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恐ろしき善意

有馬純氏の1/29付けアゴラ記事「グレタ・トゥーンベリ拘束で考えたこと」へのコメントです。


グレタさんも、善い行いをしていると思ってやっているのでしょうけど、「地獄への道は善意で舗装されている」などともいわれているのですね。この言葉、いくつかの意味があるのですが、ピクシブ百科事典の「良かれと思って行ったことが悲劇的な結果を招いてしまう事。または、悲惨な出来事の発端となる出来事が皮肉にも善意の行いであることを言う。要するに『大きなお世話』」があてはまりそうです。https://dic.pixiv.net/a/地獄への道は善意で舗装されている

このような現象が普遍的にみられることは、青木保氏の「多文化世界(岩波新書)」の一節にも見られます。この部分、面白いですから、以下に引用しておきます。

バーリンはイデオロギーは人間の理想を鼓舞する一方、人間性をおとしめたり抑圧したりする、この問題については、19世紀の最も鋭い社会思想家でさえ誰一人として予言していないと述べています。近代思想の中で、社会改革のイデオロギーは常にプラスの方向、よりよいものであると捉えられていました。それはフランス革命以来、人間の理想の追求の一環として捉えられてきたからだと言えるでしょう。

ただ、20世紀を振り返ってみますと、理想主義に貫かれたイデオロギーのもたらしたものは、結果的に反人間的な行いであり、価値の分断であり、ナチズムに象徴されるように、人類の一体化よりはむしろ人類の分断であり、抑圧であったと言えます。これは大変不幸なことだったと思います。

恐ろしいことです。

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