このエントリーは、ご機嫌な歌の備忘録的に書いたものです。さて、この歌詞、一体どういう意味でしょう。なんとなくニーチェの「永劫回帰」を彷彿させるのですが、、、
まずはニューシーカーズ。歌声の心地よさではこれが一番かもしれませんが、その分、『甘い』。レコード、ロイヤル・アルバート・ホールでの1972年のライブ:後者がベストかも、
Harry Chapinの迫力ある歌声です。レコード、ライブです。ライブはギターの弾き方が独特、結構よいのりをしております。ちなみに歌詞はこちらです。
JUDY COLLINS, Kingston Trio, Mary Traversです。1982年のライブ、お年寄りですが、若い女性が登場すると会場が盛り上がります。でも、彼女、あまり歌がうまくない。そして、さらなるお年寄りの登場で盛り上がる、と、、、名曲って、なんか、良いですね。
Kingston Trioは、Where have all the flowers gone? (邦題:花はどこへ行った)で1962年にあてた方。のちにPPMもカバーするのですが、この歌は、ベトナム戦争盛りの頃の反戦歌として大いにうたわれたのですね。(オリジナルは、1~3番がピート・シーガーの1955年の作品、4,5番がジョー・ヒッカーソンの1961年の追加です。)この歌、誰かがロシアではやらせてくれればうれしい。その前に、誰かロシア語に翻訳しませんか? もうとっくにされているかな? VOA、頑張ってください。
そして「花はどこへ行った」も、花を摘んだ少女が男に嫁ぎ、男は兵隊になり、最後には墓場に行って、墓場はflowersに覆われて、それを少女が摘むたというのですから、Circleではあります。ちょっと、理屈に過ぎたところはありますが、戦争のようなばかげたことが何時まで繰り返されるのだろうか、という意味で反戦歌になるわけですね。All My Life's A Circleの甘さとは真逆です。
ニーチェにつきましては、以前も解説したのですが、この「永劫回帰」につきましては、よくわかりません。前回参照いたしました竹田青嗣さんの「現象学入門」によりますと、この宇宙はニュートン力学の記述する物理法則に従っているから、いずれ同じ物質配置になれば、同じ歴史を繰り返すというのですが、これはいくらなんでもありそうではない。
ニーチェが永劫回帰などという考えに至ったのは、以前の解説でちょっと触れました、彼の失恋経験によるものではなかろうか、というのが私の印象です。これ、立原道造の「のちのおもひに」の世界なのですね。この前半をご紹介いたしますと、次のようになります。
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道をうららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
──そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
夢、ならば何度でも繰り返せる。人の記憶は、ビデオコンテンツのようなもので、脳のいずれかの場所にしまわれているのですね。そしてそれを何度も再生することができる。『夢』という形で。
夢は永劫回帰、All My Life's A Circleです。
切ない。だけど、本人には幸せかもしれない。そして、同じ歌を何度も歌う人たちにとっても、人生は同じフレーズを繰り返し歌うもの。彼のLife's A Circleです。こんな人生、それほど悪くないのではないでしょうか?
YouTubeにアップされておりますこの歌の様々なコンテンツを見ますと、これをうたっている皆さん、そろいもそろって幸せそうなのですね。
夢は若い人にも必要な要素なのですが、年寄りにも必要なものでしょう。その意味するところはかなり異なるのではありますが、、、
Alison Krauss, Shawn Colvin, Jerry DouglasのカバーするBoxerです。スチールギターが良い味を出しております。歌詞はこちら。
もともとのサイモンとガーファンクルのボクサーです。セントラルパークのコンサートと。おしゃれですね。
この歌は、我が国のフォークシーンにも大きな影響を与えたといわれております。
最近の歌では、YOASOBIのアドベンチャーかな? 歌詞はこちら。公式PVはこちらです。
これ、USJのテーマ(?)ソングなのですね。
どんな人が歌っているか知りたい人のため、武道館コンサートのライブビデオをおいときます。アドベンチャーは含まれておりません。
uta