城所岩生氏の4/12付けアゴラ記事「Winny 開発者・金子勇 死後10年に想う(上)」へのコメントです。
金子氏を栄光なき天才にしてしまった日本の捜査当局の勇み足が悔やまれる。
これは、「勇み足」などというものなのかどうか、この事件の背景には、もっとどろどろとしたものが流れているように思えます。
まあ、一つのわかりやすい話は、警察検察の陰謀論で、これは映画Winnyのテーマでもあります。つまり、警察の裏金作りがWinnyで大っぴらに流れてしまった意趣返し、という話ですね。のちに検察の裏金作りを暴こうとした三井環氏が、普通なら見逃される程度の微罪(?)で起訴されたことや、更に時代が下って朝日記者らと検察幹部のかけマージャンなどの報道に接すれば、ふーん、やっぱりね、などという思いもいだきそうになります。
もう一つは、人間、己の理解を超越したものには、恐怖心をいだき、これを敵とみなして排除しようとする、本能的な反応を示すということがあり、技術に疎い警察検察が怪しげなソフトを作る人間を排除しようとしたということもありそうなことです。
まあでも、著作権法と技術進歩をめぐる問題は、ずっと以前のテープレコーダの一般化の頃からくすぶっており、これがデジタル化され、ネットとなりますと、法律の根本から見直すような話にもなります。そういう時代の流れの渦巻きに、不幸にも金子氏は巻き込まれてしまった、というのが実情であるのではないか、まあ、普通に理性的に考える人なら、そういう結論になるのではないかと思います。
ganba