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千万人と雖も我往かん、は無理

高橋克己氏の4/22付けアゴラ記事「再発した首相襲撃、警護やマスコミ報道だけの責任か」へのコメントです。


岸田総理にもう一つピリッとしたものが欲しいというのは、多くの人が感じていることだと思います。つまり、『千万人と雖も我往かん』の気概が欲しい、ということですね。私もそれを強く感じる次第です。

でも、日本の政治指導者にそれを求めるのは、最初から無理であるとも思います。何せ我が国は民主主義国家、総理大臣に要求されるのは、民意を重視した舵取りなのですね。

安倍元総理暗殺犯の主張に、我が国のマスメディアや野党が大いに共感してしまったことは、致し方ないような気も致します。なにぶん、安倍元総理を暗殺しようという犯人ですから、『反安部』であるのは当たり前、出発点からして、犯人と我が国のマスメディアや野党とは同じ立ち位置にあったのですね。

で、この犯人の主張を大いに喧伝されてしまっては、岸田総理としても、これを無視できない。犯人サイドに偏った姿勢をとらざるを得ず、それがまわりまわって、類似犯の登場を後押ししてしまうのは、皮肉な結果とも言わざるを得ない。

だけどこれを岸田氏の責に帰すのは、あまりにも理不尽というものでしょう。まあ、己をもっと強く持てといいたいのはわからないでもないけれど、民意を尊重するのはさほど悪いことでもない。その民意をメディアの主張に読み取るのがまずいと言えばまずいわけで、これは今後の教訓とすべきところではありますが、これが批判されるべきかといえば、そうでもないように思われる次第です。


星光

民意の尊重とポピュリズムはほぼ同義なのでは?
民意によって政権を委ねられた政治家が強いリーダーシップをとって国を導くのが本筋であって、そのようにしてなされた国政運営が結果として民意に沿わなければ別の政治家がとって変わるというのが、健全な民主主義のあり方のように思います。
いちいち国民の顔色を伺いながら政権運営するほうがよいというのであれば、直接民主制が最善だということになってしまいますが、それでは国の舵取りはめちゃくちゃになってしまいそうな気がします。
いいね! · 返信 · 3分前


瀬尾 雄三

星光さん

> 民意の尊重とポピュリズムはほぼ同義なのでは?

そうは申しましても、選挙というものがある以上、民意は尊重せざるを得ず、ポピュリズム的因子が現れることを避けることは非常に難しいものと思われます。

ポピュリズムを防ぐのは、政治家の言葉にも期待されるところ大ではあるのですが、世論をリードする言論人、思想家、評論家(同じかな?)でもあるわけで、国民に痛みをもたらす政策も、長い目で見れば大事なことだと国民にわからせるような、指導的役割が欲しいのですね。

国民が十分に賢ければ、評論家など不要なのですが、そうでない限り、この手の人たちにも役割はある。そして評論家が十分な役割をはたしていない現状では、ネットにコメントを寄せる我々にも、意義があるというもの。

ま、お互い、無茶苦茶なことを言い合っているのかもしれませんけど、総体として意義が出てくる。昆虫の世界では、これを「群知能」といい、ロボット制御にこれを応用しようという動きもあります。ま、どうでも良い話ですけど、、、

1 thoughts on “千万人と雖も我往かん、は無理

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