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ガーシー寄り日経にも三分の理

岡本裕明氏の2/22付けアゴラ記事「ガーシー氏に優しい日経新聞:編集委員の記事としてそれはないだろう」へのコメントです。


選ばれた人はその期待を背負い、そこで責務を行い、その対価として報酬を得る、この一連のギブアンドテイクを選挙を通じて承認し、期待しているわけです。単に議員を選んだわけではないのです。有権者の代理人なのです。ところが報酬だけ得て、国会に出席せず、その責務を果たさなければ給与泥棒なのであります。これは子供でも分かる話です。

このあたりは、ガーシー氏に投票した有権者が何を期待して投票したかがわからない以上、何とも言いようがないのではないでしょうか。

つまるところ、ガーシー氏のことだから、このくらいのこと(全欠)はやりかねないと考えていたかもしれないし、全欠大いに結構と考えているかもしれない。

そもそも国会という存在自体、前時代的なアナクロ、権威主義の塊であって、今の時代には即さない。それをわからしめるためには、その茶番劇性を大いに笑い飛ばしてやろうじゃないか、くらいのことは考えていても不思議はないのですね。

憲法に改正手続きが定められており、憲法を改正するにはこの条項を尊重する必要がある。国会議員の地位も、似たようなものであるのかもしれません。そういう意味では日経の主張にも首肯できるものはある。もちろん私も、ガーシー氏の行為を全然評価してはいないのですが。

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