸法の差も寄与しており、しかも英米法の考え方も徐々に柔軟になりつつあるというのが現実の姿である様子です。プラグマティズムがカントに歩み寄っている、というのが、人類知性の趨勢なのかもしれません。
さんかく