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やらねばならぬ『ネットゼロ』

松田智氏の1/7付けアゴラ記事「『ネットゼロなど不可能だぜ』と主張する真っ当な論文③」へのコメントです。


ネットゼロは、いずれにせよ、いつか人類が到達しなければいけない世界なのですね。つまり、化石燃料はいずれ枯渇しますから。その時期は、以前は、石油・天然ガスが30年、石炭・ウランが50年といわれていましたが、最近では、前者が50年、後者が130年に延びております。とはいえ、人類滅亡の時期は、これらよりずっと先だと、多くの人は考えているのですね。

石油・天然ガスの枯渇時期が先に延びておりますのは、シェールオイル、シェールガスの発見や、採掘技術の進歩によるのですが、これらも地震を招くなどの問題が指摘されております。

将来のエネルギー源としては、核融合を含む新型の原子力発電が期待されているのですが、これらは設備費用が高く、最大出力で運転を継続することが経済的となります。このため、電力需要が低下する夜間の電力が余るという問題があります。原発比率の高かった時期には、夜間電力を使うため、揚水発電や、電気温水器が推進されたのですが、その前提としての夜間電力価格は昼間の1/3以下に設定されていたのですね。

昼と夜との電力代に3倍もの価格差があるなら、少々コストがかかろうとも、昼にのみ発電する方式や、エネルギーを蓄積する技術も経済的に引き合う。前者には、太陽光発電や、エネファームなどがあり、後者には、夜間電力を利用する二次電池や電気温水器、そして電気分解による水素の製造がある。

なぜか原発を推進する人たちには、この昼夜の電力需給差を埋める技術が嫌われているのですが、このような技術は今日の原発にも、核融合にも必要な技術であり、大いに推進しなくてはいけない。これが必要なのは、50年先の未来ではなく、すぐ先にも求められているのですね。

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