アゴラ編集部の3/30付けアゴラ記事「『報道への圧力』を批判していた小西議員が報道に圧力かける」へのコメントです。
このあたりまで参りますと、何らかの心理的問題を抱えているとの印象を受けます。不幸な事態を避けるために、周囲の方の何らかの対応が必要ではないかと思います。
既に、心理カウンセラーや心理療法士で何とかなる段階ではないかもしれませんが、まずはこの手の知識を持つ方のご判断をいただくのが良いのではないかと思います。
一番まずいのは、この手の状態をおもしろがって、無責任な言動を繰り広げること。突っ込みどころ満載で、言いたいことは山ほどあるのでしょうが、ここは一旦休戦とするのが良いのではないでしょうか。
これが杞憂であればよいのですが。
他の方のコメントに返信を入れておきました。
岡本 真行
まず「正義(その人にとっての)」があって、それを守るために「報道の自由」を訴えているという人の場合は、
報道の自由よりも正義を守ることの方が上位にあるというだけのこと……それなら「正義」よりも報道の自由みたいな良識を上位に置く人のほうが人材として値打ちが上なのかというと、
何か政治活動などして身を立てようと考えるほどの人ならば、相当に強い正義への希求というか情念がないと難しいことも事実。
偉くなってしまうと、その時はじめて当初の初心が問われるところでもあります。結論としては「内心をそのまま主張してまずい場合は、先読みして抑えましょう。たとえ偉くなっても」と言いたいところ。
瀬尾 雄三
近代的な人権よりも、正義をその上に置くという考え方は、古来珍しいものではないですね。古くはプラトンの「哲人政治」がありましたし、新しいところではニーチェの「超人思想」があります。
民主主義などといっても、駄目な奴はどうしようもなく、ニーチェに言わせれば家畜の群れ、彼らを指導できるのは一部の優れたものだけであるというわけです。
国会だって猿山みたいなものだというのも一つの見識で、一部の優れた政治家がすべてを仕切るという考え方は、わからないではない。すべてを党中央の指導に委ねる一党独裁の共産主義は合理的な思想だし、プーチンジョンウン習近平の指導する専制国家も一応国として認められている。
ただ問題は、その「正義」なるものが本当に正しいのかどうかがわからない。そうである保証が全然ないことなのですね。特に絶対権力を握った人間の「正義」が間違っていると悲惨な結果となる。
だから、非効率的で、ばかげたことを山とすることは覚悟の上で、さして賢いともいえない人たちの多数意見に従うことにする。これを多少はまともなものとするために、大いに議論をする。そういう制度に落ち着かせたのが、人類の英知というもの。ここはそれで行くしかなさそうです。
4/1追記:上記判断に至った理由を補足しておきます。小西氏の以下のツイート(特に最後の行、強調筆者)は、普通の神経があれば語れるようなものではない、ということですね。(このツイート、消されそうな予感がしましたので、以下に保存することとしました。)
気に食わないのなら、真正面から私の政見について論戦を挑めばいいのに、報道倫理に反して攻撃的な報道を行うのはおよそ言論報道機関とは言えない。
特に、フジテレビは政治圧力以前に局内に元々そうした歪んだ人材がいることが深刻だ。
元放送政策課課長補佐に喧嘩を売るとはいい度胸だと思うが。。
gannba